灰色淑女との別れ、潜水艦は潜望鏡から電子工学マストへ

 「Dancing with the gray lady(灰色淑女と踊る)」という言い回しがある。
 潜水艦の司令室で潜望鏡を覗き込む様を言い表した言葉で、左右にせり出したハンドルを手に基部の接眼レンズを覗き込みながら潜望鏡を回転させる姿を社交ダンスになぞらえたものだ。
 潜水艦を扱う映画ではもれなく印象的な場面として描かれる一コマであろう。

 その潜望鏡は発明されてからすでに100年以上になる。一世紀の間に数々の改良が加えられてはきたものの、その大元の原理はずっと変わることなく、文字通り潜水艦の「目」として活躍し続けてきた。
 ところが10年ほど前、潜望鏡に替わる新たな「目」が現れた。新たな「目」は、それまでのものと何がどう違うのか? 潜望鏡の事の起こりから現在までを通観し、その新たな「目」、電子工学マストについて見ていくことにしよう。

オムニスコープと初期の潜望鏡

 潜望鏡は1854年、フランス人発明家ヒッポリト・マリー・デヴィによって発明された。彼はまた同年に電気モーターも発明していて、後に潜水艦の動力に電気モーターを使うというアイデアを提唱する。自分の発明品を売ろうという意図もあったのだろうが、現在の潜水艦の主流がディーゼル・電気モーターを併用する動力になっていることを考えると、なかなか鋭い着眼点だったといえよう。

 潜水艦に潜望鏡を取り付ける試みは1880年代と、発明時期からは多少遅れて始まった。
 しかし当初、潜望鏡は役立たずの烙印を押されることになる。確保できる視野が10度にも満たず、あまりに狭くて見えないも同然だったのだ。
 当時の潜望鏡は45度の角度に配置した2枚の鏡で光を2度反射させるという原始的なものだった。人混みの上から前方を覗くとか、塹壕の中から外の様子を見るための短いものであればこれでも十分使えたことだろう。しかし潜水艦の潜望鏡は縦の長さが15メートルにも及ぶため、この単純な構造では有効に機能しなかった。

 1902年に転機が訪れる。
 この年、アメリカの技術者サイモン・レイクが自作の潜水艇「プロテクター号」を完成させる。これには彼が考案した「オムニスコープ」が搭載されていた。
 オムニスコープとはつまり潜望鏡のことだが、彼は鏡の代わりにプリズムの全反射を利用して光を屈折させた。プリズムを使ったことで集光量が高まり、鏡を使ったものより広い視界が確保された。
 彼の作ったものは視界が暗いという難点が残ったが、プリズムの導入でようやく潜望鏡は実用に耐えるものとなった。これ以降の潜望鏡はプリズムを使ったものが標準となり、実用に供されるとともに改良が進んでいく。上下の伸縮、および上部を回転させて360度見回せるような仕組みも研究され、第一次世界大戦中には技術的に完成をみた。
 こうして潜望鏡は潜水艦の標準装備となり、現在も使われ続けている。

電子工学マストの利点

 2004年に1隻目が就役し、現在も配備が進んでいるアメリカのバージニア級原子力潜水艦は、およそ100年ぶりに潜水艦の「目」に革新をもたらした。
 バージニア級に搭載された新たな「目」は、新開発の電子工学マスト(Photonics mast)と呼ばれるものだ。

 電子工学マストは複数のカメラを内蔵し、潜水艦のセイル上部に配置される伸縮可能な装置である。艦内にある潜望鏡のアイピースを覗き込んで上部を見る代わりに、電子工学マストは内蔵のカメラで捉えた映像を光ファイバーで送信し、艦内に設置されたモニターに映し出すことができる。マストに搭載されたセンサー器機は高解像度の可視光映像カメラ、赤外線カメラ、また対象物との距離を測るためのレーザー測距儀や電子線支援用アンテナなどがあり、マストの伸縮・回転の操作は艦内に配置されたレバーで行われる。

 直接覗き込む潜望鏡をカメラとディスプレイに置き換えた電子工学マストの利点は3つある。
 1つは、複数人が一度に海上の様子を見られることだ。
 従来の潜望鏡は接眼レンズを覗き込む観測手だけが外の様子を見ることができた。一度に外を見られるのは一人だけで、他のクルーは観測手の報告を口頭で聞くか、場所を替わってもらって自分で覗き込むしかなかった。
 一方の電子工学マストは捉えた映像を艦内モニターに映し出す。これなら複数人がリアルタイムで同じ映像を見ることができ、スムーズに外部の状況を把握することが可能となる。

 2つめは、司令室の大型化だ。
 潜望鏡の基部は司令室の中に配置される。外部の状況を逐一把握した上で指揮を執れるようにするためだが、そのためには司令室をセイル直下、それも潜水艦上部の船殻に面するように造らなければならなかった。
 電子工学マストにはそのような制約はない。カメラの真下にモニターがある必要はないので、艦内中段の広いスペースに司令室を配置することができ、またマストを設置するセイルも従来の潜水艦よりやや前方に配されている。
 司令室が広くなったことで指揮がやりやすくなり、セイルを前方に移したことで水の抵抗が減った。索敵や状況確認に直接関係のない艦体設計の域に入ることだが、決して無視できる効果ではないだろう。

Comparison_of_Sail_and_Periscope_Virgina_Class_Submarine
(バージニア級と従来潜水艦の比較図-Wikipedia:Photonics mast
左が従来の潜水艦で、右がバージニア級潜水艦の断面図。
青い部分は潜望鏡の通る位置で、茶色の部分が司令室の位置を示す。潜望鏡が上部に突き出たセイル内だけに収まっている点と、司令室の位置が下がり広くなった点に注目。

 3つめは、耐圧殻を貫通しない構造だという点だ。
 耐圧殻とは潜水艦や潜水艇の外殻構造を指し、海中深くの高い水圧に耐えるよう設計される、潜水艦にとって命とも言える部分だ。従来の潜望鏡はその構造上、船殻に20センチ弱の穴を空けて潜望鏡を通さなければならず、万一潜望鏡が折れるようなことがあればその穴から浸水が起きるリスクがある。
 電子工学マストは伸縮部分とセンサー類を搭載した本体部分のどちらもセイル内に収納され、耐圧殻に大きく穴を空けることはない。これで万一の浸水リスクもなくなり、また整備の費用も抑えられるのだという。

 電子工学マストの難点は、潜望鏡よりも大型なため海上に出た際に見つかりやすくなってしまうという点だ。
 これを解消すべく現在小型電子工学マスト(Low-Profile Photonics Mast : LPPM)の開発が進んでいる。文字通り海面上に出る部分が小型化された電子工学マストで、これまでの潜望鏡と大差のない直径20cm弱にまで小さくなると期待されている。

 さらに今後の展望として、360度のパノラマ画像を撮影する試みが進んでいるという。
 これは電子工学マストに複数のカメラを設置し、一度に全方位を映してパノラマ状の映像を表示するというものだ。マストを一瞬海面上に出せば周囲の状況を把握できるので、海面上への露出が減り、ステルス性の向上につながる。

 バージニア級原子力潜水艦の就役からすでに10年以上が経過し、ドイツ、ロシア、イギリス等がすでに自国潜水艦に電子工学マストを採用。日本のそうりゅう型潜水艦も従来式の潜望鏡に加えて非貫通式電子工学マストを装備している。
 現状ではまだ従来式の潜望鏡との併用が多く、完全に移行したとは言いがたい状況だ。潜水艦乗り達はもうしばらくの間「灰色淑女」と踊り続けることだろうが、電子工学マストの利点、そしてこれからの発展には注目するべきだろう。

 最後に余談を一つ。
 電子工学マストの操作はレバーで行うと書いたが、最近アメリカで操作系統の改装が行われた結果、なんとゲーム機(Xbox360か、あるいはXbox One)のコントローラーで動かせるようになった。
 アメリカ海軍協会(Navy League of the United States)の発行する『SEAPOWER』誌の2015年2月/3月合併号にてスティーブ・デバス大佐が語ったところによると、複雑で高価な軍用部品を廃してUSBプラグ一つで事足りるようになったため艦1隻ごとに15万ドルの経費削減につながるほか、ゲームに慣れ親しんだ若い下級士官が簡単に操作方法を飲み込める利点があるのだという。