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SF界の忘れられた巨人、エドワード・ペイジ・ミッチェル

エドワード・ペイジ・ミッチェルは1852年アメリカ合衆国メーン州で生まれたSF短編作家。しかし、生涯で自身の本を出版する事は無く、彼の著作は全てニューヨークの大衆新聞誌である『The Sun』紙上で発表された作品のみでした。

後に著作がまとめられ、『タイムマシン』や『宇宙戦争』を書いたH.G.ウェルズと並び称される程のSFの先駆者として、SF界の失われた巨人として知られるようになったE・P・ミッチェル。彼がなぜ無名のまま忘れ去られ、なぜ今日再評価される様になったのかについて、迫って行きたいと思います。

『The Sun』誌での掲載

今でもイギリスに『The Sun』と言う同名のタブロイド新聞がありますが、これは全く別の新聞であり、彼が務めていた『The Sun』紙はニューヨークの新聞で、1950年に廃刊になっています。

当時、『The Sun』誌は、ニューヨークにおいて、『Times』や『Herald』に並ぶ有名な大衆紙ではあったのものの、新聞内の短編と言う特性上、作品は読み捨てであり、さらに彼の名前が新聞内に併記されることはなかったため、彼の生涯の間に作品が評価されることはありませんでした。

作品のほとんどは1870年代中頃から1880年代中頃の10年間で書かれたもので、寄稿者として作品を寄稿していた時代の作品であり、後に『The Sun』紙の編集者となってからは作家としての執筆活動はいないため、もしこの時に評価されていたら、もっと多くの作品が作られていたのではないかと悔やまれてなりません。

彼は1927年に亡くなり、長らく存在すら知られていなかった作家でしたが、それから半世紀近くを経た1973年に『The Sun』紙に掲載された彼の作品が一冊の本にまとめられました。埋もれていた彼の業績はそこでようやく人々の知るところになり、今日ではSF小説の先駆者の一人として知られています。

E・P・ミッチェルの作品について

彼の作品に際立つものは、その卓抜した先見性です。1881年に発表した『The Clock that Went Backward』では、H.G.ウェルズの『タイムマシン』に先んじてタイムスリップをする機械について書いている上に、同じく1881年に発表された『The Crystal Man』では、これまたH.G.ウェルズの『透明人間』よりも先に、科学の力で透明になる人間の話が書かれています。H.G.ウェルズが、『The Sun』誌の彼の作品を見て着想したと言われても誰も疑いはしないでしょう。

他にも1879年の『The Ablest Man in the World』ではサイボーグを、1877年の『The Man without a Body』ではテレポーテーションを扱っています。1879年に発表した作品『The Senator’s Daughter』で、彼は1937年の60年後の未来を描き、作中では電気ヒーター、FAX、コールドスリープ、国際放送などの登場が予言されており、彼が如何に先進的なSF作家であったかが理解できます。

彼の処女作であり、光の速さを越えることが出来る機械を扱った『The Tachypomp』は、彼が眼病を患い、両目の失明の危険があった生活の中で書かれたものです。その30年後に、アインシュタインが光の速度が絶対であるということを説明した相対性理論を発表する事になるのですが、光を失いかけた若者が、光を越える機械を描く、どこか因縁めいたものを感じます。

失明と超常現象への傾倒

彼が『The Tachypomp』を書き、一時的とはいえ作家人生を歩むきっかけになったのは失明(右目だけ)でした。

機関車の灰が目に入り、それが原因で左目が炎症を起こし、左側が全く見えない状態になります。そして、『交感性眼炎』と言う、炎症を起こしていない目に炎症が飛び火する合併症を併発。一時的に両目が見えなくなってしまいます。幸い最初に炎症を起こした左目が完治したため、両目の失明は免れましたが、右目は回復せず、最終的に片方の目は義眼になっていたそうです。

この失明の危機に彼が何を思い、心中でどんな変化があったのかは分かりませんが、それ以来非常に先進的なSF小説を書くようになっています。さらに、心霊現象や超常現象にも強い興味を抱くようになり、『悪魔の鼠(The Devilish Rat)』や『魂の交換(Exchanging Their Souls)』でもその一端が現れています。

編集者となってからも、心霊現象や超常現象を取り上げた記事を書く機会も多く、目が見えなった事で、目では見えないものに強い興味を抱くようになった事が伺えます。

E・P・ミッチェルの人生

SF作家としての人生はたったの10年だけでしたが、その間に本当に多くの革新的なSF作品を書きました。

一方で、彼の作品が掲載された『The Sun』誌の編集者として、『The Sun』誌に人生の多くを捧げ、最終的には編集長となり、『The Sun』誌をニューヨークを代表する新聞へと成長させました。

作家として無名な彼も、『The Sun』誌の編集長としては、著名で力のある人物であり、自身の作品をまとめて出版することは決して難しいことではありませんでした。しかし、彼は作家としての名声を求めることは無く、一度として自身の作品を多くの人間に伝えたいとは思わなかったようです。

死後50年してから、アメリカSF界に、世界に名を知られるようになったE・P・ミッチェルですが、彼はそれを望んでいたのでしょうか?

それこそ、時間旅行でもしてみないことには分かりませんね。

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