ノーベル賞受賞者:赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏。三者はどのようにして、青色LEDの実用化に貢献したのか

後に、更に良質なバッファ層の素材(下敷き)が見つかるが、バッファ層を使うことによって事実上窒化ガリウムの結晶の精製法は確立したと言って良い。

だが、青色発光ダイオードを実用化するまでには、まだまだ大きな壁が残されていた。

窒化ガリウムのP型化とインジウム合金の精製(赤崎氏・天野氏)

窒化ガリウム結晶による青色発光ダイオード開発には、3つの難題が存在していた。

1.窒化ガリウム結晶に合う基板が存在しない事 → バッファ層によって解決
2.窒化ガリウムでプラスに荷電するP型とマイナスに荷電するN型の2つは作れない事
3.窒化ガリウム単体では青色の光を生むことが出来ない事

1番は既に解決していたが、2番と3番はまだ解決していなかった。特に2番が大きな障害だった。

発光ダイオードの半導体には、電子が少ない(プラス荷電)のP型と電子の多い(マイナス荷電)N型の半導体が必要で、窒化ガリウムではN型しか作れないだろうと考えられていた。

しかし、これも天野氏と赤崎氏の研究チームが解決する事になる。

天野氏は「電子ビーム照射」法と言う手法を用いて、窒化ガリウムをP型化することに成功する。さらに、窒化ガリウム単体では紫外線レベルの光しか出さないものの、インジウムを加える事で青色の光が発生する事は分かっていた。そして、NTTの松岡隆志氏(受賞は逃す)が、窒化ガリウムとインジウムを合成した結晶成長に成功。

これによって、窒化ガリウムを用いた青色発光ダイオードを実用化するための全ての障害が取り払われた。

青色発光ダイオード普及を加速させた「2フロー」法(中村氏)

 全ての障害が無くなり、ある程度の実用化の目処は立ってきたものの、おそらくこれだけでは今日のような青色発光ダイオードの世界規模での普及はありえなかっただろう。

上述の赤崎氏・天野氏・松岡氏の発見を踏襲し、当時日亜化学工業の研究員だった中村修二氏が大きな発見することとなる。それがツーフローMOCVD」法「アニール」法による、より高品質で効率のよい窒化ガリウム結晶成長と窒化ガリウムのP型化だった。

これにより青色発光ダイオードは大きな品質向上を遂げ、ブルーレイのレーザーなどにも使われるようになり、世界のLED市場を大幅に変革していくことになる。

赤崎氏と天野氏が土台を作り、中村氏が発展させた青色発光ダイオード。赤崎氏に至っては、実に30年もの間ずっと青色発光ダイオードの実現に向けて取り組んでいたと言うことになる。

今回のノーベル賞受賞によって、赤崎氏の功績は世界に認めれたと言って良いはずだ。

不可能と言われた青色発光ダイオード

結果を見てみれば、青色発光ダイオードは窒化ガリウムによって作られる事になった。しかし、窒化ガリウム結晶による青色発光ダイオードは不可能だと言われ続け、「バッファ層」法の発見によってそれが覆る事になる。

かつては世界のトレンドであったセレン化亜鉛方式は、確かに簡単に精製出来てより明るい色を出すことが出来た。しかし、セレン化亜鉛は窒化ガリウムより遥かに脆く、ソニーなどはブルーレイ開発のために莫大な予算を注ぎ込んでより高い強度を持つセレン化亜鉛の青色発光ダイオードを開発しようとしたものの、窒化ガリウム方式の進歩に追い付くことは出来ず、セレン化亜鉛による発光ダイオード開発は結果的に徒労となってしまった。

ブルーレイとHDDVDの軌跡ではないが、窒化ガリウム方式とセレン化亜鉛方式でも世界標準となるべく熾烈な争いがあった。

結果的に窒化ガリウム方式が優れている事が分かったものの、もしセレン化亜鉛方式があと数年早く実用化されていれば、別の歴史が作られていたかもしれない。