特許庁は、職務発明で得た特許の権利は今までは社員のものとしていた特許法を、「会社のもの」と明記する法改正へ向けて本格的に動き始めた。来年の国会に向けて提出される改正案では、「特許報酬などの規定に関わらず、職務発明の特許は会社の所有」と定められることになる。
青色発光ダイオードの開発者が起こした訴訟から10年が経ち、研究者が自身の権利を積極的に主張し、労働者を酷使する企業に対する戦いが激化する中、この特許法の改正は事実上労働者の敗北と意味することになる。
中韓への流出が懸念されている世界第二位の国際特許出願数を誇る日本の技術は、これからどうなってしまうのだろうか?
特許法の改正
日本の特許法では、今までは職務上開発した技術の特許は社員のものであり、会社がそれを使用する権利を社員が譲渡すると言う形で会社がその特許を使用してきた。しかし、実際にその譲渡契約などが行われる事は少なく、社員に対して特許開発における十分な報酬などを与える事なく、なあなあにしたままで特許を使ってきたと言う実態があった。
これにより、自身の能力や仕事の成果を不当に評価された社員が会社を相手に裁判を起こし、「正当な対価」を要求する訴訟が近年増え始めていた。これに業を煮やした企業は、特許の権利譲渡を正しく行ったり対価を支払うと言う形ではなく、政府に働きかけ法改正をすると言う形で、対抗してきた。
確かに、日本の特許法は他の先進国に比べて曖昧な部分が多く、アメリカの様に詳しく規定しない「企業と社員の契約任せ」や、イギリスやフランスのような「企業保有が基本」とするような、特許に関する企業と社員の立場や役割が明確になっていなかった。
とは言え、日本は世界最大の特許保有・収支計上国であるアメリカに近い「社員が特許の権利を得やすい」立場を取っていたことは間違いなく、これが日本の技術開発を後押ししていた背景もあったという意見も少なからず存在している。
この特許法の改正で、日本技術と社会のあり方はどのように変わっていくのだろうか?
世界の特許法
実を言うと、世界的に見ると特許法はやや企業有利な法律が多い傾向にある。例外はアメリカだが、他の欧州の国では企業が強い。
アメリカ
まず、日本は今までややアメリカよりの特許法となっていた。アメリカでは、特許法についての厳密な規定はなく、基本的には契約内容が優先で、契約に明記されていなかった場合には、その状況にあわせて「その発明をすることが社員の職務だったかどうか」に焦点を当てて特許の権利が争われる。
と言うのは、最初からその発明をするために、社員を雇い・職務を与え、資金を投入してきたのであれば、その発明は企業の戦略的な特許取得であり、企業の権利ということが出来るためである。
例えば、青色LEDが会社の商品に必要で、青色LEDを開発するために研究者を雇い、職務を与え、研究機材を提供してきたのであれば、それは企業努力により習得したものということが出来ると言う解釈である。しかし、もし単なる技術者として雇われた技術者が大きく関わり、自身のアイデアとして作ったものであれば、それは社員の権利となる。
境界線が非常に難しいため、その度に訴訟になるアメリカの法律だが、比較的社員に権利を認められる事が多く、アメリカの研究者のモチベーションを刺激する要因となっている。企業側が権利を保有するためには、契約書に「社員の発明した特許は、会社に自動的に移譲される」旨を明記する必要がある。
イギリス
イギリスは完全に企業優先の国と言える。
まず、社員が自分で自由に発明したものでない限り、会社の許可・指示の元で発明された特許は全て会社のものとなる。
自由な発明と言うのは、例えば、自分の仕事を効率化させるために作ったソフトウェアや工具などがそれに当たる。もしくは、会社が資金援助だけを行った場合も自由発明に当たるといえる。しかし、会社が「作れ」と命じた時点で、それは会社が保有するべき特許となってしまう。
さらに、会社の利益になる特許を開発した社員に対する報酬に対する規定も厳しく。「会社に著しい利益を与えた場合のみ、特別な報酬を社員に与える義務が発生する」としている。これが認められることは稀であり、事実上、技術職の社員は特許を取ることが業務の一部であり、社員にそれを保有する権利はないという解釈となる。
日本の新しい特許法は、このイギリスの形に似たものになると予測されている。
ドイツ
日本と中国に次ぐ特許数のドイツは、アメリカとイギリスの中間とも言えるシステムを取っている。
まず、職務上の発明であっても特許はまず社員のものになる。ただし、特許の権利移譲の請求を行うことで、権利を社員から会社に移すことが可能だ。この移譲には、社員の同意は必ずしも必要ではなく、発明が職務上の発明であり、企業のサポートがあったからこそ発明出来たものであると認められれば、自動的に移譲される。
事実上、ほとんどの職務発明における特許が会社のものとなる規定ではあるものの、権利が最初は社員に発生すると言うのがポイントだ。更に注目するべきは、報酬の規定が厳しく定められており、特許によって得た利益に応じた適切な報酬を社員に払うことが義務付けられている。
企業よりの契約ではあるものの、社員はそれに応じた報酬を確実に何らかの確実で受け取れるため、十分に社員に配慮された法律が定められていると言える。
ちなみに、特許数を単純に比較した場合、アメリカ→日本→ドイツ→イギリスと言う順になり、特許の生まれ易さを特許法だけで比較できるものではないものの、特許法が労働者に配慮されたものであった方が特許が生まれやすい傾向にあるという言い方は出来そうだ。
国と企業の狙い
この特許法の改正で、ただでさえ懸念されている中韓への技術者流出が更に加速すると言われている。中国や韓国の企業は、特許法以前に、莫大な報酬で日本人技術者を日本企業から引き抜いて技術を習得しようとする傾向が強く、どちらかというと「既に発明された特許の発明者」を報酬で引き抜き、自社のものとして無断で使ってしまうと言うやり口だ。
これを防ぐには、労働者を厚遇するしか手はないものの、それに逆行する法改正が行われようとしている。この法改正による企業と国の狙いは何なのだろうか?
特許訴訟によって企業の体力を無為に削ってしまうリスクを減らすためと言う考え方は確かに存在するが、これだけでは説明不足だ。
国や企業の狙いは、「特許を確実に企業のものとすること」で、特許を利用した企業戦略を積極的に推し進めて行こうという点にある。社員に特許が保有されていた場合、社員が別の会社に移った時点で特許の使用ができなくなる。権利移譲を社員を拒否した場合は、裁判沙汰になることになり、特許を使ったビジネス戦略の見通しが不透明になってしまう。
例えば、特許を開発し、そのライセンスをグループ企業や取引企業に与える事で、共同でビジネスを計画したりライセンス料で利益を上げると言う戦略を立てる場合、誰が実際に特許取得者になるか分からない状況で、それを行うのは非常にリスクが高い。社員は入れ替わり、場合によっては新しい社員を入れる可能性もある。新しく来た社員が同意しなかったり、特許の譲渡前に退職された場合にはかなり面倒なことになる。
要は、「使うのは企業なのに、権利者が社員では特許を扱いづらい」と言うのが本音だろう。
会社と社員、どちらが大切なのか?
多くの特許が最終的には企業の物となっていることから、「だったら最初から企業のものにしてしまえば良い」と言うのは確かに合理的といえる。
しかし、開発しているのは社員であり、しかも特許のような技術は一部の技術者の卓越した能力で開発されていると言う側面がある。とは言え、もちろん一人で開発したわけではなく、会社のバックアップがあってこそ特許を開発できていると言うのは間違いない。
一人の人間を皆でサポートして一つの偉業を成し遂げた時、その偉業は一人のものなのか皆のものなのか・・・と言う状況に近いかもしれない。この法改正を見る限り、日本では皆のものだという意見なのかもしれない。
ただ、言い方は悪いが、サポートする人間に代わりはいても、中心になった一人の人間には代わりがいない。お金を出したり、機材を貸したり、雑用をする人間であれば、他の組織の人間でも出来るのだ。
もし、中心になった人間が自分だけのものだと主張するのであれば、それは傲慢だと言わざるを得ない。しかし、中心になった人物とサポートした組織。
特許開発に本当に必要だったのはどちらだったのだろう?