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ヴァルター機関とは?第二次世界大戦時にドイツで生まれた非大気依存型推進(AIP)の先駆け

潜水艦の歴史は長く、17世紀にはすでにオランダの発明家コルネリウス・ドレベルが人力の潜水艇を発明している。
しかしディーゼルエンジンとバッテリーを併用する近代的な潜水艦が誕生したのはようやく20世紀に入ってからのことだ。これは浮上時にディーゼルエンジン、潜水時にはバッテリーで航行するというもので、原子力を使わない潜水艦ならば現在でも基本的な構造は変わらない。

これをもって潜水艦は一応の完成をみたといえるが、ここで吸気という大きな問題が立ちはだかった。
潜水艦が潜水時にバッテリーで動くのは、ディーゼルエンジンを動かすために必要な酸素が水中では取り入れられないためである。潜水時の動力には吸気が不要なバッテリーが使われるが、残念ながら移動できる距離は限られ、バッテリーの充電時には海上に出てディーゼルエンジンを動かさなければならない。これは潜水艦にとっては大問題。
これを解消しようという野望に燃えた人物が、1930年台のドイツに存在した。

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非大気依存型推進、ヴァルター機関

その名はヘルムート・ヴァルター。
技術者であった彼は後に「ヴァルター機関」と呼ばれることになる装置を考案し、水中で30ノット(時速約60km)の高速が出せ、かつ浮上してのバッテリー充電も必要ない画期的な機関としてドイツ海軍に売り込んだ。
時に1934年、ドイツの有するUボートの速力は水上で11ノット(時速約22km)、水中では7ノット(時速約14km)が限界だった。

ヴァルター機関は過酸化水素の化学的分解を利用する熱機関だ。
高濃度の過酸化水素が触媒の作用で分解されると、高温高圧の酸素ガスと水蒸気が発生する。この混合ガスを燃焼室に送り込み、ディーゼル油と混ぜて燃焼させることでタービンを回した。 最終的に発生した二酸化炭素は艦外に排出されるが、それだけなら浮上の必要はなかった。

 この機関のコンセプトは今で言う非大気依存推進(AIP)そのもので、一連の過程は外から酸素を取り入れることなく行われる。
過酸化水素の分解で発生するガスの温度は燃焼を継続させるのに十分で、必要な酸素も分解の過程で発生するために、潜水中でもバッテリーに頼らず航行ができる。おまけに当時使われていたバッテリーより馬力が高いため水中速力は段違いで、充電の必要もなく、過酸化水素がなくなるまでの間なら水中での高速航行が可能だった。
さらに理想的には水中と水上で同じ機関を使うために、ディーゼルエンジンとバッテリーと2種類の機関を搭載する必要がなくなり、艦内スペースを有効活用できるという期待もあった。

1934年の時点では彼の構想は夢物語としか受け取られなかったが、粘り強い改良と働きかけの末ドイツ海軍は彼の構想を認めるにいたる。
1940年にはヴァルター機関搭載型潜水艦の試作機V-80が完成し、水中速度26ノット(時速約52km)を記録。当時の潜水艦の水中速度が7ノット程度であることや、現代の最新鋭潜水艦であるそうりゅう型潜水艦の水中速度の公表値が20ノット(実際の値はさらに速いと推定される)であることを鑑みれば破格の性能を見せたが、ヴァルター機関に懐疑的な意見もあったこと、何より当時主力だったUボートVII型とIX型の生産が急務とされたことで大規模な研究開発にはつながらなかった。

その後ヴァルター機関搭載艦は試験用のUボートXVIIA型とXVIIB型、さらに戦闘用のXVIII型の3種類、合計18隻の建造が開始された。しかし後に8隻が建造中止となり、最終的に7隻が完成、3隻が建造途中という段階で敗戦となり、すべて処分された。 完成した艦は試験用の艦ばかりで、戦闘用に設計された2隻はいずれも建造中止の憂き目を見たため、ヴァルター機関搭載の潜水艦が戦闘を経験したという記録はない。

何故、ヴァルター機関は実戦配備されなかったのか?

この顛末にはどんな背景があったのだろうか。
第一にヴァルター機関そのものの問題があった。燃料に使われる過酸化水素は腐食性が高く燃えやすい危険物で、機関の製造とメンテナンスが難しい上、常に発火や爆発の危険がある。潜航中に機関が爆発などすれば致命傷になるのは言うまでもない。
さらに燃料の過酸化水素の消費が激しかったため主機関としての使用には向かなかった。実際、UボートXVIIA型以降の艦はすべてディーゼルとバッテリーを搭載し、ヴァルター機関は補助的な位置づけに留まっている。単一の機関で水中・水上航行の両方を行うという構想は夢でしかなかったのだ。
他にも過酸化水素の供給が限られていたこと、海中深くでは速度が落ちるなど課題はいくつもあった。

もう一つの大きな理由として、「電気Uボート」と呼ばれるUボートXXI型とXXIII型の存在があった。


これはヴァルター機関搭載型潜水艦の設計過程で案出された、従来型Uボートの改良案だった。艦の設計にはヴァルター氏自身が深く関わっていて、艦体を大型化して下部に過酸化水素用の燃料スペースを設ける他、流線型の艦体や小型の展望塔など水中での航行を主眼においた設計が盛り込まれていた。
その設計をディーゼルエンジンとバッテリーを使う従来型のUボートに流用し、燃料スペースをバッテリーの増設に使ってはどうか、というアイデアから電気Uボートは生まれた。

いわば副産物といえるものだが、水中の航行に適した船体設計と大容量バッテリーの組み合わせは確実な性能向上につながり、かつ技術的なハードルが低かったことから比較的短期間での実用化が可能だった。最終的にこちらの設計開発が優先され、ヴァルター機関搭載型潜水艦の建造は当初の予定よりも縮小されていく。
戦争末期に完成した電気Uボートは期待通りの高性能を発揮。戦後のアメリカとソ連が潜水艦開発のお手本としたほどの傑作となった。 その誕生の経緯を考えれば、歴史の皮肉と言えるだろう。
ちなみに、AIP機関としてスターリングエンジンを搭載した自衛隊のそうりゅう型潜水艦も、場所を取るスターリングエンジン代わりにバッテリーを積んだ方が効率が良いとされ、後期型ではAIP機関が外されると言う。奇しくも、歴史は繰り返される。

かくてドイツでは不振に終わったヴァルター機関だが、戦後になると戦勝国に注目され、再び日の目を見る。どこの国もバッテリーの欠点を補うべく非大気依存推進(AIP)を希求していたのだ。

イギリスはUボートXVIIB型のU-1407をサルベージ・修復し、1946年に「メテオライト」と名を改め再就役させる。
その後、ヴァルター機関の実験用としてエクスプローラー級潜水艦2隻を建造。しかし2隻とも爆発や発火などの事故が絶えず、「エクスプローダー(爆発物)」などと揶揄された。結局、 原子力潜水艦の登場にともないヴァルター機関の研究は中断され、これらの艦は役目を終える。
ソ連でもドイツに残っていた資料をもとにS-99潜水艦を建造するが、こちらも潜水中に爆発事故が発生。沈没こそ免れたものの帰港後廃棄処分されている。

結局、潜水艦用機関としてのヴァルター機関の研究は1960年台には途絶えてしまう。革新的な潜水艦を望んだヴァルター氏の野望は、文字通り燃えるような夢となって潰えた。

しかし、一旦は世界中で断念された非大気依存推進(AIP)型潜水艦の研究は、その後も原子力潜水艦を持てない国家で続けられることになる。過酸化水素を用いて酸素を得る方式は液体酸素をそのまま用いる方式に改められ、動力はディーゼルではなくスターリングエンジンになり、潜水艦によっては水素を使った燃料電池方式に変わっていく。
ヴァルター氏が切望した「非大気依存型潜水艦」は、形を変えて受け継がれていくのだ。

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