古来より、麻薬というのは様々な手段で密輸が行われていた。
そして現代。陸上も水上も空もその全てが政府機関によって監視されている中で、水の下を潜って移動するというのは、唯一と言って良いほどの高い隠密性をもつ移動手段となる。
数十年前までは国家レベルの技術力が必要なだった潜水艇も、技術の進歩した現代では、麻薬組織のような比較的小さな組織ですら運用できるようになっている。
潜水艇の強みを活かした麻薬密輸
海洋での隠密行動が可能という潜水艦の特性を攻撃や偵察だけにとどまらず輸送にも活用しようという動きは古くからあった。第二次大戦中の日本では三式潜航輸送艇を使ったモグラ輸送が有名だが、同時期の遣独潜水艦作戦もいわば潜水艦を使った超長距離の輸送であるといえる。ドイツに話を向けるならば1945年にU-234が輸送潜水艦として日本に新兵器とウラン塊を運ぶため出港したし、ドイツ降伏に際しては多くの金品やナチス残党をUボートで秘密裏に南米へ輸送したとみられている。
実は潜水艦を用いた輸送は今現在も活発に行われている。最大手は数奇なことに南米に存在し、それが何者かといえば、コロンビアの麻薬カルテル。かれらは驚くべきことに自前で本格的な潜水艇を建造し、麻薬の海上輸送を行っているのだ。
コロンビア含むアンデス周辺の国々からは膨大な量の麻薬がアメリカに密輸され、その総額は年数百億ドルから一千億ドルに上る。アンデス周辺の国で生産された麻薬の80％はまず海路を通ってホンジュラスやメキシコまで運ばれ、そこから陸路でアメリカ国内に密輸されるが、DEA（アメリカ麻薬取締局）は海路を通る麻薬のうち30％が潜水艇で運ばれているとみている。
こういった麻薬カルテルが密輸に用いる潜水艇はNarco-submarine（麻薬密輸潜水艇。Narcotics（麻薬）とSubmarine（潜水艦）を合わせた語）と呼ばれ、この10年ほどの間年1隻か2隻が見つかってニュースになったりしている。
当然ながらこのような潜水艇を造るには大金が必要で、人手や秘密の建造場所も確保せねばならず手間もかかる。しかし100万ドル程度で建造できる比較的安価なものでも一度に10トン（価格にして約2億ドル）の麻薬を輸送でき、発見さえされなければ繰り返し使えることを考えると、割の良い投資だといえるだろう。十分な「稼ぎ」のある麻薬カルテルだからこその芸当だ。
Narco-Submarine（麻薬密輸潜水艇）の分類
麻薬密輸潜水艇と呼ばれるものは大別して3種類ある。
1つはFully Submersible（完全潜航可能型）。
自力航行が可能で、海面下に潜り完全に身を隠すことができる。技術的には最も高度なもので、これまでの発見例は少ない。しかし最も探知しにくい型であり、実際にはそれなりの数が稼働していると考えられている。
またこれの亜種で“魚雷”（Torpedo）と呼ばれるものがある。これは数トンの麻薬を搭載できる小型のコンテナで、水深30メートル程度の深度を保って船から曳航するものだ。もし密輸船の嫌疑をかけられて停船を求められても船から切り離せば調べられずに済むし、一度切り離しても後から探し出せるように発信器を組み込んだものまで存在するという。
次にSemi-Submersible（不完全潜航型）。
こちらはバラストを使用してある程度の深度調節が可能だが完全に潜水できるわけではなく、船体の一部は常に海面上に出ている。麻薬密輸潜水艇の黎明期に発見例がごく少数あっただけで、発展段階の一形態だったと思われる。
最後にLow-Profile Vessels（低乾舷船、LPV）。
これは麻薬密輸“潜水艇”の一種であるが厳密には潜水艇ではない。船体の大部分が海面下に沈み、ほんの一部が海面上に出るよう設計された船で、潜水や浮上したりの操作は行えない。基本的にはただの船だがレーダーに引っ掛かりにくいという特性があり、この数年発見数が多いことから麻薬密輸の主軸を担っているとされる。
これら麻薬密輸潜水艇の歴史は20年以上さかのぼる。
1980年代、アンデス周辺国からの麻薬の海上輸送は高速のモーターボートで夜間に運ぶか小型飛行機を使っていた。しかし1990年頃になると軍や警察のレーダーと通信技術が進歩したため摘発される例が増えてくる。麻薬カルテルはそれまでよりも発見されにくい輸送方法を模索する中で、自前の潜水艦を造るという発想に行き着いた。
麻薬密輸潜水艇の歴史
麻薬密輸潜水艇が初めて確認されたのは1993年のことだった。
この年、コロンビア領のサンアンドレス島付近で、麻薬2トンを積んだ奇妙な形の船が拿捕される。地名を取ってサンアンドレス型と命名されたこの船はSemi-Submersibleの区分に属し、エンジンと格納庫を擁する船体は水中に隠れているがエンジンからの排気パイプが常に海上に出ているので、上空からの発見は比較的容易だった。全長はおよそ7メートルで乗員は2人。船内に2トンの麻薬を積み込める設計になっており、材質はファイバーガラスと木材だった。
(サンアンドレス型＿Covert Shores Naval Warfare Blog)
翌1994年にはコロンビアのサンタ・マルタ沖で1隻が発見され、タイロナ型と名づけられる。ファイバーガラスと木材でできた10メートル程度の船である点はサンアンドレス型と大差ないようだが、これは船体外部に鉛製の重りを取り付けることで深度調節が可能であり、船体は全て海中に没するようになっていた。潜航深度は浅いものの高度な航行装置と通信器機を有し、荒削りながら本当に潜航可能な最初の型であった。
(タイロナ型＿Covert Shores Naval Warfare Blog)
続く1995年に別の1隻がコロンビアのカルタヘナで発見された。地名にちなみカルタヘナ型と名づけられたこの船は発見当時未完成であったが、この船は現在の潜水艦と同様の葉巻型船体を有し、同じ材質でもタイロナ型より深く潜航できるよう設計されていた。潜航は相変わらず船体外部の重りに頼っていたと思われるが、船体設計の著しい合理化は注目に値する。
(カルタヘナ型＿Covert Shores Naval Warfare Blog)
その後数年間この手の潜水艇は発見されなかったが2000年9月、コロンビアの首都ボゴタにほど近いファカタティヴァにて、建造途中の大型潜水艇が発見された。ファカタティヴァ型と名づけられたこの船はそれまで発見された中で最大級かつ技術的にも最高級のものであり、全長30メートル、幅3.5メートルの船体には12人の乗員と200トンの麻薬を収容可能だった。船体は二重船殻になっていて潜航可能深度は100メートル、航続距離は3700kmと推定され、深度探知用ソナーやGPS、航行用レーダー等が装備される予定だったとみられている。軍用にはかなわないが破格の性能だ。
(ファカタティヴァ型＿Covert Shores Naval Warfare Blog)
いくら資金力があっても、これだけの潜水艇を建造するのは軍事について門外漢である麻薬カルテルには荷が勝っているように思われる。これをなし得た背景には、ロシアの犯罪組織の関与が疑われている。
ファカタティヴァ型発見を報じた当時のBBCニュースによると、建造施設内にはロシア語の書類が残されていたことから、地元の警察はロシアンマフィアかロシアの技術者が建造に関わっていたと推定したという。
また1995年にはロシアンマフィアの潜水艦売却を仲介したロシア人の男がFBIに逮捕された。この事件では旧ソ連の潜水艦がロシアンマフィアからコロンビアの麻薬カルテルに売却されることになっていた。最終的に取引は行われなかったというが、男の公判中の陳述書には、コロンビア内の麻薬カルテルが旧ソ連の航空機やヘリを計47機保有し、麻薬やその原料となる化学物質の輸送に用いているとの記述があった。
このような話を聞くと、潜水艦丸ごとという大がかりなものは稀にしても、犯罪組織を通じて旧ソ連からの技術情報や人員の流入が少なからず起きているだろうこと、そしてそれが麻薬カルテルの潜水艦建造技術向上に寄与したことは想像に難くない。
近年の麻薬密輸潜水艇
2006年は麻薬密輸潜水艇について注目すべき出来事が多い。
この年、スペインで1隻の麻薬密輸潜水艇が発見された。ビーゴ型と命名されたこの船はスペイン国内で建造され、設計や材質の特徴からコロンビアの麻薬組織とは関連のない集団（ないし個人）の手によるものと考えられている。全長11メートル、幅3メートルと小型ながら船体内にバラストタンクを有し、タイロナ型と違って海水の注排水による深度調節が可能な上、ディーゼル・エレクトリック機関で動く本格的なものだった。しかし小型だけに航続力は低く、沿岸から人知れず発進して沖合の貨物船から荷を受け取るために使われていたと推定される。
性能こそ控えめながら、コロンビア以外にも技術が拡散している可能性を示す一例であり、同時に警鐘であるともいえよう
(ビーゴ型＿Covert Shores Naval Warfare Blog)
また同年11月、コスタリカ南西沖を航行中の麻薬密輸潜水艇がアメリカ軍により拿捕された。これはアメリカ軍が実際にこの手の船を発見・拿捕した最初の例であり、「噂に聞いてもそれまで見たことはなかった」ことからビッグフットと名づけられた。
このビッグフットはLPVに分類される船である。ちなみにこのビッグフット、現在はフロリダ州キーウェストにある海軍航空基地内に船体が飾られているという。
(ビッグフット＿Covert Shores Naval Warfare Blog)
LPVはビッグフットが拿捕された2006年頃を境に頻繁に確認されるようになり、また2010年にはエクアドルで全長30メートルの大型潜水艇も発見されているなど、今後も麻薬密輸潜水艇の数は増大していくものとみられている。
麻薬密輸の問題もさることながら、ビーゴ型の例が示すように、犯罪組織への潜水艇建造技術の拡散の可能性もまた安全保障上の大きな脅威となりうる。十分な資金があれば建造でき、積載量が数トンから10数トンに上る麻薬密輸潜水艇は兵器や人員輸送にも活用できるため、テロ組織の物資輸送や海賊行為などに用いられる恐れがあるのだ。
今は主に中南米諸国とアメリカの間で問題となっている麻薬密輸潜水艇だが、いずれ対岸の火事と傍観できなくなる時が来るのかもしれない。