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日本における安楽死や尊厳死のプロセスと具体例(後編)-事件と判例

法的な規定が存在しないものの、尊厳死(消極的安楽死)や安楽死(積極的安楽死)に近い形で死ぬことは決して不可能ではないという話を前編でしました。尊厳死や安楽死が日本で出来ないと言われるのは、明確な取り決めが存在しないために「迂闊に出来ない」というだけです。そもそも、慣例的に「家族の同意があれば治療は中止できる」と現場レベルでは考えられており、要件さえ揃えばできないことではありません。

では、どんなケースなら尊厳死や安楽死が許されるのか、逆に許されなかったケースはどんな時なのか。過去の事件や判例を元に紐解いていきましょう。

「東海大学安楽死事件(有罪)」-末期がん患者に薬剤投与

詳しい過程はWikipediaあたりを見ていただくとして、簡単に概要を説明すると以下の通り。

1991年、多発性骨髄腫という難治性の悪性腫瘍に罹患した58歳の男性が昏睡状態になり、配偶者と息子が治療の中止を要求。医師はそれに従って治療を止めたものの、苦しそうな患者を見た家族が「楽にしてやって欲しい」と医師に頼み、助手が致死量の薬物を注射したことで患者が死亡した事件です。

裁判では助手に有罪判決が下ったものの、懲役2年・執行猶予2年のかなり軽いものでした。

この事件で画期的とされたのは、裁判所の判決で安楽死が許容される条件(違法性阻却事由)を提示したことにあります。

  1. 患者に耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
  2. 患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
  3. 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
  4. 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

(Wikipedia より引用)

このケースでは、患者が「昏睡状態で肉体的苦痛があるとはいえない」ことと「患者の意思表示がない」ために違法性があるとされています。昏睡状態になった時点で本人の意思確認はできませんし、肉体的苦痛も無いことになりますので、事実上「昏睡状態になったら安楽死ができない」と考える事ができます。

しかし、この判決ではもう一点重要な条件が提示されました。それが「尊厳死のための条件」です。

「治療行為の中止が許容されるための要件」

  1. 患者が治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること
  2. 治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し、それは治療行為の中止を行う時点で存在すること
  3. どのような措置を何時どの時点で中止するかは、死期の切迫の程度、当該措置の中止による死期への影響の程度等を考慮して、医学的にもはや無意味であるとの適正さを判断し、自然の死を迎えさせるという目的に沿つて決定されるべきである

(東海大学安楽死事件 判決文-一部抜粋)

下級裁判所の判決なので法的効力は低いですが、ここにもまた「患者の意思表示」が記載されています。

しかし、昏睡状態の患者に意思を聞くというのも無理な話です。そのため、尊厳死(治療の中止)の場合、事前に意思表示をしておく「リビング・ウィル」や「親密な家族による推定」によって患者の意思を判断できると補足されています。

このケースでは家族が希望していることもあり、「親密な家族による推定」が成立する可能性が高く、治療を止めた事自体に違法性はなさそうです。違法性があったのは薬剤を注射したという部分だけと考えられます。

尊厳死が認められる条件から考えてみると、「死にかけていて、家族が希望していれば治療を中止できる」という風に解釈する事ができそうです。現場レベルでもそういう認識の病院が多いので、「やっぱりね」というところかもしれません。

しかし、これは1991年とかなり古いものであり、次にご紹介する判例で新しい条件が追加されることになります。

「川崎協同病院事件(有罪)」-脳死状態の患者に薬剤投与

事件詳細についてはWikipediaを参照。概要は以下の通り。

1998年、気管支喘息によって心肺停止となった58歳の男性が病院で蘇生するも、長時間の心肺停止によって昏睡状態となり人工呼吸器をつけて入院。2週間後、医師が「99.9%の確率で植物状態になる」「99.9%の確率で脳死状態だ」と断言。それを受け、家族は治療の中止に同意。人工呼吸器を外したところ患者が苦しみだしたため、筋弛緩剤を投与して患者は死亡。

この事件では、「検査が不十分」「家族に対する説明が不十分」とされて有罪判決が下りました。一審、高裁、最高裁まで争われましたが全てで有罪。

東海大学安楽死事件の判例に照らし合わせると、やはり昏睡状態なので安楽死はできなさそうです。しかし、今回の判決で重要なのは最高裁の判決文に「上記抜管行為は、法律上許容される治療中止には当たらないというべきである」と記載されている点です。

抜管行為というのは治療の中止に当たります。安楽死以前に、不十分な検査と不十分な情報提供の元では適切な判断が下せないため、そもそも治療が中止(尊厳死)が妥当ではないと最高裁は判断しました。つまり、医師や家族が十分な情報を持たない状況では尊厳死であっても許されないということです

また、最高裁ではこの時に「ガイドラインを作るべき」と国の対応にも言及しており、これをきっかけにして様々な議論が行われるようになりました。

前編で詳しく解説しておりますが、結果として作られたガイドラインでは「適切に情報提供し患者や家族と十分に議論するように」という趣旨の指針が書かれています。十分な議論というのがどれくらいになるのかは分かりませんが、やはり2週間やそこらで判断できることではなかったのかもしれません。

ここまでの判例で言えることは、「死にかけていて、十分な検査と情報提供がなされていれば、本人や家族の判断で尊厳死はできる」ということです。

本事件は尊厳死としても違法性があっと考えられますが、ここまでの事件は全て薬物を使った「安楽死」にあたる事件です。日本のみならず安楽死が許容される国は少ないことから、納得のいく判決だったのではないでしょうか。

しかし、尊厳死であっても警察によって事件化されたものがいくつかあります。全て不起訴処分とされていますが、警察側は事件性があるとして書類送検しているため見逃せません。

(次ページ: 不起訴処分となった尊厳死事件)

「北海道立羽幌病院事件(不起訴)」-高齢患者から人工呼吸器を外す

2004年、食事を喉に詰まらせ心肺停止となった90歳の患者が搬送され、病院で人工呼吸器が取り付けられました。しかし、心肺停止の時間が長かったため医師は脳死状態と判断。医師は家族の同意を得て人工呼吸器を外し、その15分後に患者は死亡しました。

今までの事件は全て薬剤を使った安楽死(積極的安楽死)でしたが、今回は治療を中止しただけであり、完全に尊厳死にあたるものです。患者は高齢であり、同じような例は日本中にいくらでも見つかるでしょう。

今回のケースでは、「家族の同意があり」「治療法が存在せず」「治療が無意味」と十分に尊厳死の要件を満たしているように思われますが、「家族に十分に説明したか」「死期が間近に迫っているか」という点が焦点となりました。

最終的には「人工呼吸器を外したことによって死亡したかどうかの因果関係が証明できない」とされ、不起訴処分となりました。

これは尊厳死における条件(違法性阻却事由)とは無関係の内容であり、単純に「人工呼吸器をはずさなくても死んだかもしれない」と言っているだけです。ある意味では「死期が近かった」という解釈もできますが、そもそも脳死状態の人間が人工呼吸器なし生きていけるわけがありません。

尊厳死だけではなく、日本においては脳死と死亡の因果関係についても定義がはっきりしていません。このことも、事件化されてしまった理由の一つと言えるでしょう。

この事件が報道された時には全国の医療関係者から同情の声や警察に対する批判の声が集まりました。このケースでは医師側のミスというよりも警察側で扱いに困ったと考える方が自然でしょう。

当時は終末期医療のガイドラインなども存在しませんでしたし、「適切なプロセスで治療が行われていたか」という判断が難しい状態でした。そんな状態で「調べてくれ」と言われたら、「殺人の要件は整っているから書類送検しよう」となるのも頷けます。

安楽死にせよ尊厳死にせよ、医師が「殺人」や「傷害」の基本要件を満たしてしまうケースは非常に多いです。しかし、医療行為は「違法性阻却事由」と呼ばれる一種の例外規定にあたるため、身体を切り刻もうが殺してしまおうが、それが適切な医療行為の範疇である限り違法ではないと判断されます。

つまり、今回の場合は「メスで切ったから傷害罪」と言って送検したようなもので、終末期医療の規定が明確でなかったために起きた事件だったといえるかもしれません。

その他の類似事件

あまり詳しく扱いませんが、この他にも北海道と同様のケースで送検された事件がいくつかあります。内容的には殆ど同じものであり、全て不起訴処分となっているので簡単に扱うだけに留めます。

富山射水市民病院事件(不起訴)

2000年から2005年にかけ、医師が50代から90代の患者6人の人工呼吸器を外し死亡させた事件。全てのケースで家族の同意を得ており、家族も被害者意識がなく、人工呼吸器の抜管と死亡の因果関係が十分に証明できないために不起訴処分となりました。

これは家族の同意があったとはいえ治療中止の決断を担当医が他の医師などに相談せずに行なっていたため、問題視した病院側が警察に届け出たことで事件化しました。これもまた、ガイドラインがなく終末期医療のプロセスが明確になっていなかったために起こった事件だといえるでしょう。

和歌山県立医科大学附属病院事件(不起訴)

2006年、80代の患者が脳出血で搬送され緊急手術を行ったものの呼吸が停止し、人工呼吸器が取り付けられました。その後、脳死判定が行われ、家族は「自然に死なせてやって欲しい」と尊厳死を要求します。しかし、上述の事件が報道されていたこともあり、医師は人工呼吸器の抜管を二度に渡って拒否します。それでも尚、家族が人工呼吸器の取り外しを望んだために人工呼吸器を外した所、患者は死亡しました。

警察に届け出た副院長は「治療中止が医師個人の独断だった」としている一方で、患者の家族は「医師に感謝している」と証言しているようです。報道では医師は何度も断ったとされていることから、警察沙汰にするほどのことではないように思われます。最終的に不起訴となっていることからも、問題のある行為とは言えないのでしょう。

現在の尊厳死と安楽死の状況

法整備がなされていないことや上述の事件のこともあり、全国の病院で一律に同じ条件で安楽死や尊厳死が行われているとは言えません。尊厳死や安楽死は「絶対に認められないもの」ではありませんが、「認められるかどうか曖昧なもの」であることもまた真実です。

ガイドラインが作られたものの、これはあくまで「プロセス」に過ぎず「厳密な条件」ではありません。ガイドラインで示されたプロセスの中で、どのような条件を満たせば尊厳死や安楽死ができるかがわからないままなのです。

細かくいくつかの条件が示された「東海大学安楽死事件」でさえも、下級裁判所の判決ということもあり法的効力が弱く、最高裁で覆る可能性もあります。そんな状況で医師が尊厳死や安楽死を行うことは簡単ではありません。

ただ、そのような状況でも「治療の中止に関する判断は家族と相談の上でできる」とガイドラインにも明示されているため、尊厳死を取り巻く環境については変わりつつあると言えます。

また、多くの判決で「患者の意思表示」を重視する表現が出ており、「リビング・ウィル」の表明は非常に有効と言えるでしょう。生前から「リビング・ウィル」を残しておくか、重篤な疾患に罹った場合には患者本人が予め用意しておくと家族や医師に負担を掛けずに済むはずです。

尊厳死についての考え方は一様ではありません。良い意味でも悪い意味でも法整備に慎重な日本では、安楽死や尊厳死についての議論はまだまだ続きそうです。そんな中で、自分の望む死に方をするためには、国や医師に頼るのではなく、普段からはっきりと周囲に意思表示をしておくことが大切なのかもしれません。

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