野生の草木や野生の動物など、人間の手を借りなくてもそこにある生物だけで生態系が維持されている環境をわたしたちは「自然のもの」と呼んでいます。
ここでもし人間が「作り出した」生物が生態系に入り込んで増えていき、野生の動植物と混ざり合って維持管理に一役買ったとしたならば、それはどこまで「自然のもの」だと言えるのでしょうか?
シンセティック環境保護(Synthetic Conservation)という考え方が普及すれば、「自然」の意味が変わってくる未来があるのかもしれません。
シンセティック環境保護とはなにか
シンセティック環境保護とは、合成生物学(Synthetic Biology)の知見や技術を従来の環境保護に取り入れようという発想です。
合成生物学とは一体何なのか?
これは非常に難しい質問です。まだまだ発展途上の科学分野であるため厳密な定義がなく、研究者ごとに十人十色の答えが出るものなのです。現時点でおおむね共通しているのは、「DNA配列を操作することで生物の機能をデザインしていくもの」という認識でしょうか。いずれ厳密な定義ができたときも、この要素は必ず入ってくることと思います。
それの一体何が新しいのかと思った人もいるかもしれません。人間のDNA配列を解読するヒトゲノム計画や遺伝子組み換え食品などはすでに10年も20年も前に登場していたものです。DNAを調べたり操作するという点だけを見るならば、とっくの昔にさんざん騒がれたトピックのはず。
こうした従来の遺伝子操作と何が違うのか?
もちろん技術の進歩のおかげで、DNAを操作する工程の効率が向上しているという側面はありますが、それは従来の遺伝子操作も同じこと。合成生物学の先進的な点は、DNAの塩基ひとつひとつを合成する技術を使い、「コピペ」を使う遺伝子操作から脱却した点と言えるでしょう。
コピペに頼らない遺伝子操作
以前の遺伝子工学は「コピペ」に頼っていました。
たとえばカニのDNAの一部をウニに移植したい場合、かならずカニのDNAを調べ、移植したい部分を特定し、その部分を切り取ってウニのDNA内に貼りつけるという手順を踏んでいました。これがカキだろうがウシだろうが同じことで、DNA配列を移植する際には必ず現物をどこかから持ってくる必要があったのです。これでは時間がかかり、切り取り元の調達の手間もかかります。
合成生物学は、A、T、G、Cで表されるDNAの塩基一つ一つを合成することでこれを解消しました。DNAの基本ブロックと言える塩基を個別に合成する設備を活用し、コンピューターからの入力を各塩基と対応させて合成することで、いわばタイプした文章を印刷するようにDNA配列を自由に作り出すのです。
こうして「コピペ」から脱却したことで、これまでにない柔軟なDNA配列を作り出すことが可能になりました。
合成バクテリアと新しいDNA
合成生物学の大きな成果の一つは、2010年にJ.Craig Venter研究所で作られた合成バクテリアでしょう。この合成バクテリアは人工のDNAを組み込まれて「誕生」した生物です。
研究所はまずマイコプラズマ・ミコイデスという細菌の全ゲノムを再現したDNAを合成(コピペじゃなく!)し、それをマイコプラズマ・カプリコルムという別種の細菌の細胞に移植。108万個もの塩基配列が並ぶこの合成ゲノムは見事細胞を「起動」させ、生命維持と増殖が可能な一個の細菌として活動を始めたのです。
面白いことにこの生物のDNAには、後の人が見て人工物とわかるようにと、研究に寄与した科学者の名前や引用文などが「透かし」として書き込まれています。これはDNA配列の操作を「コピペ」に頼らない合成生物学ならではの技術が活かされた例でしょう。
もう一つ注目の研究は、2014年にカリフォルニアのスクリプス研究所が発表した、6つの塩基を持つ細胞です。
DNAの塩基は通常、アデニン(A)とペアを組むチミン(T)、グアニン(G)とペアを組むシトシン(C)の4種類だけ。ところがこの研究ではDNAの塩基の分子そのものに手を加え、新たにXとYの2種類を余分に持つ細胞を作り出したのです。
通常のDNAは20種類のアミノ酸を作り出し、生物の体内ではそれを組み合わせて様々なタンパク質が作られます。XとYが追加されたこのDNAはなんと172種類のアミノ酸を作り出し、より幅広い種類のタンパク質を作ることができるのです。発表時点でこの細胞は研究所の環境内でしか生存することができない状態でしたが、将来的にはがん細胞だけを殺すタンパク質の開発や、顕微鏡下で観察しやすいように光るタンパク質などへの応用が期待されています。
こうした合成生物学の成果を踏まえ、動物の保護や環境変化などによる絶滅の抑制を超えた、より踏み込んだ活動をしよう――これがシンセティック環境保護の考え方です。
シンセティック環境保護への流れ
現在進行中のプロジェクトには、絶滅動物の復活や、生物多様性を脅かす病気や外敵の駆除などが存在します。
数千年、数万年のスパンで文化や科学を考えるロング・ナウ協会は現在、複数の絶滅種を復活させるプロジェクトを進めています。2012年にはリョコウバトの復活、2016年にはニューイングランドソウゲンライチョウの復活プロジェクトが発足。将来的にはマンモスを復活させるプロジェクトも計画されています。
ロング・ナウ協会はこうした再生プロジェクトを「脱絶滅」(De-extinction)と呼称していますが、これはDNAを操作する技術活用をクローン作りだけで終わらせないという目標の高さが表れているように思われます。「脱絶滅」のステップは、まず復活させる動物が絶滅以前に暮らしていた生態系と現在の地球環境を比較することから始まります。その後、うまく今の環境と調和していけるモデルを考えた上で自然の中に放していき、最終的には生態系の中に調和させていく。個体ではなく、自然環境の中で存続する種を復活させることこそ「脱絶滅」の目標なのです。リョコウバトの例では北米東部の森、マンモスの場合はツンドラ地帯で「野生動物」として定着させることを目指しています。
絶滅動物を脅かす外敵の駆除にも合成生物学の技術が応用される兆しが見えてきています。アメリカに本拠を置く環境保護団体アイランド・コンサベーションは、絶滅危惧種の海鳥を守るため小島に住むネズミの駆除を行っている団体です。駆除には主に殺鼠剤を使っていますが、大きな島では効果が薄くなります。そこで、遺伝子操作を駆使したネズミ駆除へと研究の舵を切りました。
アイランド・コンサベーションはオーストラリアとアメリカの科学者チームと共同研究を行い、子孫がオスだけになるよう遺伝子操作を施したネズミを作成。このネズミにはさらに、DNAの継承の割合を偏らせて集団の遺伝子を急速に改変する「遺伝子ドライブ」という技術も組み込まれています。このネズミを野生ネズミの集団に紛れ込ませ、「オスだけが生まれる」遺伝子が集団内で広まれば、やがて繁殖できなくなって駆除される、というシナリオです。
そのようなネズミの個体が完成したのは2017年2月のことですが、すでに多大な議論を巻き起こしています。最も多い批判は、万一想定を超えてネズミが広がってしまえば、広い範囲の生態系をかき乱す可能性があるということです。一方でこの方式でのネズミ駆除の効果事態を疑問視する声もあるなど、実証を踏まない現時点では効果もリスクも未知数だと言うほかないでしょう。
合成生物学の技術を最大限活用すれば、地球環境や生態系をコントロールできる度合いは飛躍的に向上するでしょう。同時に、人間が脱絶滅させた生物が溶け込んだ生態系、あるいは遺伝子操作の結果環境によりよく適応して繁栄する絶滅危惧種などが出現することも予想されます。
その時、今の私たちが持つ「自然」という概念はどう変化するのか。
シンセティック環境保護は絶滅に瀕した動物の運命だけでなく、私たちと自然の関わり方そのものも変えていくのかもしれません。