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飽和潜水と潜水艦の脱出装具、人が水深100mを越える深海で活動するために-潜水艦救難艦とは(中編)

潜水艦の乗組員が危機に陥った際、深海救難艇や加圧・減圧室が重要であるというお話はしましたが、潜水艦の乗組員を救助する上で忘れてはいけないのが、飽和潜水と潜水艦に搭載されている脱出装置についてです。

飽和潜水と言うのは、高い水圧下の深海で潜水艇などに乗り込まずに人が潜水する際の特殊な潜水法で、潜水艦救難以外には深海油田の採掘などで重要な役割を果たします。

また、潜水艦にも乗組員がここに脱出することができる装備が備わっており、人が水深100mを越えるような世界で生き抜くための知恵がここにあります。

前編-深海救難艇と減圧症、沈んだ潜水艦から乗員を救出する困難と克服する方法

飽和潜水、減圧症と高圧神経症


(飽和潜水による作業)

上の図は飽和潜水によるサルベージ作業の写真です。見ての通り、かなりの重装備で潜水していることが分かります。この装備には、酸素供給能力以外にも温水を循環させて深海の低温から体を守る機能などもついています。

こういった装備を付けて潜水することが飽和潜水というのかと言うと、少し足りません。

そもそも、飽和と言うのは何が飽和しているのでしょう?

飽和と言うのは、実はダイバーの血液中の気体が血中で飽和している状態のことなのです。

なんのこっちゃ? という話ですが、血液に溶け込める気体の量は気圧によって決まっています。気圧が高ければ沢山の気体(酸素・窒素・ヘリウムなど)が血液に溶け込めますし、気圧が低ければあまり溶け込めません。そして、その溶け込める量の限界ピッタリまで溶け込んでいる状態を「飽和状態」と呼ぶのです。

何故そんな状態で潜水するのかというのと、前編でご説明した通り、圧力が高い状態から急に低い状態になれば減圧症になって危険ですが、その逆に急に圧力が高くなるのも「高圧神経症」が発生するので危険なのです。めまいや吐き気、痙攣などが起こるのですが、いきなり血中の気体の濃度が高まれば脳の活動に影響が出るのも当然でしょう。

減圧症ほど深刻な問題ではありませんが、浮上ではなく潜る時に発生するので潜ってからの作業に影響が出ます。しかし、ゆっくり潜れば良いからといって、高圧神経症が発生しないように潜るとなると丸一日掛けてゆっくり潜るハメになります。減圧症が起こらないように浮上するのも数日がかりであり、水中でそんな作業はできません。

つまり、急に気圧が下がれば過飽和(溶けすぎ)状態となり、溶けすぎた余分な気体が泡となって減圧症が発生します。逆に急に圧力が上がれば不飽和(溶け足りない)状態となり、急に気体が溶けて高圧神経症になるのです。

そこで、常に飽和状態にキープできれば、何の問題も起こりません。血中の気体が最初から飽和した状態で潜水する飽和潜水の出番です。

深海の高圧環境を擬似的に作り、飽和状態を保つ

基本的には、減圧症も高圧神経症も「血中の気体量が急に変化する」ことで、「過飽和」になったり「不飽和」になるのが問題なのです。

そこで、予め地上で高圧環境を作り、その環境で予め飽和状態を作っておきます。その後で同じような高圧環境に入っても、それ以上血中の気体量が変化することはありません。つまり、ダイバーが潜水する深度の圧力に潜る前から時間を掛けて体を慣らしておいて、体が擬似的な環境に慣れてから潜るということです。

ただ、地上の高圧環境から潜水しようと外(大気圧下)に出た瞬間減圧症が発生しますので、高圧が保たれたカプセルや潜水艇に乗って深海まで移動し、体を慣らした圧力と水圧がぴったり噛み合う深度で潜水を開始するのです。言ってみれば、金魚を水に入れて運んで、同じくらいの温度の水が入った水槽に移すようなものですね。慣れた環境じゃないと、体が適応出来ません。

ちなみに、作業が終わったら、また高圧環境のカプセルや潜水艇に戻り、地上に上がってからゆっくりと減圧作業を行っていきます。この間に気圧の低い(普通の)場所には出られないため、飽和潜水を行うダイバーは、加圧→潜水→減圧の間、一歩も外(大気圧の下)に出られません

飽和潜水の減圧・加圧作業は非常にゆっくりと行われるため、基本的には血中の気体濃度は常に飽和状態に近い状態のまま作業が行われる様になっています。これがこの潜水法が、飽和潜水と呼ばれる所以なのですね。

他の潜水作業だと、潜水時には不飽和状態が発生し、浮上時には過飽和状態が起こります。危険はありますが、深度が浅い分には落差が許容範囲なので深刻な問題にはなりません。

飽和潜水の能力と限界

実はこの飽和潜水ですが、海自の潜水艦救難部隊は水深450mの深海まで潜ることに成功しており、これは世界2位の記録です。また、理屈の上で700m前後まで行けるとされていて、適切な加圧・減圧が行われていれば、人はかなりの深海環境で作業ができます。

この飽和潜水は、潜水艦にトラブルがあった場合の障害除去や深海での修理、重要物資の回収などに活用でき、潜水艦救難の成功率を飛躍的に高める事ができ、実際にロシアの潜水艦事故の際にハッチ付近に障害物があり、潜水艇では除去できず、飽和潜水のダイバーが除去してハッチを抉じ開ける事に成功した(ダイバー到着が間に合わず手遅れ)と言う例も存在します。

また、潜水艦救難よりも、深海油田の探索や採掘設備の建設などでこの飽和潜水の能力が活用される傾向が強く、世界的にみても飽和潜水のダイバーは民間機関に多いです。

しかし、この飽和潜水は万能ではなく、加圧と減圧に非常に時間がかかるのが難点です。

海自が水深450mの潜水に成功した際は、加圧2日間、減圧になんと20日間掛けています。減圧症は死に直結するため、非常に慎重な対応が求められるようですね。そんなに長時間何をしていればよいのかというと、実は「普通に生活」します。要は体がその生活に慣れれば良いので、大きな圧力室の中にトイレから何から完備している部屋を作ってそこで長期間生活するのです。

迂闊に圧力を下げると減圧症になりますので、中の人にとっては外は宇宙空間のようなものです。ドアの開け閉めには細心の注意を払います。

減圧は潜水後に行われるのでそこまで大きな問題にはなりませんが、一刻を争う潜水艦救難で丸一日以上加圧に時間がかかるのが欠点と言えます。とはいえ、事故現場に向かうだけで丸一日掛かってしまうのが海の事故ですので、そこまで大きな欠点では無いのかもしれません。

潜水艦の脱出装具


(左がスタンキー・フード、右がSEIE)

潜水艦は外洋に出て任務を行う事も多く、さらに浮上して居場所を秘匿するために通信する機会自体少ないため、沈没しても誰にも気付かれず、救助を要請する暇もなく沈没してしまうこともありえます。

そうなった場合、潜水艦の乗組員は自力で脱出しなければいけません

空気があれば脱出できるかというそうではなく、深海から浮上するとなると減圧症が気掛かりです。

一部の潜水艦には脱出カプセルがついていて、非常時には乗員が乗り込んで脱出することが出来ますが、潜水艦のスペースを取りますし、狭いカプセルにすし詰めになるのでかなり厳しいです。

そこで、多くの潜水艦に搭載されているのが、「スタンキー・フード」の様な顔全体を覆うライフジャケットやSEIEと呼ばれる全身脱出装具です。

どちらも顔や全身に空気を入れ、酸素を確保しながら浮上できる代物です。ただ、スタンキー・フードでは減圧症や低体温症を防ぎにくいので、そうりゅう型を含め最新の潜水艦にはSEIE型脱出装具が搭載されています。

深度200m未満であれば、減圧症や低体温症をある程度防ぎながら潜水艦から脱出できる装具です。浮上後にはプカプカと浮いたままになり、体力も温存できます。

潜水艇を使った救助よりはリスクがあるので、海上に救助が待機している状態か救助の目処が立たない状況でしか使えませんが、潜水艦の乗組員の生存率を大幅に高めることに成功しています。

潜水艦の沈没は防げるに越したことはありませんが、こうした非常用の装備があるお陰で、潜水艦の乗組員は存分に力を発揮できるでのすね。

 

後編-「ちはや」と「ちよだ」、多目的に潜水任務をこなす世界屈指の救難部隊

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