日本における安楽死や尊厳死のプロセスと具体例(前編)-ガイドラインについて

日本には尊厳死や安楽死に関する法律がありません。このため、末期がんや老衰によって体が弱り、既に死を待つだけの状態になっても望まない延命治療を受けることがしばしばあります。しかし、そんな状況も変わりつつあり、20世紀末の相次ぐ医療訴訟を経て繰り返し議論が行われました。そして、2007年に厚生労働省によって終末期医療の決定プロセスに関するガイドラインが作られることになります。

さらに、2016年現在、党の壁を超えて尊厳死法案の提出についても検討されるようになり、日本の終末期医療も変わりつつあると言えるでしょう。そんな中、日本における安楽死や尊厳死のプロセスやケースについて、具体例を挙げながら考えていきたいと思います。

安楽死や尊厳死が絶対に出来ないわけではない

まず、安楽死や尊厳死が法律で認められているわけではないと言っても、安楽死や尊厳死が厳密に「禁止」されているわけではないということも理解する必要があるでしょう。判例でも、安楽死が許容されるケースについてはいくつか説明がなされています。

無論、望めば簡単に安楽死や尊厳死が出来るという意味ではありません。まず、それが別の犯罪行為である「承諾殺人」「自殺幇助」などに当たらないということを明確に証明する必要があります。その上で、その行為が違法性阻却事由に当たるか、「医療行為」の延長であるか、ということをきちんと示す必要があるわけですが、線引は非常に曖昧です。

前述した終末期医療のガイドラインは、正に「医療行為の明確な線引をするためのガイドライン」だと考えても良いでしょう。このガイドラインに従っていれば限りなくそれは「正当な医療行為」に近づきますが、その際の判断が正しかったかどうかは別問題です。

客観的に見て、「このケースでその対応はダメでしょ」となれば、医療ミスという扱いになります。

さらに、ガイドラインと言っても具体的に「こういうケースなら尊厳死を認める」などと書かれているわけでもありませんので、正直なところ「参考程度にしかならない」という意見が多いようです。

終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン

ここで、厚生労働省のガイドラインについて簡単に解説していきます。内容的にはかなり短いものなので原文を読んで貰っても良いのですが、注釈をつけながら見ていきましょう。ちなみに、これは平成27年に「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」と改称されています。

<1-終末期医療及びケアの在り方>-要約・抜粋

  1. 医師が適切な情報提供を行い、相談の上で患者本人の意志を尊重する
  2. 治療の開始・中止を含めた判断は複数人の医療チームによって行われる
  3. 患者本人の不快な症状の緩和に加え、患者と家族の精神的・社会的な援助を含めた総合的なケアを行う
  4. 生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死は、本ガイドラインでは対象と しない。(原文ママ)

いつくか重要なポイントがあります。

まず、「患者に対する情報提供が行われていること」です。病気の状況や治療法の説明などを十分に行っていない場合、幾ら患者が「辛すぎるから楽にして欲しい」と言ったとしても延命治療を止める事はできません。当たり前ですが、「実は治るのに患者がそれを知らなかった」なんてことでは困ります

治療に関する判断は「常に複数人の医療チームによって行われる」というのも重要でしょう。担当医だけで判断するのではなく、患者さんを常に見ている看護師やソーシャルワーカー、その他の専門医と相談した上で「治療中止」などの重要な判断を行うべきです。例外もありますが、医師がその場の勢いで「可哀想だから楽にしてあげよう」などというケースは認められません

そして、もっとも重要なのが3番目の項目です。「不快な症状の緩和」や「精神的・社会的な援助」というのは抽象的ですが、要するに「(それが命を縮めるリスクがあったとしても)患者や家族の様々な苦しみを和らげるような治療を行う」という意味です。これは解釈次第では安楽死を許容しているようにも取れます。

なぜなら、「耐え難い苦痛から開放される方法が何も無い」という状況は本人にとっても家族にとっても大きな負担になるからです。患者と家族を救う唯一の方法が本当に「安楽死」しか無いのであれば、終末期医療においてはそれが唯一無二の治療になるでしょう。しかし、ガイドラインに安楽死のプロセスなんて書いて良いのでしょうか?

もちろん、4番で「積極的安楽死は本ガイドラインでは対象と しない」と釘を指しています。積極的安楽死(いわゆる安楽死)が認められる条件というのは非常に厳しく、「それとこれとは別問題」というわけです。ただ、消極的安楽死(尊厳死)について除外するとは書かれていませんので、尊厳死の判断には使っても良いということになります。

<2-終末期医療及びケアの方針の決定手続>-要約・抜粋

終末期医療及びケアの方針決定は次によるものとする。

(1)患者の意思の確認ができる場合
インフォームド・コンセントに基づき、患者の意思決定を基本として、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームとして治療を行う。治療方針は合意文書にまとめ、病状・時間経過に伴い方針の再確認を行う。患者の同意が得られれば、可能な限り家族にも治療方針を伝える。

(2)患者の意思の確認ができない場合
家族が患者の意思を推定できる場合には、その推定意思を尊重する。家族が患者の意思を推定できない場合には、患者にとって何が最善であ るかについて家族と十分に話し合う。家族がいない場合及び家族が判断を医療・ケアチームに委ねる場合に は、患者にとっての最善の治療方針をとることを基本とする。

(3)複数の専門家からなる委員会の設置
患者・家族・医療チームで話し合いを行っても意見がまとまらない場合には、専門の委員会を設置する。

決定プロセスについてはそれほど語ることはありませんが、重要なのはやはり「合意文書を作る」ということです。事故や怪我で意思確認が出来ない場合などには家族や委員会に判断を委ねる他ありませんが、本人の意思で判断ができる間は可能な限り、意思を表明してきたいところでしょう。

病気や症状が進行してくれば意思を伝える事はできません。何らかの形で必ず合意内容を文書化し、家族や医療チームがそれを確認できるようにしておく必要があるということです。

また、例外的に合意が得られなかった場合に第三者委員会を設置するとあるように、「絶対に複数人の合意によって判断する」という姿勢を崩していないのも大切です。家族・医師・看護師・その他の医療チームで合意が取れない場合、医師や家族が強引に話を進めてしまいそうになりますが、「同意が得られないなら無理やり決めるな」と指針を示しておくことで、より一層合意に向けた議論が進むことになるでしょう。

ガイドラインの意味

ここまで読んで頂ければ分かると思うのですが、実際の所ガイドラインには大したことは書かれていないのです。正直、緩和ケアや終末期医療に従事する現場にいる人達からすれば「もうやっているよ」ということであったり、「だからなんだ?」という程度の事でしょう。

しかし、それでも「最低限必要なことを示した」というのには大きな意味があります。

ガイドラインを無視したありがちなケースで言えば、治療の中止を「担当医が独断で決めていた」とか、「口頭で治療方針を確認して終わり」とか、「最後に治療方針を確認してから半年が過ぎた」とか、「医師がちゃんと情報を伝えてなかった」とか、今まではそんなケースがあったかもしれません。

この状態で治療を進めてしまうと、本人の意思が十分に反映されなかったり、冷静な判断ができなかったりするものです。

実際、過去の判例で安楽死や尊厳死に従事した医師が有罪になったケースでは、「患者の意思確認が不十分だった」「情報提供が不十分だった」「医師が独断で決めてしまった」などの要件が問題視されました。

ガイドラインでは当然過去の判例が考慮されていますので、これを順守するだけでも随分違うはずです。

次回は、過去の判例をベースにどんなケースなら「安楽死」や「尊厳死」が認められるのかについてより具体的に触れていきましょう。