蛇を使った大道芸はインドのものが有名だった。
二昔前ならば、ターバンを巻いて髭を伸ばしたテンプレ的なインド人が笛を吹いてコブラを操る様がテレビでも見られたものだ。
しかし最近では、インド国内でもこの芸は絶えて久しいという。
動物愛護の機運の高まりを受け、インド国内では2000年代後半に野生生物保護法の適用が厳格化され、芸に不可欠なコブラの入手ができなくなってしまった。
インドの蛇遣い芸は古くから存在し、20世紀初頭にその最盛期を迎えた。しかし1972年、インド国内で野生生物保護法が制定され、1990年代にその適用が蛇遣い芸人にまで及ぶようになってからは次第に数を減らしていった。
当然これは蛇遣い達の反発を招き、政府と芸人達との折衝が続いている。
政府としても無視できない問題で、蛇遣いの経験を活かして蛇の世話係になれるよう教育を受けさせたり、少数の芸人に特例として観光地での芸を許可したりしている。
ところで江戸期の日本にも似たような顛末を辿った蛇遣い芸が存在した。
朝倉夢声の『見世物研究』にその子細が記されている。
同書に依れば日本の蛇遣いはインドのそれとはかなり異なるもので、ザルに入れた蛇を十数匹掴み出し、それを首や手足に巻き付かせたというものである。
芸と言うにはあまりにつまらないが、この芸人は女性が多く、客の入りは芸人の美貌に左右されたという記述を見るに、見る者は蛇などどうでもよく、女性の肢体を眺め回すのがメインのエロティックな見世物として楽しんでいたフシがある。
危険がなかったかといえばその点抜かりなく、この芸の秘伝を説いたという『蛇遣い覚書』には木綿の布で蛇の鱗のトゲをそぎ落としたり木綿布を噛ませて歯をへし折ったりして弱らせる方法が載っている。
そうして弱った蛇の世話の仕方も書いてあり、歯のなくなった蛇でも数年は生きていたらしい。
1670年代から江戸で流行したこの蛇遣い芸は、さまざまな俳句や随筆に記されるほどの盛況を博した。
しかし世に言う犬公方、徳川綱吉のいわゆる生類憐れみの令が布告されてからはその勢いも衰えたものと見られる。
事実、江戸の町に発せられたお触れを集成した『正宝録』には、生類憐れみの令の布告にもかかわらず蛇遣いの興行を大々的に行っていたので逮捕された者の記録が残っている。
生類憐れみの令が廃止されてからはこの芸も復活し、かつてほどの盛況はないものの興行は長く続いた。
その蛇遣い芸も明治期になればいつの間にか消えてしまったという。
文化的背景、また芸の内容自体も全く異なるこの二国の蛇遣い芸が時代を超えて似たような顛末を辿ったというのはなかなか興味深い。
当時にあって動物愛護を謳った(それがよい方向に働いたかはともかく)綱吉に先見の明があったのか、はたまた動物に対する人間の認識や関わり方というものには昔から大した変化がなかったか。
そのどちらであるのかは、少々議論の余地があることだろう。