前編では傷の治り方についての説明と、乾燥療法や湿潤療法についてご説明しました。
乾燥療法と湿潤療法の間には基本的に乾燥させるか湿らせるかの違いしかありません。しかし、湿潤療法が注目されると同時に、傷の治療に関して、消毒の是非についても議論されるようになりました。
湿潤療法が体内の細胞の修復能力を最大限活かすためのものであるならば、消毒はそれを阻害するのではないか。そうであるなら消毒しないほうが傷の治療には効果的ではないのだろうか?
と言う観点からです。実際、最近では傷口に消毒液や軟膏を塗りつけるような治療は減っています。結局のところ、消毒の影響とはいったいなんなのでしょうか?
消毒殺菌とは、有害なものだけを殺すわけではない
人間の作る薬品と言うのはかなり大雑把なもので、殺菌・消毒に使われる薬剤は、単にタンパク質を破壊しまくる薬品というだけだったり、細菌や細胞から水分を奪うだけであったり、別に「有害な菌だけを殺してくれる薬品」というわけでも、「毒だけを消してくれる液体」というわけではないのです。
一方で、体内の有益な細胞たちは「体に害のあるものだけを殺してくれる」非常に便利な存在であり、人間が作った「無差別攻撃する消毒液」を使うより遥かに勝手の良い、「殺菌」方法なのです。
まず、傷口に消毒液をかけると、傷口に存在する抵抗力の弱いあらゆる細胞たちが死にます。もちろん、その際に有害な細菌やウイルスも死にますが、それ以上に有益な細胞たちの方が多く死んでいます。そのため、消毒液は治療を遅らせ、場合によっては有益な細胞を殺しすぎて感染症のリスクを高めることもあるそうです。
例えば、傷口に展開している免疫細胞や修復細胞達を消毒液で殺してしまうと、新しい細胞が血液に乗って送られてくるまで修復は進みません。せっかく細胞分裂を進めて修復しようとしているのに、消毒液でそれを止めてしまうのです。さらに、細菌が消毒液の届かない場所に隠れている一方で、免疫細胞達がモロに消毒液を浴びてしまう可能性もあります。敵に攻撃が当たらず、味方に誤射しているようなものです。
雑菌を恐れるがあまり、敵味方構わず攻撃してしまっては、守れるものも守れません。
とは言え、全く傷口を洗わないのよくありません。雑菌は外から入ってくる一方で、免疫細胞などは内側から来ています。傷口の表面を水でよく洗い流すだけでも、十分傷口は綺麗になるものです。
消毒殺菌は絶対ダメ?正しい使い方とは
しかし、誤解してはいけないのが、全ての「消毒や殺菌」がダメと言うわけではないということ。傷に使うのが良くないだけで、手洗いうがいによる消毒殺菌や身の回りのものの消毒殺菌が間違っているわけではありません。
「傷の消毒」と「手洗いうがいによる消毒」には、大きな違いがあります。
まず、手洗いうがいの際に消毒液が触れるのは、「表皮」と「口内」のみであるということ。表皮や口内の粘膜は普段から大量の細菌や異物にさらされる場所であり、非常に強固な構造をしています。そのため、消毒用の薬剤に対しても強い耐性を持ち、適切な量と濃度であれば、異物のみを排除することが出来る有効な武器となります。
ただし、理解しなくてはいけないのが、表皮にも口内にも有益な細菌たちが多く生息しているということ。
常在菌や善玉菌と呼ばれることもありますが、細胞の破壊は最小限であるとはいえ、殺菌消毒ではこれらの善玉菌も死んでしまいます。どうせ死ぬのは菌だけなら、と馬鹿にできません。人が体に飼っている細菌の数は、実は人を構成している細胞の数より多いのです。
大部分は腸内細菌ですが、表皮常在菌もかなりの数に上ります。体内の免疫細胞たちと同様に「害のある細菌だけを殺してくれる」非常に有益な細菌達で、これまた無差別攻撃する石鹸やアルコールなどより、よほど使える連中です。傷口にも皮膚についていた常在菌が入り込んでいることが多く、彼らの活動のお陰で害のある菌が死ぬことも多いのです。
とはいえ、菌は菌。限界があります。常在菌がいるからといって、全く手洗いうがいが要らないというわけではありません。常在菌が殺せない細菌やウイルスもありますし、常在菌は菌ですので、周囲の環境や人の体調によっても殺菌能力が変わります。
しかし、消毒液は人為的に作られ、かつ無差別であるがゆえに、ありとあらゆる細菌やウイルスを確実に殺します。いわば敵味方を無差別に殺す核兵器の様なもので、ノロウイルスやエボラウイルス、インフルエンザウイルスの様な強敵を確実に排除するのであれば、核兵器もとい消毒液が一番です。
傷に消毒液を使っても良い場合
絶対に消毒液を使っちゃいけないのか、と言うとそういうことでもありません。消毒液を使おうが使わなかろうが、傷の修復は進みます。単に、効率やリスク管理に問題があるだけなのです。
逆に、消毒液を使った方が良いこともあります。
傷口に大量の雑菌が入ってしまったケースや、免疫細胞では対処出来ない細菌が入り込んでしまった可能性がある場合です。そう言う場合は、消毒液を使ったほうが良いことがあります。要は、敵が強力すぎるので仕方なく爆撃するようなものです。ただ、消毒液を使った方が良い場合というのはかなり危険な状態でもあるので、早めに医師の診断を受けた方が良いでしょう。
以下の場合には、消毒液を使って確実に殺菌した方が良いと言えます。
明らかに有害なウイルスや細菌が存在する様な環境で傷が出来てしまった場合には、直ちに消毒して傷を覆うことが重要でしょう。病院や重篤な感染症を持った患者と接しているような場合には気をつけなければなりません。エボラウイルスやエイズウイルスなどは、少数でも免疫細胞をくぐり抜けて感染することがあり、傷口は消毒した上ですぐに塞ぎましょう。
野生動物などに引っかかれたり、噛まれたりした場合は消毒が必要な場合があります。野生動物は人間が抗体を持たない特殊な細菌やウイルスを飼っていることがあるため、人為的な処置が必要になります。予防接種を受けていなければ、ペットであっても危険です。どちらにせよ、すぐに病院にかかった方が良いでしょう。
一番ありがちなのは、傷口に土などが多量に入り込んでしまっている場合などです。砂利や乾いた砂程度であれば良いのですが、水分を多く含む土壌の場合、破傷風菌などの嫌気性の細菌が多く存在しています。免疫細胞で対処出来ないこともないのですが、土壌にはかなり危険な毒素を作る細菌が潜んでおり、手段は選んでいられません。傷口に土が入り込んでしまい、処置したもののしばらくして体調を崩した場合にはすぐに病院に行くことをお勧めします。
体内の細胞、細菌と上手に付き合う
人は科学の力で様々な薬品を作り、医療の技術を高めてきました。
しかし、風邪薬や抗生物質と言っても、体内に入り込んだ細菌を殺してくれるわけではなく、単に症状を軽くしたり細菌が増えないようにするだけです。肝心なところは、体の中の免疫細胞に任せています。
消毒液は確かに細菌やウイルスを殺しますが、分別を付けて殺しているわけではありません。
免疫細胞達は人が生きていく上で、様々な細菌たちと戦い、抗体を作り、人の体を守るためのシステムやデータベースを持っています。常在菌は、人と共存していくための術を長い年月を掛けて育み、持ちつ持たれつの関係を構築してきました。
私達人間は彼らの活動を真に理解しているわけではなく、私達人間の科学力は生物達の営みを超えるほどには至っていません。
もしかしたら将来、消毒液がウイルスだけを殺すナノマシンに変わるかもしれません。しかし、残念ながら今の消毒液はそこまで便利な品物ではないのです。
結局、自分の体を守る最良の手段は、自分の体の能力を最大限に高める事です。
体の事をよく知り、体の中の細胞や細菌たちと上手く付き合って行きたいものです。