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近代潜水艦の始祖、電気Uボート:ドイツで生まれ、大国が追随した潜水艦のパラダイムシフト

潜水艦の形状や設計思想が今と昔で大きく異なっているのはご存知だろうか?

第二次世界大戦開戦当時、世界の潜水艦は浮上航行を前提として設計されていた。なぜなら、当時の潜水艦は潜航可能時間が短かかったため、潜航したまま長距離を高速で移動するなどと言うことは想定されていなかったからだ。航行速度も浮上時の方が早く、潜行時は半分以下の速度になってしまう。

しかし、現代の潜水艦は全て潜行時の速度のほうが早く移動できるように設計されている。原子力潜水艦はもとより、潜行中は電気推進に切り替わる通常動力型であっても潜行した方が素早く移動できる。これは潜水艦の設計思想が今と昔で大きく異なっているからだが、このパラダイムシフトは、実は第二次世界大戦のドイツで起こっていた。

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(左がUボート、右が原子力潜水艦)

潜航速度に重点を置いた潜水艦の誕生

第2次大戦中のドイツは、当初こそUボートを活用した通商破壊戦を有利に進めていたが、連合軍がレーダー技術を発達させるにつれて航空機による被害が拡大していった。これを打開すべく新型潜水艦のいち早い開発が切望され、その候補にまず挙がったのがヴァルター機関を搭載した新型潜水艦だった。

1942年11月の会議で、ヴァルター潜水艦の試作型V-80から得られたデータを基にヘルムート・ヴァルターが新設計の船体を提案。大型化して燃料用のスペースを確保し、水中速力を重視して流線型をしたこの船体設計こそ、のちの電気Uボートにつながる重要なものだった。

しかしヴァルター潜水艦実用化には時間がかかりすぎることが明白になる。さらに長期の研究開発にリソースを割いて、主力であるUボートVII型とIX型の生産数を犠牲にすることは避けたかった。苦慮の末、ヴァルター機関を積むのでなく、バッテリー搭載量を増やした潜水艦を造るのはどうかという案が出た。試算の結果、ヴァルター機関ほどではないが従来型と比べて性能向上は確実で、かつ開発期間も短くてすむ。海軍総司令官カール・デーニッツはすぐさまゴーサインを出した。

船体設計は1943年初頭から進められ、UボートXXI型とその小型版にあたるXXIII型の2種類が制作された。この2種類が後に電気Uボートと呼ばれる型である。同年8月には建造許可を取り付け、11月6日に3箇所の造船所へ向けて建造命令が下る。

建造に際しては大量生産方式が採用された。これは各地の工場で個別のセクションを製造し、最後にドックに運んで組み立てるという方式で、最初18ヶ月と見積もられていた建造期間が3分の1程度まで短縮された。1944年4月には最初のXXIII型が、5月には最初のXXI型が進水している。

かくして完成した電気Uボートだが、その性能はいかなものだったろうか。同時期のアメリカとソ連の潜水艦と比較してみよう。

ドイツ・UボートXXI型 アメリカ・テンチ級 ソ連・K型潜水艦
ディーゼルエンジン馬力 4000馬力 5400馬力 8400馬力
電動機馬力 5000馬力 4600馬力 4400馬力
水上速力 15.6ノット 20.25ノット 20ノット
水中速力 17.2ノット 8.75ノット 10ノット
水上航続距離 12ノットで11150海里 10ノットで11000海里
水中航続距離 6ノットで285海里 2ノットで96海里

アメリカのテンチ級と比べれば電動機の馬力は大差ないが、水中速力は圧倒的にXXI型が高い。これは船体設計の差によるところが大きいのだろう。水中での行動に重きをおいたXXI型の設計は水上速力を犠牲にしたが、それでも潜水して長時間素早く移動できることの利点はそれを補って余りある。

ソ連のK型潜水艦についてもテンチ級同様、水上での速力を重視したつくりであることがわかる。

水中航続距離の差は特に顕著だ。テンチ級と比べれば、UボートXXI型は3倍の速度で3倍の距離を移動できることになる。大型の船体に多数のバッテリーを搭載できたがゆえの差だろう。さらにXXI型は静粛航行専用の電動機を2基搭載し、低速時の静音性も他を凌駕していた。

この他にUボートXXI型はシュノーケルと呼ばれる吸気装置を装備している。これは潜望鏡のように上方に伸びる吸気口で、潜水したままディーゼルエンジンを回してバッテリー充電を可能にした。吸気口は水面に出るが船体全部を晒すよりも危険は少なくて済む。

電気Uボートの進水は1944年だったが、乗員の訓練が長引くなどの理由で実戦投入は遅々として進まず、最初の出撃はようやく1945年の4月末になってからだった。それもXXI型が2隻哨戒に出撃しただけで、いずれも戦果を上げることはないまま戦争は終わった。

ドイツの潜水艦技術は大国へと受け継がれる

その後ポツダム協定の取り決めにより、イギリス、アメリカ、ソ連はXXI型とXXIII型を含むUボートを10隻ずつ手に入れる。各国ともさっそく電気Uボートの調査にかかり、その高性能に目を見張ることとなった。

アメリカはさっそく1946年に、UボートXXI型の分析結果に基づいた近代化改装計画「GUPPY」を開始。これは既存のガトー級・バラオ級・テンチ級潜水艦に対して、船体の流線型化、バッテリー出力の強化、シュノーケルの装備を含む改装を行うもので、水中性能の大幅な向上につながった。

同時に、新型のタング級潜水艦の開発に着手。この艦の設計はXXI型に大きな影響を受けている。

一方のソ連はまずXXI型のコピーである614型の設計に着手。614型の設計は中止されたが、後にはXXI型のデータを基に613型潜水艦の設計にかかり、1949年から生産を開始。西側諸国にはウイスキー級と呼ばれたこの艦は1958年までに合計236隻が建造され、後に一部が巡航ミサイル搭載艦やレーダーピケット艦として改修される。

戦後に設計された米ソの潜水艦を見ると、その設計思想には顕著な変化が起きたことがわかる。

アメリカ・タング級

ソ連・613型潜水艦

ディーゼルエンジン馬力

3400馬力

4000馬力

電動機馬力

4700馬力

2700馬力

水上速力

15.5ノット

18.25ノット

水中速力

18ノット

13ノット

水上航続力

10ノットで11500海里

9ノットで22000海里

水中航続力

3ノットで129海里

2ノットで443海里

前の表と見比べるとわかる通り、両国とも水上速力を犠牲にしてでも水中での速力・航続力を重視した設計にシフトしている。どちらの艦も完成は1950年前後。電気Uボートが両陣営の手に渡ったのが1945年のことで、そこからわずか数年での方針転換である。

また表にはないが特筆すべき点として、どちらの艦も甲板砲を搭載していないことが挙げられる。潜水しての行動が前提であるならば、撤去した方が水の抵抗が減って有利になるのだ。

特にタング級は対空砲や機銃さえ装備していないが、これは戦後のアメリカが”対潜水艦用”潜水艦の開発に注力していたことに起因すると考えられる。潜水艦同士戦うのに、浮上して攻撃することなどまずありえない。

このように戦後の潜水艦は水中での速力・航続力を重視して設計されるようになり、それに伴って艦の形状も変わっていった。今日の潜水艦と第二次大戦時の潜水艦を見比べても似ても似つかないのは、このようなパラダイムシフトがその背景にあるのだ。

電気Uボートの高性能を裏付けるような逸話がある。
哨戒に出撃したXXI型のうちの1隻であるU-2511は1945年4月30日にベルゲンを出港し、5月4日にはイギリスの重巡洋艦「ノーフォーク」率いる駆逐艦隊を発見、潜水したまま500mまで接近した。魚雷を撃てば確実に命中する至近距離だったが、戦闘行動中止の通信が届いたため、攻撃することなくその場を去る。イギリス艦艇は最後までU-2511の接近には気付かなかった。
戦後、U-2511艦長だったアデルバート・シュネーはノーフォークのクルーと対面を果たす。そこでシュネーは自身の体験を語ったが、信じがたい話として受け取られたという。

2015/1/23
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