そうりゅう型潜水艦が優秀だと言うお話を以前したことがありましたが、その優秀な艦を扱える乗員は艦以上に貴重なものです。潜水艦に何らかのトラブルが起きた場合、潜水艦は浮上するのが鉄則です。しかし、浮上できずに沈んでしまった場合はどうなるのでしょう?
水上艦であれば沈んだ船に生存者がいる可能性は極めて低いのですが、水中で活動することを前提に作られている潜水艦の場合、何らかのトラブルで浮上できずに沈んでしまったとしても中の乗組員が生きている可能性は十分にあります。浅い海であれば海上の船から潜って助けに行けるかも知れませんし、乗組員が自力で脱出することもあるでしょう。しかし、それも叶わない深海に潜水艦が沈んでしまった場合、助ける術はあるのでしょうか?
沈んでいる潜水艦が沈没?
潜水艦というと海の中に「沈んでいる」イメージが強いですが、そうではありません。潜水艦は潜っているのであって、沈んでいるのではないのです。潜水艦乗りにとって「沈む」と言う言葉と「潜る」と言う言葉は全く意味が違います。
「沈む」と言うとそれは沈没であり、水中に入ったきり二度と浮いてこれません。一方、「潜る」と言うと「潜航」であり、自分の意志で水中に入り、自分の意志で浮上できる状態です。
そして、潜水艦に何らかのトラブルが起きた場合、少なくともさらに潜ることはありません。通常、トラブルが起きたら浮上してから救援を呼ぶなり修理をするなりして対応します。潜水艦乗りが最も恐るべきは、「浮上できないこと」なのです。
しかし、いくら乗組員が注意していても潜水艦のトラブルは起こりますし、戦闘で破損して浮上できなくなってしまうことはあります。そうして浮上できなくなった潜水艦が沈んでしまった場合、潜水艦はどうなるのでしょうか?
基本的には、以下の3パターンです。
1.潜水艦は無事で、乗組員も生きている
2.潜水艦に何らかの損傷が発生し浸水する
3.水圧で潰れる
1の場合はラッキーです。戦闘によるトラブルではない場合、このパターンが多いでしょう。
2の場合、浸水エリアを封鎖することができれば浸水していないエリアの乗員は生きています。
3の場合、乗組員は全滅です。
潜水艦が水圧で完全に大破するような環境ではそもそも救助も不可能ですが、それ以外のケースであれば、実は救助が可能です。
深海救難艇(DSRV)とレスキューチェンバー
(ちよだ搭載の深海救難艇)
上の図は潜水艦救難母艦ちよだに搭載されている深海救難艇です。
潜水艦救難艦については後編でご説明しますが、要はこの深海救難艇を潜水艦が沈没した海域に投下し、潜水艦のハッチに直接接続して救助活動を行います。
やたら大きな魚雷にも見える深海救難艇ですが、自由に移動できるというのが最大の強みです。その前は、レスキューチェンバーと言う水上艦から海中にぶら下げて接続させるカプセルを使って潜水艦のハッチに接続していました。レスキューチェンバーは自力で移動が出来ないので、上手く接続させるためのダイバーが必要でした。さらに、水上艦がケーブルを伸ばせる距離までしか潜れないため、深すぎると届きませんし、海流の影響で上手く接続できなかったりするのです。
しかし、この救助艇の優れている部分は移動できることだけではありません。まず、潜水艦のハッチに接続した後、ハッチと救助艇の隙間に入り込んだ水を除去し、ハッチを自力で開けた上、救助艇内部の気圧を調節できる点にあります。
深海の水圧を受けた潜水艦は、放っておくと艦内の気圧も水圧に合わせてある程度上昇します。この「気圧」は、お天気で聞く高気圧や低気圧と言うレベルの気圧変化ではなく、数倍から数十倍と言う高いレベルの圧力変化です。潜水艦が正常に動いている場合はこの気圧も調節されているのですが、沈没した潜水艦内の気圧がどこまで正常に保たれているかは分かりません。もし、艦内に取り残された潜水艦乗りが高い圧力にさらされていた場合、安易に気圧の低い場所に連れ出すと「減圧症」と言う症状が発生し、命に関わります。
(次ページ:減圧症について)
血液内に泡ができる減圧症
実は、深海での人命救助を考えた場合、減圧症というのはどうしても理解しておかなければいけない症状です。
突然ですが、炭酸飲料を思い浮かべてください。炭酸飲料というのは、水に二酸化炭素を溶かして作られています。気体の二酸化炭素が水に溶けるというと不思議ですが、気体も少量ですが水分に溶けるのです。人が酸素を吸って血液に取り込み、細胞の端々に酸素を届けられるのは気体が水分に溶けるからです。
炭酸飲料に二酸化炭素が溶けていることは分かりました。ところが、人の呼気には二酸化炭素が含まれていますが、いくら一生懸命水にストローでブクブク息を吹き込んだところで炭酸飲料は作れません。実は、炭酸飲料というのは、二酸化炭素に高い圧力を掛けて水に沢山溶かし込むことで作られています。つまり、高い圧力をかければ気体は水により多く溶けるということです。
炭酸飲料の蓋を開けると一気に泡が出て二酸化炭素が抜けるように、折角圧力を掛けたとしても元の圧力に戻すと気体は抜けて行きます。よく振るとよく抜けますね。これは、人間の血液でも同じです。
少しぞっとしますね。炭酸飲料の如く、血液に溶け込んだ空気が泡になると考えて見てください。それが細い血管の中を通っていくのです。特に細い血管が通っている脳などは、この泡一つで致命的なトラブルが起こります。これが減圧症です。
高い圧力が掛かっている環境で息を吸えば、普通の圧力下で息を吸うより沢山の気体が血液に溶けていきます。そして、そうやって沢山溶け込んだ気体は低い圧力の元でまた気体に戻って行きます。これは普段の生活でも多少起きている事で、「少しくらい」なら大丈夫ですが、一気に発生すると体が耐えられません。
高い圧力に人が長時間晒された場合、ゆっくりゆっくり圧力を下げ、血液に溶けた気体が自然に放出されていくのを待ちます。この作業をできる環境があるかないかで、深海における人命救助の命運が分かれます。
加圧設備と減圧設備の重要性
宇宙空間で救助活動をしようと思ったら、宇宙船から空気が抜けて「気圧が低い」ことが問題になりますが、深海で救助活動をしようと思ったら、水圧の影響で「気圧が高い」ことが問題になると考えると良いでしょう。
空気が沢山あると考えると良いことのように思えます。実際、人がずっと高い気圧のなかで生活していくのであれば問題はありません。しかし、残念ながら深海の水圧と同じような圧力が掛かっている空間なんて殆ど存在しませんし、仮に上手く作れたとしても少し油断してドアを開けた瞬間気圧は元通りです。
つまり、高い圧力の世界に晒された人は必ず気圧の低い元の世界に戻ってこなくてはいけません。しかし、それが急に行われてしまえば、炭酸飲料の蓋を急に開けたような状態になります。炭酸飲料が吹き出さないようにするには、ゆっくりと圧力を下げることが大切なのです。
このための設備が深海救難艇や潜水艦救難艦に備わっており、沈んでいる艦の圧力を加圧装置を使って潜水艇内部で再現し、そのまま徐々に減圧装置で下げていきます。より高い圧力に晒されていた(深海にいた)人ほど、減圧作業に時間がかかります。それを狭い潜水艇の中で行うわけにも行きませんので、潜水救難艦でも減圧作業が行える様になっています。
この際、一度でも外に出ると減圧症が発生しますので、全て圧力が均一の部屋を通り「一度も外にでること無く」潜水艇から救難艦へと移れるようにしなければいけません。このため、潜水艇を運用できる艦船と言うのは、何でも良いというわけには行かず、最低でもそう言った加圧・減圧設備が搭載されていて、なおかつ潜水艇から外に出ること無くそれが行える非常に特殊な艦船が必要になるのです。
潜水艦救難艦とは?
潜水艦救難艦と言うのは、深海救難艇やレスキューチェンバーを運用する能力を持ち、なおかつ艦内に加圧・減圧が可能な設備を持つ船ということになります。
そんな回りくどい事をせずとも潜水艦そのものを引き揚げてしまえば良いということで、潜水艦そのものを引き揚げる能力を持つ艦のことを指すこともあるのですが、浅い海ならまだしも深海に沈んだ潜水艦を引き上げるのは困難で、一般的には前者の深海救難艇などを運用できる艦の事を指します。
後編でご説明しますが、海上自衛隊には潜水艦救難艦「ちはや」と潜水艦救難母艦「ちよだ」が存在します。救難母艦と言うのは、潜水艦母艦として「潜水艦に物資の補給ができる」能力があるため母艦と言う呼び方をしています。
また、米軍もかつては巨大な潜水艦救難艦を保有していましたが、攻撃型原子力潜水艦に深海救難艇の運用能力を付与する形になったため完全に廃止されています。
潜水艦の乗組員を救助するためだけにハイテク機能を満載した船をわざわざ作るなんて贅沢な・・・なんて思うかもしれませんが、「深海に人を送り込める能力」と言うのは貴重であり、特に海上自衛隊の潜水艦救難部隊は世界屈指の「飽和潜水」能力を持った部隊です。
飽和潜水と言うのは、潜水艇などを使わずに行う特殊な潜水で、海上自衛隊は実に水深450mというとんでもない潜水に成功しています。世界2位の記録であり、これだけの潜水能力を持つ軍隊は世界を見ても海自ぐらいです。
次回は、潜水艦救難任務で活躍する飽和潜水についてご説明していきます。