自衛隊の救難飛行艇US-2の実力は?(前編):太平洋戦争の二式飛行艇から続く、世界最高の技術

境界層制御装置とは?

飛行機が空を飛べるのは、翼に特殊な空気の流れを作って上向きの力である揚力を発生させているからです。この空気の流れは速度が遅くなればなるほど弱くなりますが、フラップという揚力を強める装置を使って意図的に強めることが可能となります。

ただ、これを強めすぎると境界層と呼ばれる揚力を生む空気の層が剥がれ、一気に揚力を失って失速してしまいます。それを抑制するのが境界層制御装置です。

具体的には、エンジンで圧縮した空気を高速で翼に流すことで意図的に高速で飛んでいるような空気の流れを作りだし、低速でも高速で飛行しているような空気の境界層を翼の周囲だけ局所的に作り(保ち)ます

高速で飛行するために翼を小さくした航空機などに補助的に使われていましたが、US-2は境界層制御装置の搭載を前提により強力なフラップを搭載し、低速時でも高い揚力を生めるようになっているのです。

長大な航続距離と耐波性能

航続距離は実に4700キロ。これは日本の領海を端から端まで飛べる距離です。ただ、実際の作戦行動時には飛んで帰ってくる必要があるので、行動半径は2000キロ前後となります。だとしても、神奈川県の厚木基地から離陸したとして沖ノ鳥島まで優に届く距離であり、日本の領海全てを十分にカバーするほどの作戦行動半径があるのです。

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(飛行艇の活動範囲_新明和工業

これだけの活動範囲があれば、日本の海のどこで海難事故が発生してもUS-2が駆けつけることが出来ます。

また、外洋は非常に波が高く、並大抵の飛行艇では着陸することが出来ないのですが、US-2は実に3mの高波の中であっても着水することが可能で嵐の中で船が転覆してしまった海域に急行し、波が弱まった一瞬の隙に着水して救助活動を行うことが可能です。

ブラインドセーリングプロジェクトの海難事故の際には、実際に波が高くてまともに着水出来る状態ではなかったにも関わらず、2機のUS-2が順番に発進し、1機目が空中待機している間に波が弱まらなかったものの、2機目が空中待機している間に高波が弱まった隙を見つけ、救助活動を行ったそうです。

US-2独自の「波を打ち消しつつ波を逃がす」機構(溝型波消し装置とスプレー・ストリップ)が、これを可能にしています。また、機体の材質を最先端の素材に置き換ることで軽量化しつつ高い耐久性を実現しています。

世界最高の飛行艇と呼ばれた二式飛行艇

話は第二次大戦にまで遡ります。US-2を開発した新明和工業という会社は、かつて川西航空機と呼ばれていました。

川西航空機は、大日本帝国時代に零戦の後継機となった「紫電改」や世界最高の飛行艇と呼ばれた「二式飛行艇」を開発し、世界の水上機開発をリードしていた航空機メーカーでした。

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(大日本帝国海軍二式飛行艇)

二式飛行艇は、航続距離・機動力・堅牢性・火力どれをとっても世界の最高水準に達しており、連合軍からは非常に恐れられていた飛行艇でした。戦後、この飛行艇を間近で見た連合軍の技術者達は、二式飛行艇に敵う飛行艇は連合軍には無かったと言及しています。

しかし、戦後日本の航空機開発能力の高さを危惧したGHQによって日本は航空機の製造開発中止が命じられ、それ以来川西航空機は飛行機の開発を行えなくなってしまいます。そんな中、遂に終戦から7年が経過した1952年に航空機製造開発が解禁。当時川西航空機から新明和工業に名前を変えていた飛行機メーカーが、再び飛行艇開発に復帰するのです。

 新しい飛行艇の開発から五十年。試行錯誤の末、世界最高峰の飛行艇となったUS-2が完成する事になります。

 

「後編:世界の飛行艇との比較」へ続く