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日本人はリサイクルが嫌いだった?ゴミの再利用では後進国の日本

日本におけるゴミ捨てはかなり面倒です。曜日ごとに捨てられるゴミの種類が決まっていて、ペットボトルはキャップを外し、洗って捨てろと言われます。消費者がこれだけ頑張っているのだから、「日本はリサイクル先進国に違いない!」と思いたくなりますが、実際は違うのです。

はっきり言って、「日本はリサイクル後進国」です。リサイクルにおいて最も先進的なシステムを持つと言われるドイツに劣るのは仕方ありません。しかし、リサイクル率においては欧州の殆どの国に負けていて、米国や韓国にも差を開けられているのはご存知でしょうか? 消費者としてはこれ以上リサイクルの負担が増えるのは好ましくありませんが、この理由について考えていきたいと思います。

統計データから見えること

まず、日本がリサイクル後進国であることを示すデータが「世界の中の日本ランキング-環境・観光」に分かりやすく掲載されています。これはOECD(経済協力開発機構)が提供している統計データ(Municipal wasteで検索)からデータを抽出して計算したものでしょう。他にも、環境省の統計データなどを使っています。

統計データは非常に細かく細分化されているので分かりにくいですが、ランキングの方を見れば一目瞭然です。

これを見ると、日本のリサイクル率が「19%」であるのに対し、韓国が「58%」で1位、ドイツが「46%」で2位、その後に欧州が続き、米国が「26%」で16位と来て、日本はなんと23位です。OECDに加盟してない国(中国・インド・ブラジル)などが含まれていないにしても、少なくともOECDの内部では明らかに後進国です。

にわかには信じられません。というのも、日本はアルミ缶やペットボトルのリサイクル率が極めて高く、分別もかなり厳密に行われているからです。しかし、これは単に「一部のリサイクルしやすいゴミを徹底的にリサイクルしているから」であって、ゴミ全体のリサイクルという点で見れば殆どリサイクルされていないと言っても過言ではありません。

また、ランキングを見ると日本の焼却炉の数が圧倒的で、焼却率もトップクラスであることがわかります。この焼却率の高さがリサイクル率の低下に拍車をかけているのですが、これには日本独自の事情がありました。

国土の狭い日本にゴミの置き場はない

日本は使える国土が狭いと言われています。これは単純に「平地が少ない」という意味で、山や森が多すぎるからです。平地の多い諸外国では埋め立て処理が主流であり、埋め立て処理は極論すれば「後からゴミをリサイクル可能」です。これはリサイクルには有利な方式といえます。焼却処理をしなければならない日本は少々不利な条件です。

埋め立て処理方式のリサイクルと言っても、埋め立てたゴミを掘り返してリサイクルしているわけではありません。埋め立てる前のゴミを機械的に分別する形でリサイクルしています。これはアメリカが良い例です。消費者レベルの分別は殆ど行われていない(自主性に任されている)にも関わらず、ゴミが大規模な処理施設で細かに分別されており、消費者が一生懸命分別している日本と同程度のリサイクルレベルを達成しています。

全ての国がこの方式でリサイクル率を高めているわけではありませんし、埋め立て処理をしているから諸外国のリサイクル率が高いというわけでもありません。しかし、明らかなハンデにはなっているでしょう。

埋め立てられないゴミは焼却処理をしなければならず、焼却したらリサイクルは出来ません。リサイクルのために大量に焼却待ちをすることもできないでしょう。大規模な施設で分別出来れば良いのですが、人口密集地に隣接した地域にアメリカのような高い分別能力を持つ巨大な焼却処理施設を作ることもできないのです。結果的に、日本は分別能力の低い小型の焼却処理施設を乱立させることになりました。

日本の焼却処理率が高いのと焼却処理場が多いのは、日本のお国柄と言っても良いのかもしれません。私たちはこのハンデを背負った状態でリサイクルを考えなければならないでしょう。

諸外国のリサイクル体制

もっとも、埋め立て処理か焼却処理かは、リサイクルにおいてそれほど重要な部分ではありません。制度的な側面が非常に大きいです。

諸外国のリサイクル制度では「ゴミの多い製品が不利(高価)になる」ようになっており、極論すれば「ゴミになる部材のコスト」が日本より高くなるようになっているのです。ペットボトルやビニールがでなければ、必死にリサイクルする必要もありません。欧州ではこの傾向が強く、「捨てるモノが少ない」というのが特徴的です。ゴミの元を生み出す生産者側がゴミを作りたくなくなるような制度というのが大切なのですね。

しかし、ゴミの多い製品が高価になるのは消費者としては困ります。そこで、諸外国ではゴミの多い製品をきちんとリサイクルすればお金が戻ってくるような制度(デポジット)が整えられており、家電や家具などを業者に渡せばお金をもらえるようになっています。

日本では粗大ごみの廃棄にお金がかかりますが、これとは真逆の制度です。つまり、リサイクル先進国では実質的に「廃棄にかかる金額分を価格に上乗せ」し、廃棄せずにリサイクルすれば「その分が戻ってくる」のです。

どちらが優れているかというと一目瞭然でしょう。ゴミを出す側は「ゴミを減らせば価格競争力が上がります」し、消費者は「リサイクルすればお金が増える」わけです。自然にリサイクルが進むような制度になっています。

日本でこれをやろうと思うと現行価格が上がり競争力が落ちるため、企業側から大きな反発にあうでしょう。経済優先政策のツケかもしれません。

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リサイクルはエネルギーの無駄遣い?

「いやいや、そもそもリサイクルなんて意味ないんじゃない?」

ネット上では時折、「リサイクルはエネルギー効率が悪い」と言われることがあります。これは特にペットボトルやプラスチック関係のリサイクルで言われる事です。もちろん、全てのリサイクルが悪いと主張するつもりはないようですが、これは本当なのでしょうか?

リサイクルがエネルギーの無駄遣いだというのは、「燃やして熱エネルギーにする方がリサイクルするよりもエネルギー効率が良い」という意味で、どんどん燃やしてエネルギーにしようという理屈です。

実のところ、これについては捏造疑惑もあり批判も多く、「全くの間違いである」と無視することもできます。しかし、ここでは本当にエネルギー効率が悪かったものとして話を進めます。

そもそも、エネルギー効率のためにリサイクルしているわけではなく、これは問題のすり替えです。

当たり前ですが、人間が扱う資源の殆どが有限であり、使っていれば必ずなくなります。次から次へと新しいエネルギーを見つけても、いずれ枯渇するのは明らかです。もちろん、資源そのものを人間の科学技術で作れるようになれば良いのですが、人工的に作った資源の消費に伴う環境変化も非可逆であり、元に戻すことはできません

リサイクルされないゴミは永久にゴミのままですし、排出された二酸化炭素などの排気は自然によって回収される速度よりも早く排出されるでしょう。

エネルギー効率だけを優先させてリサイクルをしないというのは、酒場にツケを貯め続けて放置しているようなもの。即金で払うよりもツケを貯め続けた方が短期的には経済的ですが、そのツケを清算するのは無関係な子供たちや別のお客さんです。

消費する資源を少なくするためにリサイクルするのではなく、不可逆的な経済活動を減らすためにリサイクルするのです。

循環型社会を夢見て

リサイクルの理念の一つに「循環型社会」の構築というものがあります。

循環型社会というのは資源がその社会の中で循環し、極端に消費されることもなければ資源を社会の外に依存することもないという社会です。

身近な例で言えば、「給料分はしっかり働く労働者と仕事分の給料をきっちり払う会社の関係」に似ています。労働者が働けば会社が儲かり、儲かれば会社は給料を払えます。給料を貰った社員は給料の分は働こうとするため会社は継続的に利益を出せます。つまり、会社と社員の間でお金と労働力という資源が循環する事になります。

一方、給料分働いていない人は「親や会社から得た金を消費するだけ」で労働が提供されず会社の負担となり、働きの分の給料が払われないと「会社が一方的に労働資源を搾取するだけ」となり、どちらも循環しません。こんな問題を抱えている日本企業は少なくないですが、こんな状態がいつまでも続くわけがないでしょう。

どんな組織・社会であれ、資源が正しく循環しない状態は絶対に長続きしません

循環型社会というのは、資源的に見ると「完成した社会」です。もちろん、資源以外に様々な問題は抱えているでしょうが、資源の管理が問題で崩壊することはないでしょう。

人間はかつて資源が原因の戦争を幾度と無く経験しています。大袈裟な言い方ですが、戦争のない社会と循環型社会は決して無関係ではないのかもしれませんね。

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