2015年3月末。インド政府が海上自衛隊のUS-2飛行艇の購入を検討している事が報道されました。そうりゅう型潜水艦に続く兵器輸出に繋がると話題になっていますが、多くの人々にとってこの「US-2飛行艇」の存在は寝耳に水だったようです。
潜水艦の知名度に対して、飛行艇は無名も無名。さらに、世界大戦の際には世界中で飛び回っていた軍用飛行艇も、今では日本・カナダ・ロシアでしか製造していていないマイナーな機体となっています。
しかし、実はこの飛行艇。日本は太平洋戦争の際にも世界最高の機体を作っており、飛行艇の技術は日本が世界一とも言える分野だったのです。本記事では、「US-2」と大戦時の飛行艇「二式飛行艇(大艇)」について簡単にご説明していきたいと思います。
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世界が飛行艇を忘れる中で、技術革新を続けた日本
(US-2飛行艇_JMSDF)
飛行艇と言うのは、船の様に水の上を滑水しつつ空を飛行できる飛行機の事です。
凹凸の激しい小さな滑走路しか作れなかった時代は、殆ど無制限と言っても良いほど広い海を使って離着陸する飛行艇や水上機が大きな注目を集めました。しかし、技術の進歩で綺麗で大きな滑走路を作れるようになり、離着陸に使われるギアの信頼性も上がり、さらにヘリコプターまで普及したことで、海や大きな湖がないと使えない飛行艇はお役御免となります。
そんな時代になったにも関わらず、日本の様な領海が広く離島の多い国では高い需要がありました。日本の離島の実に97%に大型飛行場が無い(無人島含む)ため、それらの離島から人材や物資を緊急搬送する際にはヘリコプターか船を使う他ありません。
しかし、遠く離れた離島にはヘリコプターが届かず、物資や人の輸送には足の遅い船を使うしかありません。そのため、滑走路の要らない飛行艇は離島の人々や海上の遭難者にとって、飛行艇は緊急時の救世主となりました。
ブラインドセーリングが失敗し、船が浸水して救助を求めた辛坊治郎氏と岩本光弘氏を高波の中でUS-2が救助したことも一時期話題になっていますね。救難飛行艇の配備以来、実に一千人を超える人々が飛行艇によって救われています。
PS-1(後にUS-1)という飛行艇が一世代前の飛行艇でしたが、対潜哨戒機として作られたにもかかわらず、その任務は対潜ヘリ部隊に奪われ、実際には救難飛行艇として活躍していました。その結果、世界の国々が飛行艇の開発を中止したにも関わらず、日本は飛行艇を作り続ける事になります。
この救難飛行艇という任務が、実は日本の飛行艇開発の技術力を高める事になります。
飛行艇の主な任務は、対潜哨戒や空中消火が主であり、劣悪な環境化で離着陸する事は想定されていません。しかし、救難飛行艇は要救助者がどこにいるか分からず、多くの場合緊急を要する任務です。そのため、性能の要求ラインが現用飛行艇としてはかなり高く設定されました。
そして、新しく作られたUS-2は世界最高峰の飛行艇として完成する事になります。そのUS-2が非常に優れている点は、「高い耐波性能」・「短距離離着水」・「低速安定性」・「長い航続距離」であり、これらの能力を全て備えているのは世界中の飛行機を見てもUS-2を除いて他にありません。
短距離離着陸(STOL)能力と低速時の安定性
「短距離離着陸(STOL)」の能力と言うのは、その名前の通り離着陸の距離が非常に短いことです。この場合、離着水なのでは厳密には「Short TakeOff and Landing」ではありませんが、一般にこう言う事が多いです。では、短いというとどれほど短い距離で離着水出来るのでしょうか?
通常、飛行機は通常1キロ前後の滑走路が求められる事が普通です。しかし、US-2飛行艇が離着水に必要な距離は僅か300メートル前後。これは、ロシアやカナダの飛行艇と比べてみても半分以下の距離。
極端な話、小さな湖の上でも離着水出来るということになります。また、荒天時に波の緩やかな場所を使ってピンポイントに離着水出来るということでもあるので、活動できる天候・エリアが大幅に広がります。
普通の飛行機が離陸に長い距離が必要なのは、空を飛ぶために必要な揚力を得るためにかなりの速度が必要だからなのですが、US-2は低速でも確実に揚力を得られる機構を搭載しており、少しの加速で離陸できるようになっています。また、着水時には水の抵抗があるので急激に減速して停止する事が可能です。
離着陸に必要な距離が短いという事は、「低速時の機体安定性が極めて高い」ということを意味しており、海上を航行する船を監視したり、漂流する遭難者を探すのに最適です。そして、この低速飛行時に確実に浮力を得られる能力は救難だけでなく対潜哨戒や海上警戒において極めて有効であり、インド政府がUS-2に注目しているのもそれが理由であると見られています。
特にインド洋は海賊発生地域に近く、インドの船舶がしばしば海賊船に襲われていることから、低速でありながら航続距離が長く、着水して特殊部隊をボートなどで派遣出来る飛行艇の需要が高まっているのです。
また、この短距離離着陸を可能にする機構が境界層制御装置であり、日本の飛行艇の目玉となっています。
境界層制御装置とは?
飛行機が空を飛べるのは、翼に特殊な空気の流れを作って上向きの力である揚力を発生させているからです。この空気の流れは速度が遅くなればなるほど弱くなりますが、フラップという揚力を強める装置を使って意図的に強めることが可能となります。
ただ、これを強めすぎると境界層と呼ばれる揚力を生む空気の層が剥がれ、一気に揚力を失って失速してしまいます。それを抑制するのが境界層制御装置です。
具体的には、エンジンで圧縮した空気を高速で翼に流すことで意図的に高速で飛んでいるような空気の流れを作りだし、低速でも高速で飛行しているような空気の境界層を翼の周囲だけ局所的に作り(保ち)ます。
高速で飛行するために翼を小さくした航空機などに補助的に使われていましたが、US-2は境界層制御装置の搭載を前提により強力なフラップを搭載し、低速時でも高い揚力を生めるようになっているのです。
長大な航続距離と耐波性能
航続距離は実に4700キロ。これは日本の領海を端から端まで飛べる距離です。ただ、実際の作戦行動時には飛んで帰ってくる必要があるので、行動半径は2000キロ前後となります。だとしても、神奈川県の厚木基地から離陸したとして沖ノ鳥島まで優に届く距離であり、日本の領海全てを十分にカバーするほどの作戦行動半径があるのです。
(飛行艇の活動範囲_新明和工業)
これだけの活動範囲があれば、日本の海のどこで海難事故が発生してもUS-2が駆けつけることが出来ます。
また、外洋は非常に波が高く、並大抵の飛行艇では着陸することが出来ないのですが、US-2は実に3mの高波の中であっても着水することが可能で嵐の中で船が転覆してしまった海域に急行し、波が弱まった一瞬の隙に着水して救助活動を行うことが可能です。
ブラインドセーリングプロジェクトの海難事故の際には、実際に波が高くてまともに着水出来る状態ではなかったにも関わらず、2機のUS-2が順番に発進し、1機目が空中待機している間に波が弱まらなかったものの、2機目が空中待機している間に高波が弱まった隙を見つけ、救助活動を行ったそうです。
US-2独自の「波を打ち消しつつ波を逃がす」機構(溝型波消し装置とスプレー・ストリップ)が、これを可能にしています。また、機体の材質を最先端の素材に置き換ることで軽量化しつつ高い耐久性を実現しています。
世界最高の飛行艇と呼ばれた二式飛行艇
話は第二次大戦にまで遡ります。US-2を開発した新明和工業という会社は、かつて川西航空機と呼ばれていました。
川西航空機は、大日本帝国時代に零戦の後継機となった「紫電改」や世界最高の飛行艇と呼ばれた「二式飛行艇」を開発し、世界の水上機開発をリードしていた航空機メーカーでした。
二式飛行艇は、航続距離・機動力・堅牢性・火力どれをとっても世界の最高水準に達しており、連合軍からは非常に恐れられていた飛行艇でした。戦後、この飛行艇を間近で見た連合軍の技術者達は、二式飛行艇に敵う飛行艇は連合軍には無かったと言及しています。
しかし、戦後日本の航空機開発能力の高さを危惧したGHQによって日本は航空機の製造開発中止が命じられ、それ以来川西航空機は飛行機の開発を行えなくなってしまいます。そんな中、遂に終戦から7年が経過した1952年に航空機製造開発が解禁。当時川西航空機から新明和工業に名前を変えていた飛行機メーカーが、再び飛行艇開発に復帰するのです。
新しい飛行艇の開発から五十年。試行錯誤の末、世界最高峰の飛行艇となったUS-2が完成する事になります。