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人工ウイルスは危険? 平和利用への取り組み

世界各地で感染を拡大させている新型コロナウイルス。治療法の開発に企業や研究機関が奔走するなか、2020年2月、ノースカロライナ大学でのユニークな試みが報じられています。

それは新型コロナウイルス(COVID-19)の人工合成。すでに判明しているウイルスのDNAをもとにウイルスを再現し、それをマウスに感染させて薬品の実験をするという試みです。

この例に限らず、医療目的での人工ウイルス作成は近年飛躍的に研究が進んできており、合成ウイルス学(Synthetic Virology)という一分野として確立されています。

本記事では、合成ウイルス学の概要、そしてユースケースについて解説していきます。

ウイルスの合成

ウイルスは生物の細胞や細菌よりもはるかにシンプルな構造をしています。

ウイルスにあるものは、ほぼDNAとそれを守るタンパク質の殻、そして外側の脂肪分の膜だけ。菌と違って生命維持に必要な構造もなく、DNAも短いので、DNA配列さえわかっていればPCA法やギブソン・アセンブリなどの手法を活用し、比較的簡単に合成できるのです。

合成ウイルス学の実際的な応用範囲のうち、インパクトの大きいものにはワクチン開発がん治療法の開発があります。

ワクチン開発

利点:
効果の高い生ワクチンを低コストで作ることができる

生ワクチンとは何か

合成ウイルスが活躍する分野のひとつは、生ワクチンの開発です。

生ワクチンとは聞きなれない名前ですが、これは何なのでしょうか?

ワクチンには、ウイルスを殺して得られる不活化ワクチンと、ウイルスを弱らせて毒性を抑えた生ワクチンとがあります。

生ワクチンの利点は低コストかつ少量で効率よく免疫を得られる点。しかし使われたウイルスが変異した結果毒性が戻って発症する、あるいは免疫の弱った人に合併症が起こるというリスクがあります。

また、生ワクチンを作る方法はウイルスごとにばらつきがあり、開発の難度が高いというのも問題点。

例えば天然痘のワクチンは、別の動物に感染する近い種類のウイルスが見つかったことがきっかけで開発されました。一方狂犬病のワクチンはウイルスを何代も培養し続け、やがて人間に症状を起こさなくなるまで変異させることで作られたもの。このように、ウイルスごとに有効な生ワクチンの作り方は千差万別です。

合成ウイルスを使った生ワクチン開発は、発症するリスクを抑えられるという利点があります。さらに、病気を引き起こすウイルスをベースにDNAを改造するので、あらゆるウイルスについて同じ手法を使ってワクチンを開発できるようになります。

安全な生ワクチンの開発

安全で、かつ多様なワクチン製造に応用できる生ワクチン製造法の確立を目指した研究が2008年、ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンにて発表されました。

研究のポイントは、病気を引き起こすウイルスの遺伝子配列を組み替えることで、感染力を落とせることを実証した点。

ウイルスは自分では増殖できません。なので別の細胞に自分のDNAを組み込み、その細胞の機能を勝手に使って増殖します。これはちょうど3Dデータだけを持っている人が他人の3Dプリンターを勝手に使うようなもの。ウイルスの持ち物はデータだけで済むので、構造がシンプルでも増殖ができるのです。

DNAはアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4つのブロックで構成され、この並び順によって何のタンパク質を作るかが決まります。

A、T、G、Cの並び順は3つ1組が基本の単位で、これはコドンと呼ばれます。基本的にはコドンひとつがアミノ酸ひとつに対応し、それが集まってタンパク質が作られるのです。

コドンの例。画像はRNAなので、TがUと入れ替わっている。

DNA配列の中には、頻繁に見られるコドンとそうでないコドンがあります。

研究チームはウイルスの中に最も頻繁に見られるコドンと、出てくる頻度が一番低いコドンに注目。ウイルスのDNAを書き換えて、出現頻度の一番高いコドンをすべて一番低いコドンに入れ替えました

そうしてDNAを書き換えたウイルスを培養したところ、感染した細胞内で増えていく性質はそのままに、感染力が著しく落ちることがわかりました。ウイルスの数が増えても細胞に感染できなければ害はないので、いわば「安全な」ウイルスです。

チームはさらに試験を重ね、培養を続けても感染力が戻らないこと、そしてこのウイルスが免疫反応の獲得に役立つということを発見。病気を引き起こさない安全性が一層強く実証されたのです。

この手法の重要なポイントは、病原体となるウイルスが手に入れば、そのDNAを組み替えてワクチン製造に活用できること。これで理論上あらゆるウイルスに応用できる安全な生ワクチン製造法の可能性が開けたのです。

ウイルス合成によるワクチン製造は、もはや机上の空論ではありません。今ではCodagenixのような企業がこの原理を応用し、ワクチンの製造販売を行っているのです。

がん治療

ウイルスの遺伝子を改変し、がん細胞に作用するよう作りかえて治療に活用するということも行われています。

がん治療に使われるウイルスは腫瘍溶解ウイルスと総称されます。その仕組みはウイルスの種類によって多少違います。

がん患者が特定のウイルスに感染した場合、症状が和らぐということは19世紀の終わり頃から知られていました。それが本格的に治療に使われるようになったのは、バイオテクノロジーが進歩した20世紀の終わり頃のこと。ウイルスのDNAを組み替える技術が確立し、望みどおりに振る舞うウイルスを製造できるようになってからです。

その利点は、従来の治療ではカバーできない患者への新しい選択肢となるという点にあります。

たとえば後述するテロメライシンという治療法は、手術や化学療法に耐える体力のない患者向けの治療法として開発されています。

2020年時点で、治験を終えて承認されている腫瘍溶解ウイルスは複数存在します。そして治療の仕組みや、作用するがんの種類もさまざま。皮膚がんの一種であるメラノーマに対しては、アメリカで承認されたT-VECというウイルスが治療に活用されます。

T-VECは遺伝子を組み換えて作ったヘルペスウイルスで、皮膚がんの一種メラノーマの治療薬として開発されました。元々はウイルスががん細胞に感染し、直接細胞を破壊して殺すものだと考えられていました。

研究が進むにつれ、T-VECが体の免疫反応をサポートするはたらきを持つことがわかってきたのです。

人体の免疫機能は、正常な細胞とそうでない細胞を区別し、異常が出た細胞を排除するようにできています。

しかしがん細胞には免疫をだまし、正常な細胞であるかのようにふるまう仕組みがあります。これでは体ががん細胞を排除できません。なので、がん治療には手術や放射線治療、投薬が必要なのです。

T-VECにはその状況を変えることが期待されています。

T-VECはがん細胞を殺すのと同時に、メラノーマに対する免疫反応を促す作用を及ぼすことが実験によってわかってきています。これは潜伏しているがん細胞を体が発見できるようサポートするのと似たはたらき。新たな種類の免疫療法となることが期待されています。

日本からは、岡山大学発のベンチャー企業で開発中のテロメライシンと呼ばれる薬剤があります。

こちらもT-VECと同様、がん細胞に感染して増殖し、がん細胞を破壊するウイルス。

さらに岡山大学の調査では、抗がん剤の効果を高める効果も証明されています。

抗がん剤は、がん細胞の「自殺プログラム」を作動させることで効果を発揮する薬剤。いわばがん細胞に自殺するよう命令するわけですが、がん細胞の中にはその作用を抑制するタンパク質があり、それが抗がん剤の効果を弱めてしまいます。

テロメライシンはそれにさらなるカウンターを加えるもの。抗がん剤の作用を抑制するタンパク質の生成を防ぐはたらきがあるため、治療の効果が高まるのです。

テロメライシンを使った治療は手術が不要で体への負担も少ないため、従来の手術や化学療法に耐えられない患者にも適用できることが期待されています。

まとめ

人工的に作られたウイルスを題材にした創作物はSFでもホラーでもいくつもあります。 現に今の技術は、それが十分に可能な域に達しています。

悪用の可能性があるのが事実なら、ここで挙げられたように、人々の健康に役立つ可能性があるのもまた事実。今後もよい方向へ発展していくことを期待したいです。

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