「死にたいですか? そうだ、スイスに行こう」
と言うのは冗談ですが、安楽死を希望し、スイスに訪れる旅行客が増えているらしいです。
これは、スイスでは安楽死が合法であり、ディグニタス(Dignitas)やイグジット(Exit)と言う安楽死をサポートする組織が存在し、海外国籍の方でも安楽死が出来るようにサポートしているというのが大きいです。安楽死が合法である国はスイスだけではなく、オランダやベルギー、ルクセンブルク、アメリカの一部の州で合法となっていますが、認められる要件や年齢などは異なります。
日本では、安楽死は法律で許可されておらず、行った医師には殺人罪や自殺幇助が適用されます。ですが、私達は末期がんで死ぬことが分かっている患者や治る見込みもなく苦しみ続ける患者達に、「苦しみながら死んでくれ」と言わなければいけないのでしょうか?
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安楽死と言うのは、要は「人が安らかに死ぬ」と言う意味で、様々な分類方法が存在します。しかし、ここでは「医師が意図的に薬物などで自殺を幇助する行為」の事とします。要は、積極的安楽死のことです。
死ぬことを医師が手伝わなければそれはただの自殺であり、本人の意志に関係なく殺されれば殺人です。また、「末期の病気の治療を中止する行為(消極的安楽死)」は、治療が不可能なので治療を行わなかったと言う解釈が成り立つため、「自殺・明確な殺人・消極的安楽死」については、今回の話では除外します。
世界で初めて安楽死が許された国、スイス
厳密に言うと安楽死とは呼ばないが、法律で「自殺幇助」が認められるケースを定めた初めての近代国家はスイスです。
「自殺を個人的な理由で教唆もしくは補助し、結果としてその人物が自殺してしまった場合、5年以下もしくは罰金刑に処す」と言う法律が出来たことがきっかけで、逆説的にその要件を満たさない場合は違法ではないと言う事となり、当時大きな話題を呼びました。
しかし、どういう場合に違法ではなくなるのかと言うと、非常に解釈が難しい問題となります。法律では、「〇〇をすると違法ではありません」などとわざわざ記述しません。そのため、その行為が違法な行為ではないと証明するための様々なプロセスが必要となります。
多くの場合、安楽死には医師の協力が必要です。なぜなら、人が安らかに死ぬための薬物や機材の準備は医師の資格が無ければ出来ないことが多いからです。そのため、自殺を幇助する医師は、その人物の死に医師の個人的な理由は存在せず、客観的にみて本人の意志が存在したということを証明しなければなりません。
これが実に難しいのです。本人や親族が同意する契約書は無論必要ですが、患者が病気で朦朧としていたり、一時的な感情に任せて死にたいと言っている場合は本人の自由意志とは言い切れず、患者が正常な判断能力を持っていなかったと判断されます。
とはいえ、長い歴史の中で、スイスの安楽死支援組織であるディグニタス(ディグニティは尊厳死の意)は、違法な自殺幇助ではない事を証明できるプロセスを長い歴史の中で確立させました。
安楽死プロセスの一例
医師やカウンセラーの診断を受け、安楽死を受けるに十分な理由があるか、自由意志で判断が出来るかを判断します。そして、死を選ぶ十分な理由があり、本人の自由意志があると判断された場合、文書による署名や音声記録によって自分の意志で死ぬことを証明できる記録を作成。
ベントバルビタールと言う中枢神経を麻痺させる薬品を飲む前に再び意思確認を行い、その後自分で薬品を飲みます。摂取後、数分で眠りにつき、一時間以内にゆっくりと呼吸が止まって死亡します。
その後、警察機関がその安楽死に違法性が無いかどうか調査し、違法性がなかった場合には安楽死となります。違法だった場合には、殺人や違法な自殺幇助と言う扱いになります。
基本的には、「治療困難な病気の末期状態」にあるか、「病気や障害により、普通に生活するのに著しい不具合」があるか、「病気などによって常日頃から耐え難い苦痛を味わっている」かと言う条件に当てはまった場合に、安楽死が行われる場合が多いようです。
この病気というのには精神病も含まれており、かなり多くの精神的疾患を背負った患者が、安楽死を選んでいるようです。
スイスは安楽死の適応要件が他国に比べて比較的軽く、多くの外国人が安楽死に訪れることが多いのもこのせいでしょう。スイスで安楽死をする実に8割近くが外国人であることも、スイスが安楽死大国であること如実に示しています。
子供の安楽死が認められる国、ベルギー
ベルギーは比較的最近安楽死が認められるようになりましたが、特筆すべきは年齢制限が撤廃されたことです。小学生であっても、安楽死の要件を満たせば穏やかに死ぬことが出来ます。
安楽死の適応要件は、本人と親の意志、その意志が発生するに至る然るべき理由です。つまり、納得できる理由があって本人とその親が本人が死ぬことを望んでいるのであれば可能と言うことです。この然るべき理由には、成人の場合、身体的苦痛や精神的苦痛が認められている一方、未成年の場合は身体的苦痛のみ認められてします。やはり、未成年場合は精神的に未成熟であることが多く、強い精神的苦痛と判断される基準が違うのでしょう。
毎年1500人以上が安楽死で死亡し、ベルギーの死亡者全体の実に2%に達するそうです。
安楽死が認められている国の安楽死による死亡者を全て合わせれば1万人を越えるとも言われていることもあり、身体的・精神的病で苦しみ、安らかに死にたいと考えている人は予想以上に多いことが分かります。
毎年3万人が自殺する日本で安楽死が認められれば、一体何人が安楽死を選ぶのでしょうか?想像もつきません。
安楽死に関する議論
安楽死には様々な議論が存在しています。
擁護派では、
1.生死に関する個人の決定権は最大限尊重されるべきである。
2.精神的・肉体的苦痛があるのにもかかわらず、法律によってその苦痛を受ける事を強いるのは拷問である。
3.本人の望まない延命治療による医療費の公費負担は利益が無く、回復の見込みがあり本人が望む場合に治療を行うべき。
反対派では、
1.安易な自殺は命の価値を貶め、重篤な病気や障害を持っていない患者や健康な人間の自殺を助けるだけになってしまう。
2.医療費削減を目的として、病人や障害者に対して広く安楽死が行われ、本人の自由意志が尊重されなくなる可能性が高い。
擁護派でも反対派でも、基本的には生死を選ぶ権利はあるが、安易な安楽死は認めないと言う傾向が強い。少なくとも、「お金を払えば自由に死ねるような安楽死は認めない」とする場合が殆どです。
安楽死を容認している国でも、本人の自由意志以外にも耐え難い苦痛がある場合としてる場合が多く、「生きることが明らかに大きな苦痛が伴う場合、安らかに死ぬ事を選べる」としています。
反対派では、身体的・精神的苦痛から逃れるための死を選ぶ感情に共感しつつも、重篤な病気や障害から回復する可能性もあり、「どんなに苦しくても生きることを諦めてはいけない」という意見も存在します。擁護派は、この意見について死生観の強制だと批判しています。
ただ、国家として安楽死を認めないとしている国の多くは、「医療費削減目的での病人、障害者、高齢者への差別に繋がる」可能性を懸念して、法制化に二の足を踏んでいると言う場合が多いようです。極端な話、「社会貢献出来ない人間や不利益を与える人間は生きる価値が無いと言う価値観を助長する危険性がある」ためと言い換えても良いです。
安楽死はある意味で殺人であり、自殺を助長する可能性が高いです。とかく、人の命に関わる以上、慎重な議論が必要となります。さらに、根本的に自殺や自殺未遂を殺人や殺人未遂に類する犯罪だとしている国もあり、自殺そのものを認めていないケースも多いのです。
まず、安楽死を法的に認めるには、「自殺に関する法的な解釈」や「それに関する医療行為の関与」など、安楽死以外にもよく議論しなければならない問題が多く、合法化されている国は徐々に増えているものの、世界的に受け入れられるという段階にはありません。