原子力潜水艦の研究は原子爆弾よりも早かった!疎まれた研究と、偉人の影に消えた一人の科学者

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1954年1月21日は、潜水艦の歴史に刻まれる一日といえる。アメリカで建造された世界初の原子力潜水艦「ノーチラス号」がこの日、時のファーストレディ立会のもとで進水した日だ。同艦は翌1955年1月17日、史上初となる原子力を使っての運転を成し遂げ、潜水艦の新たな時代を切り開いた。
このノーチラス号開発のために尽力したハイマン・リッコーヴァーは現在、「原子力海軍の父」と称されている。

ところで原子力潜水艦の登場は、原子爆弾に比べると9年も遅れている。一見すると原子爆弾を作るためのマンハッタン計画で蓄積された知見を下地に潜水艦への動力転用という発想が出たものと思ってしまうが、実はそうではない。
なんと原子力潜水艦の研究は、原子爆弾開発よりも先に始まっていたのだ。

海軍主導の原子力潜水艦、陸軍主導の原子爆弾

先に始まった計画なのに、どうして実を結ぶのが遅れたのか? そこには海軍主導と陸軍主導の「2つ」の原子力研究の存在という、あまり知られていなかった構造が存在する。
そしてその歴史を紐解く中で、ハイマン・リッコーヴァー以前に原子力潜水艦の下地を整えた、ロス・ガンという人物の存在が明るみに出る。

話は1939年まで遡る。この年の3月17日、NRL(海軍研究試験所)やアメリカ陸軍武器省の代表らを集めたミーティングにおいて、当時核物理学の権威だったエンリコ・フェルミがウランの核分裂を爆弾や動力へ活用しうる可能性を示唆。NRL所属のロス・ガンは以前から潜水艦の長期間潜航を可能にするための方法を模索していたが、このミーティングで原子力がその方法たりえると確信し、早くも3月20日には海軍技術局(Bureau of Engineering)局長ハロルド・G・バウエンに原子力研究のため1,500ドル(現在の23,000ドル相当)の予算を申請した。バウエンはこれを受諾し、NRL主導の原子力研究がロス・ガンをリーダーとしてスタートする。
マンハッタン計画の前身となったS-1ウラン諮問委員会が設立される7ヶ月前のことだった。

NRLの原子力研究は、まず濃縮ウラン製造から始まった。濃縮ウラン製造には六フッ化ウランの製造、次いでウラン濃縮と2つの工程がある。六フッ化ウランの製造についてはフィリップ・エーベルソンが安価な製造法を確立し、1941年までには日に1キロの六フッ化ウランを製造できるようになった。
ウラン濃縮については複数の方法が候補に上ったが、検討の結果熱拡散法(Liquid thermal diffusion)が採用されることとなった。これは軽い同位体は高温の場所に、重い同位体は低音の場所に拡散するという性質を利用したもので、圧力をかけて液化した六フッ化ウランを容器に入れ、容器の一部を熱し別の箇所を冷やすことで同位体を分離するという方法だ。大量の蒸気を必要とすることと濃縮率が低いという欠点があったが、多量の濃縮ウランを作れるという利点があり、潜水艦の動力としての活用を目指していたNRLの目的にはかなっていた。
この方法を利用したウラン濃縮施設は1942年11月には完成している。この頃すでにマンハッタン計画も動き出していて、計画を推進するためのMED(マンハッタン工兵管区)が陸軍内部に創設されていた。MEDがこの濃縮施設を視察したこともあったが、原子爆弾には濃縮率の高いウランが必要だったため、マンハッタン計画には別の濃縮方法が採用されることとなる。

偏ったリソース配分と立ち遅れる研究

NRLの研究は海軍主導の、マンハッタン計画は陸軍の主導で進められた。
マンハッタン計画開始当初には少数ながら海軍の人間が関わっていたが、途中からは大統領の意向もあって完全に海軍の人員は排除されていく。やがてリソース配分の比重はどんどんマンハッタン計画に偏っていき、ロス・ガン率いるNRLのチームは情報、人員、物資のあらゆる面でないがしろにされ、研究は大きく立ち遅れてしまう

例えば、NRLは熱拡散法によるウラン濃縮の規模を拡大すべくフィラデルフィア海軍造船所内に新たな工場を建設したが、そのためには「マンハッタン計画に必要となりうる人員を使わないこと」という条件を飲まねばならなかった。
他にも1943年1月には、六フッ化ウランの供給はすべて陸軍を通して行われるという旨がNRLに通達され、10月には実際に供給を断られるという事態も発生する。
また、MEDからNRLに情報や研究データが共有されることもなく、NRLは独立、かつ小規模で研究を続けることしかできなかった。ロス・ガンはこの扱いを相当不服に思っており、後年の書簡で陸軍に対する不満をぶちまけている。

極めつけは、先述のフィラデルフィア海軍造船所のウラン濃縮工場で発生した爆発事故だ。
1944年9月4日、自前のウラン濃縮工場完成を控えたMEDが訓練のため人員を送った折に工場で爆発事故が発生。死者2名、負傷者11名を出す惨事となった。