翻訳:「海上の戦争」、群狼作戦立案者のデーニッツ元帥の小論(2章)- 開戦

ハーグ条約の取り決めでは、商船に武装を施し、Uボートに対する防衛のために武器の使用命令が出た時点でその船は国際法の保護から外れる。この段階で、公的に、または十分な信憑性をもって武装が確認された船に対しての攻撃だけが許可されていた。また商船と戦闘艦の区別が不可能という理由で、船体を黒く塗装した船に対しては夜間に限り攻撃が許可された。やがてイギリスが全ての自国商船に武装を施したことを公式に宣言すると、イギリス近海での活動とあらゆるイギリス商船への攻撃が解禁される。開戦後まもなく、護送船団方式がイギリス海軍で一挙に広まった。戦闘艦の護衛がついた船団は拿捕規定が定める保護の対象から外れ、国際法による保護は受けられなくなる。このため、Uボートは戦闘艦の護衛がついた全ての商船への攻撃が許可された。

出撃できるUボートがごく少数だったため、イギリスの海上輸送路へ十分な打撃を与え、海上戦闘の趨勢を左右するに至らないのは明白だった。1939年の冬から1940年にかけて、作戦海域にいたUボートの数は10隻を超えることはなく、少ない時は2隻にまで落ちた。Uボート司令部は危険を承知で沿岸近くまでUボートを接近させ、船の移動ルートが集中する地点を攻撃しなければならなかった。艦隊は3つのグループに分けられ、艦種ごとに以下の通り作戦領域が定められた。

(1)小型のⅡ型とⅦ型はイギリスの港湾と沿岸周辺

(2)ⅦC型は北大西洋から、なるべくイギリス沿岸近くまで

(3)極少数のⅨC型はさらに遠く、ジブラルタルまで

1つめのグループはスカパ・フロー、マレー湾、フォース湾、シェトランド諸島沖、ロッホ・ユー、リバプール、イギリス海峡での作戦行動に従事した。プリーン大尉によるスカパ・フロー攻撃作戦は、攻撃前に侵入が可能かどうか判断するための航空偵察なくしては成功しなかっただろう。この作戦の成功でUボートによる潜入作戦が可能だと証明されたが、魚雷の不具合により、私が当初期待していたほどの戦果は上がらなかった。フロイエンハイム大尉によるフォース湾への攻撃で巡洋艦ベルファストを損傷させ、ロッホ・ユーへの攻撃では戦艦ネルソンを損傷させた。クライド湾への攻撃は、二度の失敗の末中断される。

 上記の作戦では基本的に魚雷と機雷が併用された。このうち磁気機雷については、開戦後1ヶ月の間は港湾近くの海峡への敷設が可能だったため有効に機能したが、魚雷については思いがけない期待外れに終わる。戦前に考えられていたほど魚雷の磁気信管は完成されていなかったらしく、目標に命中する前に爆発したり、命中しても不発に終わるのがしょっちゅうだった。戦前に磁気信管に注力していた分、魚雷の深度調整技術の研究はおざなりになっていた。接触信管にも同じ事が言え、このような状況はUボート艦隊の活躍の妨げとなった。1939年11月、オークニー諸島西方でUボートが戦艦ネルソンに対し至近距離からの雷撃を行ったが、命中した魚雷は全て不発だったというケースがある。

この時期、イギリス軍の防備はまだ整っていなかったが、その割にUボートの損失は大きかった。理由としてクルーの実戦経験不足、そして実戦になるまで見過ごされていた技術的欠陥がある。例えばⅦ型Uボートは排気弁から水漏れが起こり、長時間の潜航時や敵船に追われて海中にいる時などに艦尾から少しずつ浸水してくる。やがて艦は浮上を余儀なくされ、敵がいればそこで撃破された。

水上戦力の戦略的活用には大きな壁があった。戦力で勝るイギリス海軍相手に制海権を争っての戦いを仕掛けるわけにいかず、フランスが参戦すると状況はさらに悪化する。フランスの海軍もドイツ海軍より強力だった。ドイツ軍の海上輸送路の防衛は戦力配分を考えると不可能なために度外視せざるを得ず、バルト海とスカゲラック海峡以外のルートでの海上輸送は、戦前と比べて規模の縮小は避けられなかった。一方、沿岸部に陸軍と空軍の戦力を配置していたため、敵が直接ドイツ近海に侵攻してくる可能性はないと考えられていた。そのため、あらゆるドイツ軍艦隊は攻撃だけに集中できた。海上戦闘の主目標が輸送船に切り替わると、水上戦力も可能な限り動員された。海軍が戦争の対局から見て重要な役割を演じたのは、ただこの一点だけである。