幼児の言語習得を促すバイアス 認知や判断を歪めるだけでない、学習をスピードアップさせるための使い方

バイアス、偏見と聞けばよいイメージは湧いてきません。
人種的偏見や差別から来る紛争やトラブルは世界中に数多く、学術研究の世界でも、実験データの分析や結論の立て方の中にバイアスが入り込めば、それはものごとを正しく理解する妨げになってしまいます。
一般的な認識では、バイアスはできるだけ排除すべきものです。

しかしバイアスは悪いだけのものでしょうか?
幼児期の言語習得に関する研究の中で、人間が言語を学習する過程ではさまざまなバイアスが働いていることが知られています。
それは言語の習得を妨げるものなのでしょうか? どうやら必ずしもそうではないようです。
幼児の言語習得に関連するいくつかのバイアスはどのように作用するのでしょうか。そして、それは言語習得という過程の中でどんな役割を果たしているのかを見ていきます。

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幼児が言葉を学ぶ環境は?

バイアスについて見ていく前に、幼児が言語を学習する環境を考えてみます。ちょうど次のようなものと言えるでしょう。

自分が全く知らない言葉を話す人間が、ある対象を見て何かを言う。幼児は自分から尋ねることはできないので、その言葉が何を意味するのかは状況を見て推測しなければなりません

アメリカの哲学者クワインが提唱したGavagai問題が、この状況を端的に説明しています。
未知の言語を話す人間が、目の前をウサギが横切った時に“Gavagai”と叫ぶ。
これだけの手掛かりで“Gavagai”は“ウサギ”を指す言葉だとは断言できません。ウサギの色や毛並み、大きさを指しているのかもしれず、あるいは“見つけた”だとか“速い”と言った可能性もありますし、ウサギは不吉だという迷信を信じて“不吉だ”と叫んだのかもしれません。
クワインはこの思考実験から、状況だけを見て未知の言葉の意味を推測するのは不可能だと提唱しました。これは「指示の不可測性」と呼ばれています。

Gavagai問題と同じ条件で言語を学ぶ幼児には、これは重大な問題です。
そこで幼児は、いくつかのバイアスを活用して状況判断をシンプルにし、言葉と対象の関連づけを荒削りながら素早く行っていると考えられています。

事物全体バイアス

よく知られているバイアスの一つは、事物全体バイアスと呼ばれます。
これは未知の対象に対して未知の言葉が示された場合、その言葉はその対象の一部分や色、質感などでなく、対象そのものを指す名前であると解釈する傾向のことです。

これを示した実験の一つに、ピューター(錫や銅などの合金)製のトングを使ったものがあります。まずはトングを知らず、ピューターという言葉も知らない幼児にピューター製のトングを見せ、「これはピューターだよ」と伝えます。その後別の材質でできたトングを見せると、幼児はそれをピューターと呼びました。
つまり、ピューターをトングそのものとも色のこととも材質のこととも解釈できるコンテクストで、それをトング全般を指す名称と解釈し、別の材質でできたトングも「ピューター」だと考えたわけです。

これは未知の言葉を解釈する際、その言葉が指し示す対象を大きく絞り込む効果があると考えられます。
先のウサギの例で言えば、Gavagaiという語がウサギの耳や足や毛の色を指している可能性を(間違っている可能性はあるにしても)ひとまず排除することにつながります。
このバイアスが間違いを生むことになっても、幼児が異なるコンテクストでその言葉に接し、よりよい絞り込みが行える状況であったならば、最終的に正しい意味を理解することは十分可能です。
バイアスの活用法は最初から正確な言葉の意味を理解することではなく、初めて聞いた言葉の意味を素早く判断できるよう状況判断をシンプルにすることにあるのです。

事物カテゴリバイアス

次のバイアスは“事物カテゴリバイアス”と呼ばれるものです。

これは聞いたことのない名前を聞いた時、その名前をそのもの自体だけの名前というよりも、あるカテゴリを表す名称だと解釈するバイアスです。
先のGavagaiの例を使うと、Gavagaiを(とりあえず)ウサギを指すと解釈した場合、このバイアスに基づいてちょうど目の前にいたウサギだけを指すのではなく、犬やネコと同じようにウサギ全般を指す言葉だと解釈する傾向が現れます。

これについてはハーバード大学で3~4歳児を対象に行われた実験があります。
実験ではページに基準の絵が一つと、それを囲むように別の絵が4つ配置された本が用意されました。その絵のうち2つは基準の絵と同カテゴリ(基準が牛であれば犬やネコなど他の動物)、残り2つは基準の絵と主題関係にある(基準が牛ならミルクや牛小屋など、主語と述語の関係でつなげられるもの)です。
対象の児童は2グループに分けられ、一方のグループでは基準の絵を指し示し、「同じもの(カテゴリが同じとも、基準との主題関係に基づくとも解釈できる指示)」を探すよう指示してその理由までを尋ねました。もう一方のグループも同様の手順を踏みましたが、こちらは基準の絵を指し示す際に本来のものではない適当な名前をでっち上げて呼ぶという操作を加えてあります(牛を指差しながら「”コルドー”と同じものはどれかな?」という風に)。

結果は、前者のグループではカテゴリによる区別と主題関係による区別がそれぞれ半々だったにもかかわらず、後者のグループではカテゴリによる区別の割合が上回っていました。
この結果は、幼児は初めて聞くでっちあげの名前を基準の絵の呼び名だと認識し、事物カテゴリバイアスが作用した結果、カテゴリ分けによる分類に意識が向いたためであると解釈できます。

相互排他性バイアス

最後に紹介するのは相互排他性バイアスです。

これは、あるものには1つしか名前がないと解釈する傾向のことで、主に3歳以前の子供に見られます。
Gavagaiの例をまた使ってみましょう。Gavagaiがウサギを指すと解釈した場合にこのバイアスが働くと、“ウサギを指す際の言葉はGavagaiしかあり得ない”と認識することになります。

これに関する実験を見てみましょう。
ある実験では幼児を対象に2つのものを見せました。ひとつは幼児にも馴染みがあるであろうバナナ、もうひとつはまず見たことがないであろうガーリッククラッシャー。両者を並べた後で「片方はダックス(勿論でっちあげ)という名前だ」と告げ、それからどちらのものがダックスかを選ばせたのです。
結果は、大多数の幼児がガーリッククラッシャーをダックスだと判断しました。
この結果は相互排他性バイアスの表れとして解釈されています。すなわちバナナにはすでにバナナという名前があると知っているため、ダックスという呼び名ではありえないという判断がなされた、というわけです。

バイアスも使いよう

このように様々なバイアスを活用して、幼児は日々多くの言葉を吸収していくのです。

またバイアスの活用が示唆することは、幼児はまず言葉と対象を対応させる作業をスピード重視で行い、自分が理解できる言葉の意味の体系をある程度急速に作り上げるらしいこと。そしてその際に起きたエラーは後々の学習の積み重ねで修正していくというアプローチを取っているかもしれない、ということです。

このように判断の妥当さよりも処理の簡潔さが重視される状況では、バイアスはこのように利点として活用しうるのです。