きめ細やかで手触りのよい絹製品は昔から高級品として扱われてきました。
その絹製品を作り出すカイコもまた、人類と長く関わってきた歴史があります。
カイコを育てて絹を取る養蚕の長い歴史の中で、カイコという生き物そのものが野生種から大きくかけ離れた姿に変容していきました。この記事では、野生種と比べたカイコの特徴と生態、そしてカイコを現在の姿に変化させた進化のメカニズムについて見ていきます。
カイコのライフサイクル
カイコの寿命はおよそ50日。一度に産み付ける卵の数は300~400個にも上り、卵は10~12日でふ化して幼虫が生まれます。
幼虫が食べるのは桑の葉だけです。幼虫はさなぎになるまでの間ひたすら食べ続け、数日おきに脱皮を繰り返してどんどん大きくなります。
生まれたばかりの幼虫は体の色が黒く、トゲトゲした毛が生えていますが、脱皮を繰り返すにつれて体の色が白くなり、表面もつるりとした姿に変わっていきます。
さなぎになる直前は特にたくさん食べる時期で、その頃には体長が生まれたばかりの頃と比べて20倍にもなるのです。その頃には絹糸を吐き出すための器官が体重の25%を占めており、繭を作る準備が整っています。
さなぎになる直前に、カイコの幼虫は絹糸を吐き出して繭を作ります。カイコの繭は一本の絹糸から作られており、大きさ数センチの繭玉を作るためにおよそ1600m分もの絹糸が使われるのだとか。
(出典: wikipedia)
こうして作った繭玉の中でカイコはさなぎになり、やがて羽化すれば繭玉から成虫が出てきます。
家畜化されたカイコの能力
ライフサイクル自体は野生のカイコと比べてほとんど違いはありません。飼育下のカイコと野生のカイコで顕著に違うのは、身体能力を含めたサバイバル能力です。
羊や犬など、家畜やペットとして飼われている動物とは違い、飼育下のカイコは野生に放しても生き残ることはできません。
まず体の色が真っ白なので自然の中ではよく目立ちます。木の葉の上に置いたとしても、目のよい鳥にはすぐに見つかって食べられてしまうでしょう。
そもそも幼虫は力が弱いので木に留まっていられず、風が吹くと簡単に木から落ちてしまうのです。
成虫になっても野生で生きられないのは同じことで、幼虫同様に体色が白いためよく目立つのに加え、そもそも飛ぶために必要な筋肉が退化しているため、羽があっても空を飛ぶことは不可能。なので、幼虫に負けず劣らずいい餌になって終わることでしょう。
(出典: EverythingSilkworms.com)
個体としてはこのように非常に弱いカイコですが、絹糸の生産量は野生種をはるかに上回ります。
このような特徴を得たのは、ひとえに人間が数千年の間飼育を続け、より飼育しやすく、かつ絹糸の生産量が増えるような個体を選んで交配させてきた結果です。
カイコの進化
以前の種より機能が落ちていることを理由に、カイコのこうした特徴は野生種より退化した結果であると言われる場合があります。
とはいえ厳密に生物学的に言えば、退化という言葉は進化の対義語ではないのです。以前に持っていた器官や機能がなくなってしまっても、それにより適応の度合いが下がらない、あるいはよりよく環境に適応できた場合、大きな目で見ればそれは進化であるとも考えられます。
さらに、生物の進化は必ずしも個体の能力を増進させるものではありません。
進化は環境へよりよく適応するためのメカニズムですが、環境に適応するということは突き詰めれば「繁殖の可能性を高める」ということです。ある環境で繁殖の可能性が高い生物は概して個体の能力が優れているように見えますが、それは結果的にそうなったというだけ。
極端な話をすれば、寿命が半分になってしまっても、一生の間に生む子供の数が倍になれば、それはより多く繁殖ができる、つまり環境によりよく適応しているといえるのです。
ダーウィンは進化論を提唱するにあたり、「強者生存」ではなく「適者生存」という概念を提唱しました。
適者とはつまり、より繁殖の可能性が高いもののこと。生物の進化を促す要因を淘汰圧と呼びますが、カイコの場合はより多く絹糸を生産する個体を後世に残すという人間の選択が淘汰圧となり、いま私たちが見るようなカイコの姿になったのです。
求められる場では高いパフォーマンスを発揮するが、それ以外では全然ダメダメ――カイコが見せてくれるこの極端な姿は、生物種にはたらく淘汰圧の作用と、その結果起こる適応の様子を印象的なかたちで見せてくれます。
生きることをこれほど人間に依存していると、もはやカイコは人間に寄生して生きていると言っても過言ではないのかもしれません。