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太平洋戦争の米潜魚雷が不具合だらけ?(後編):接触信管まで動かない!Mk14魚雷の最後のトラブル

魚雷の深度調節装置の不具合に始まり、ようやくそれが治ったと思えば磁気信管の不具合。終いには、磁気信管の不具合が治らないからと、磁気信管の使用を禁止して接触信管(衝突時に爆発する信管)に変更する始末。

接触信管は古い魚雷でも使われていた信管で、問題なく動いていた装置。最新の技術を使っている複雑な磁気信管とは違って、信頼性も高いはずだったのだが・・・米軍の潜水艦乗りは、予想外の自体に遭遇する事になる。

接触信管の不具合

太平洋戦争開戦から1年半を優に過ぎた1943年7月24日、アメリカ潜水艦隊の使っていたMark-14魚雷の磁気信管の問題が確認され、今後は信頼性の高い接触信管だけを使うよう命令が下る。これで魚雷の不発はなくなると期待されたのだが、不思議な事に魚雷の不発はなおも続いた。

そして丁度このころ、接触信管への信頼性までを大きく揺るがす出来事が起こる

米潜水艦ティノサの災難

1943年7月24日、真珠湾から出撃した米潜水艦ティノサがトラック諸島西方沖で日本のタンカー、第三図南丸を発見。9時23分に行われた斉射を皮切りに、計15発に及ぶ雷撃を加えた。

命中弾13発の内、爆発したのはたったの2発。ティノサが使ったのは接触信管で、爆発はしなくても舷側に魚雷がぶつかる音で命中はわかった。特に7発目以降の雷撃は全弾命中しても全てが不発で、哨戒記録には「Hit. No effect」(命中するも変化なし)の文字がいくつも躍ることになる。

磁気信管の使用が中止され、ようやく魚雷の問題がすべて解決されたと思われた矢先の出来事だった。

ちなみに、魚雷攻撃を受けた「第三図南丸」は航行不能になるもののなんとか生き延び、トラック泊地でしばらく石油タンク代わりに使われることになる。また、その大量の魚雷が船に突き刺さった姿がまるで「かんざしを差した花魁」のようであることから、工作艦明石に修理を受けるまで一時期「花魁丸」と呼ばれていたほどだった。つまり、米潜水艦からかんざしをもらった花魁の様な船という扱いになっていたということ。なんとも皮肉な話である

近接信管のテスト

最終的にティノサは、護衛の駆逐艦からの攻撃を振り切って真珠湾に帰投。さすがに異常だと思ってか艦長は検証用に魚雷を1発残しており、帰投後に異変の報告と残った魚雷の検査が行われたが、魚雷自体に異常は見られなかった。

 しかし事ここに至って海軍が事態を看過するはずはなく、およそ1ヶ月後の1943年8月31日、接触信管のテストを実施。テスト場で魚雷を連続して発射したうち不発になった3発目を回収し、分解して調査を行った結果、不発の原因が明らかになった。

命中した魚雷の信管が爆発を起こす前に壊れていたのだ。


(Mk14魚雷―先端付近に信管機構[exploder mechanism]が搭載)

不具合の原因

Mark-14魚雷の接触信管は、旧型のMark-10魚雷に使われていたものから大した変更を加えられずに転用されたものだった。設計自体に問題はなかったのだが、Mark-14魚雷は旧式と比べて高速であり激突時の衝撃も大きかったため、起爆装置がそれに耐えられず、爆発が起きる前に部品が壊れて不発になってしまったのだ。

原因が究明されてから解決まではすぐだった。設計の大幅な見直しをせずとも、負荷がかかる部品の強度を増しただけで魚雷は正常に作動するようになり、とうとう1943年10月、Mark-14魚雷のすべての問題は解決する。太平洋戦争開戦から実に21ヶ月が経過していた。こうしてようやくアメリカの潜水艦隊は持てる力を存分に発揮できるようになり、以後の戦果は目覚ましい向上を見せた。

実際、日本軍船舶が被った潜水艦による被害はこの時期より倍増している。

一連の問題について、根本的な原因とは?

第一に、設計段階での問題が挙げられる。Mark-14魚雷が開発された戦間期には軍の予算は少なく抑えられていた。その上、最先端技術の塊である磁気信管の開発は他国に情報が漏れないようにしなければならない。これらの条件が重なって当時の海軍兵器局は十分なテストが行えなかったという背景があり、これが設計ミス発覚の遅れにつながったことは想像に難くない。

しかし、問題が長期化したのは発覚してからの海軍兵器局の態度であった。深度調節に関しては優に半年もの間潜水艦隊からの報告を無視し続け、磁気信管の不調についても結局解決策を出せなかった上、より確実と思われた接触信管への完全な切り替えまでにさらに1年をかけている。しまいに接触信管にまで問題があったのだから目も当てられない。

この一件は、自信と過信の境界を考えさせられる。魚雷の調子がおかしいという現場からの報告を兵器局が無視したのは行き過ぎた自信ゆえのことで、信頼すべき道具の信頼は何によって保たれるのか、その道具に責任を持つ者はどう振る舞うべきなのか、という難しい問いを投げかける一例といえるだろう。

余談

余談になるがこの頃海軍兵器局に面白い人物が関わっている。相対性理論を提唱して現代物理学の礎を築き、20世紀最高の物理学者とも称されるアルバート・アインシュタインその人だ。

彼は1943年からすくなくとも1944年末まで、日給25ドル(2015年現在の約350ドル相当)で兵器局のアドバイザーとして雇われていた。魚雷の設計や改良にも関わっていたらしく、当時の手紙には魚雷の破壊力に関わる水中爆発についてのやりとりや、自身で考案した磁気信管のアイデアなどが書かれている。

海軍兵器局が、どれほど本気でこの問題を深刻に捉えるようになったかがこの話から伺える。

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