液体呼吸とは、気体ではなく液体で行う呼吸のことです。「ああ、魚がやっているエラ呼吸のことね?」とすぐに思いついた方は理解が早いです。エラ呼吸は水に含まれる酸素を取り込み、二酸化炭素を水に溶かして吐き出す呼吸です。
しかし、わざわざエラ呼吸ではなく「液体呼吸」と言う場合、普段は気体で呼吸をしている生物が行う液体による呼吸の事を意味します。現実世界では想像が難しいかもしれませんが、アニメ「エヴァンゲリオン」のLCLや映画「アビス」で液体呼吸を行う場面が登場していますね。この液体呼吸が一体どんな仕組みで行われているのか、なぜそんな呼吸をする必要があるのかについて簡単にご説明しましょう。
2023年7月7日追記
液体呼吸の仕組み
液体呼吸の仕組みと言っても、基本的な理屈はさほど難しいことはありません。酸素を大量に含む特殊な液体(パーフルオロカーボンなど)を肺に満たし、液体を吸い込んだり吐き出したりしながら呼吸をしています。気体がそのまま液体になっただけだという理解で大丈夫です。
水に溺れてしまう私達としては不安になるところですが、私達が吸い込んだ酸素は血液という液体に溶かされて運ばれていることを思い出して下さい。心臓の手術などで使われる人工心肺装置では、血液を取り出して酸素を入れ、二酸化炭素を出すことで呼吸の代わりをさせています。要するに、十分な酸素と二酸化炭素を溶かせるのであれば、液体だろうが気体だろうが何でも良いのです。
ただし、液体は水ではダメです。水に含まれる酸素の量では、人間が必要とする酸素量には足りません。強引に酸素を溶かそうとしても気泡になってしまいますし、気泡を含んだ水を吸い込んでも水が十分な酸素を持っていない以上は酸素不足で窒息します。もちろん、少量の水を吸い込んでも肺に空気を入れる余裕があれば窒息はしませんが、それでは液体呼吸とは呼べないでしょう。
そこで十分な酸素と二酸化炭素を溶かし込める液体を用意します。最悪、血液でも良いのでしょうが、血液を空気のように吐き出したり吸い込んだりする絵面は最悪です。見ている方の血の気が失せます。もちろん、そんなことをする必要はありません。
実は、パーフルオロカーボンのように、血液よりも大量の酸素や二酸化炭素を運べる液体が存在します。本物の血液は酸素や二酸化炭素の他にも色々なものを運ぶ必要があるので、そのままでは血液の代わりにはなりませんが、人工血液の材料に使われたこともありました。そして、液体呼吸は液体を肺に満たすだけで液体そのものを取り込むわけではないので、大量の酸素と二酸化炭素を運べて、人体に害がなければそれで十分です。
その液体で人間が液体呼吸できるようになるのかと思いきや、問題はそう簡単ではありません。気体と液体では、呼吸の勝手が違いすぎたのです。
重い液体を循環させる苦労
(水の中の金魚と特殊な液体に沈むネズミ_ 9gag)
上の写真は金魚とネズミが同じビーカーの中に入って呼吸をしている画像です。よく見ると、途中で液体が分離していることが分かります。金魚は水の中にいますが、ネズミは別の液体の中にいるのです。
実はパーフルオロカーボンのような液体は水よりも重いため、水と混ぜると沈んで分離します。さらに、ネズミの尻尾に金属棒が伸びていますが、これはネズミが浮いてこないように抑えているのです。重い液体の中では、動物は簡単に浮いてきてしまいます。
つまり、液体呼吸に使う液体はかなり重いのです。体の大半が水でできた人間としてはかなりの重量感を感じることでしょう。問題はそれを肺に満たした場合です。重たい液体を吐きだし、吸い込むというのはかなりキツいです。
物凄く軽い空気でも鼻や喉が詰まっていると呼吸がしにくいですが、その比ではないでしょう。常に喉が詰まっているような感覚に近いのかもしれません。その上で、吐き出した液体から二酸化炭素を取り除き、酸素を溶かし込まなければならないわけです。
これがかなり難しく、上の写真の状態だと液体の二酸化炭素濃度が高くなり、最終的には窒息ではなく二酸化炭素中毒で死亡します。人間で液体呼吸を行う場合もでもそこがネックとなり、液体呼吸だけで生きていくレベルには到底達しないと言われています。
しかし、液体呼吸というのはそもそも液体の中で生活するためのものではありません。特殊な液体を使わなければいけないので、素潜りで魚のように海中を自由に泳げるようになるわけでもありませんし、絶対に溺れないようになるということでもありません。液体呼吸には、なんの意味があるのでしょうか?
(次ページ:液体呼吸をする意味)
液体呼吸をする意味とは?
大きくわけて2つの意味があります。「医療」と「潜水」です。
医療への応用
先ほども言ったように、液体呼吸に使えるような物質は人工血液にも役立ちます。そのため、液体呼吸の研究はそのまま人工血液の研究にも繋がり、研究によって人工血液の可能性が広がるわけです。
また、気体は液体と違って重い(高密度)ということを利用し、火傷などで損傷した肺や未熟で弱った肺に流し込むことで呼吸を回復させる治療法が存在します。くしゃくしゃのビニール袋をイメージすると分かりやすいかもしれません。空気を入れてもシワが残りますが、水を入れるとシワがなくなったように見えます。
これを肺の中でやるのです。火傷で潰れた肺胞なども液体を入れることで広がるため、呼吸できるようになるのです。
現に、肺の一部をパーフルオロカーボンで満たし、気道に空気を送り込む部分液体換気法(Partial Liquid Ventilation)と呼ばれる手法が医療の現場で使われています。これは体全体を液体に浸すことはありませんが、通常の人工呼吸器をそのまま使えること、および循環器系への影響が小さいこともあり、新生児の呼吸窮迫症候群の処置に活用されています。
一方、肺を完全に液体で満たす完全液体換気法(Total Liquid Ventilation)も呼吸窮迫症候群の治療に有効だと考えられていますが、安全性が課題となって実用化は困難とされてきました。
しかし2020年に日本で発表された研究で、パーフルオロカーボンに代わって酸素マイクロ・ナノバブル分散液を使うことの有効性が示されています。
今後は新物質の開発ないし応用によって、実用化への道が開けていくかもしれませんね。
潜水への応用
深海に潜るには酸素ボンベが必要になるわけですが、深海ではかなりの水圧がかかるため、普段通りの気圧で酸素を送り込むと水圧で肺が潰れてしまいます。そのため、高い気圧で空気を肺に送り込むわけですが、そうすると通常よりも多くの空気が血液に溶けます。
血液に酸素や二酸化炭素が多く解けるのは良いことのように思えますが、酸素が多すぎると今度は酸素中毒が起こりますし、窒素など余計なものも混ざってしまいます。そして、あまりにも多くの窒素が溶け込むと、浮上する際に溶け込みすぎた気体が気泡になり、気泡が血管を詰まらせます。これが「減圧症」です。
そこで液体呼吸を利用します。肺を液体で満たせば高圧の空気を送る必要はありませんし、液体の中に溶け込む気体の量はコントロールが可能です。大量の気体が血液に溶け込まないのであれば、減圧症は起こりません。
そもそも、最初から水の中で暮らす魚には減圧症なんて起こらないわけですが、それは彼らが液体である水を利用する「エラ呼吸」をしているからで、同じことをすれば人間だって深海に潜れます。
また、クジラなどは細胞内に酸素を蓄える能力を持っており、肺に空気を入れずに潜水を行います。人工血液の研究が進み、血液に酸素を蓄えつつ供給量も調整(一気に酸素を臓器に送ると中毒になる)できるようになれば、理屈の上では人間も素潜りができるようになるわけです。
アニメで使われた意味は?
現実的な利用法として検討されているわけではありませんが、乗り物の中を液体で満たすことで衝撃を緩和することができます。言ってみれば、全身がシートベルトの状態です。
車にはエアバックが搭載されており、事故の際にはエアバックが膨らんで衝撃を吸収しますが、それを車内全体で行うイメージです。車の中で行う他に、アニメ「エヴァンゲリオン」のLCLように戦う乗り物で使っても効果はあります。乗り物が激しく揺れたとしても、液体が衝撃を吸収するので揺れは軽微であり、頭がグラグラ揺れることもないので普通に戦闘を継続できます。
ただ、内臓や血液、三半規管は普通に揺れや衝撃の影響を受けるので、乗り物酔いは普通にするでしょう。また、衝撃吸収が目的の場合には液体呼吸は必要なく、酸素ボンベを抱えていてもOKです。このため、SF作品などでは宇宙服の中を液体で満たすような使われ方もしたようです。
ちなみに、エヴァンゲリオンのLCLには液体呼吸や衝撃緩和の他にもディスプレイや神経接続にも使われていたようで、ただシートベルト代わりとは言えませんね。
まとめ
SF作品で見ることの多い液体呼吸ですが、主な用途は医療や潜水のようです。特に、医療については貢献度が高く、肺障害の治療や人工血液の研究に繋がるというのは注目に値します。
古くから研究されている割にはなかなか成果が出ていないので少しもどかしいところはありますが、ロシアが研究を進めているという話もあるので、今後に期待ですね。