未成年の異常犯罪はなぜ起こる? 「絶歌」を書いた猟奇殺人の酒鬼薔薇聖斗や佐世保事件から学ぶべきもの

2015年6月11日、1997年に神戸連続児童殺傷事件(通称、酒鬼薔薇聖斗事件)を起こした少年Aが執筆した手記「絶歌」が発売され、大きな話題となりました。

酒鬼薔薇聖斗事件は、児童を次々に殺傷し遺体を解体するその手口から極めて残虐な事件として人々の記憶に残り、この手記を発表した少年Aが発表を「自己救済」のためだとしており、印税の使途なども不明で、被害者家族などからは激しい批判を浴びています。

しかし、この少年Aの行為を安易に批判するのは難しいかもしれません。少年犯罪というのは、当時14歳だった少年一人に責任の全てを被せることは出来ないからです。

何故、こんな事件が起こってしまったのか?
酒鬼薔薇聖斗事件や2014年に起こった佐世保女子高生殺人事件からその教訓を見つけ出していきたいと思います。

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「人にやられて嫌なことは人にはしない」で本当に良い?今の大人は危険ドラッグや援交を否定できるか?

危険ドラッグ使用者による事故や犯罪が多発し、SNSを通じた援助交際なども近年増加の一方を辿っている。犯罪行為とまでは言えなくとも、公共の場でのモラルやマナーの崩壊も叫ばれている。コンビニの前で座って飲食する若者や車内で化粧する女性。小さな声ならば大丈夫だろうと車内で通話するサラリーマン。

他の人に迷惑が掛かっているとは言い切れないし、犯罪行為でもない。また、最低限の配慮はしていると感じられると何も言えない。しかし、「本当にそれで良いのか?」と疑問に感じる場面は沢山あるはず。

日本に限らず、
「人にやられて嫌なことはするな」
「人にされたら嬉しいと思えることをしろ」
こんな風に一個人の感覚に依存した倫理感が植え付けられると、その個人の感覚を超えた「公共心」などが関わっている時に何も言えない。

あなたは、「誰にも迷惑は掛けていないのだから、別に良いでしょ? 他の人が同じことしてても気にしない」と言われて、きちんと答えられますか?

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道徳教育の充実と少年犯罪の防止、モラルを教える物語の力

文科省は佐世保女子高生殺人事件を受け、文科省は道徳教育の強化が急務だとして、骨子案を作成しました。中には、今までは教科として扱われていなかった道徳教育を「教科」、すなわち国語や社会等と同様に扱うことなどが含まれています。

確かに、未成年による重犯罪の多くに、少年少女のモラルの欠如が見られます。
子供たちは大人に比べて精神的に未成熟であり、善悪の区別がつきません。そのため、犯罪と遊びの境界が曖昧で、さらに犯罪の中でも度を超えたものとそうでないものの区別が付かない傾向があります。

人を傷つけることが何故いけないのか?人を殺すことが何故いけないのか?遺体をバラバラにすることが何故いけないのか?

道徳教育でそれらを教えることが出来るのでしょうか?

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未成年の猟奇殺人、佐世保事件と過去の未成年殺人を比較する(後編)

※本記事は、未成年の猟奇殺人、佐世保事件と過去の未成年殺人を比較する【前編】の続きとなる、後編にあたる記事です。

佐世保女子高生殺人事件は、過去の未成年による猟奇殺人事件と多くの共通点がありました。

前編では、「酒鬼薔薇聖斗事件」や「会津若松母親殺害事件」で、遺体をバラバラにしているという点に着目し、犯行に至るまでの過程、犯人の性格などで多くの共通点があることが分かりました。

後編にあたる本記事では、この佐世保女子高生殺人事件が、快楽殺人であるという点や十代の少女によって行われているという点に着目し、比較していきたいと思います。

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未成年の猟奇殺人、佐世保事件と過去の未成年殺人を比較する(前編)

佐世保で起きた女子高生によるバラバラ殺人。犯人の女生徒は、仲の良かった友人を絞殺し、死後に首や手を切断した事件。殺害の際、怨恨や金銭、口封じなどの明確な目的は無く、純粋に「殺害すること」が目的である快楽殺人であると見られている。

加害者の女生徒に関する報道は数多くあるが、事件の全貌は未だ明らかになっていない。

近年稀に見る未成年による非常に猟奇的な殺人事件ではあるが、過去にも同様の未成年の猟奇殺人は存在していた。世界的に治安の良いとされる日本で起きた未成年による猟奇殺人をここ20年前後でピックアップして、今回の事件と比較してみたい。

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