教育に携わる仕事は生き残る
- 教授系 -「知識」「技能」などを教授する業務
- 訓練系 -「実践」「反復」などで習熟させる業務
- 養育系 -「人間性」「身体」などの発育を促す業務
比較的幅広い領域に渡りますが、「人に何かを教える仕事」は生き残ります。
教える相手が人間である以上、何を教えるにしても人間の心や考えを正しく理解できなければ教えられません。マニュアルを模倣する形で教えることはできますが、相手の微妙な反応の変化に合わせ、適切に教え方を変えられるちゃんとした教師の代わりになるのは難しいでしょう。
教授系は、「小学校」「中学校」「高校」「大学」「私塾」などの「教員」がそれです。敢えて、養育や訓練などを別系統に分けていますが、小学校の教員などは全ての系統を含んでいます。一方、塾や大学などは知識や技能の教授に留めているのが特徴です。
指導の業務において、最初から教えたことの全てができれば良いのですが、出来ない人間に対して教えることは簡単ではありません。「何故できないのか」を想像して教えるのは人間でも難しいことです。人工知能だと更に難しいでしょう。
また、「できない理由」をパターン化して片っ端から試すことも出来ますが、指導効率は極めて悪くなります。教える側が実際にそれを習得する際の経験が役に立つという側面もあり、全く別のプロセスで学んでいる人工知能には「出来ない理由」がなかなか理解できません。
訓練系は、「動物のトレーナー」や「スポーツや特殊技能のインストラクター」などを含んでいます。人間の訓練はもちろん、動物を訓練するのも人間でなければ出来ないことも多いでしょう。反復・習熟が目的で行われるものですが、指導的な要素を含んでいるのが普通です。
とは言え、マニュアル化された目標があり、それに向かって訓練させるだけであれば人工知能やロボットにも出来ます。「人間の命令に従わせる」事が目的の動物の訓練を行うのであれば、「人間の匂いや動き」を模倣したロボットがあれば出来るかもしれません。
ただ、訓練というのは本当にそれが身についているのかの判断が難しく、経験と勘による部分が大きいです。マニュアル化できたとしても、教育の質という面を見れば人間が入り込む余地が多分にあります。
養育系は、「幼稚園」や「養護学校」の「教員」がそれに当たります。知識だけではなく、人間性や心の発育を促すための教育を行うという点で他の分野とは少し異なっています。前述の「保育」に含まれる部分もありますが、教育面の強い保育だと考えて下さい。
子供に表面的なものを教えるだけであれば、人工知能が提供する教育システムで多少は代用できるでしょうが、やはり教員全てを置き換わるまでは行かないでしょう。特に精神的に未発達な子供の教育に関しては人間でなければ教えられないことも多く、人間性やモラルの教育を人工知能で行っても説得力もありません。
ただ、模範的な人間の心や精神を模倣し、常に子供の身近で物事を教えてくれる専門の家庭教師のようなロボットなら話は別です。子供であれば相手がロボットであっても友人のように扱いますし、ロボットが親身になって子供の話を聞いてくれるのであれば子供がロボットに心を開くこともあるでしょう。
映画やドラマの世界のようではありますが、人間らしく振る舞えるロボット出てくれば、教育も人工知能が行えるようになるかもしれません。
人が人工知能やロボットに勝つためには
ここで挙げた5つの分野の仕事でも、やはり人工知能とロボットは入り込んできます。しかし、この5つの分野の仕事が他とは違うのはこの分野の仕事に関しては人間が有利だという点です。
とは言え、中途半端な仕事をしていたのでは人工知能にも劣るかもしれません。そんな中で人が人工知能との競争に勝つためには、相手の要求にプラスαで応える必要があります。
与えられた仕事をこなすだけではなく、相手が必要としているものを理解し、要求以上のものを提供することで人工知能に対する差別化が図れます。
簡単なことではありませんが、言ってみれば「ちょっとサービス」するイメージで良いのです。
人工知能の場合、要求ラインをどこまで超えて良いのか判断するのが難しいですし、何よりもそれ以上の仕事をする理由がありません。人間であれば、自分の価値を守るため、顧客に喜んでもらうため、という意味合いがありますが、人工知能がそれを自ら見出すのは難しいでしょう。
ただ、「チップ」制度のように要求された仕事以上の「サービス」が当たり前になり、人工知能やロボットにもそれが求められるようになった時、次から次へと人を模倣し超えていく人工知能に対し人はそのアイデンティティを失ってしまうでしょう。
社会構造が代わる程の進化が人工知能に起こった時、政治家ですら人工知能に変わってしまうのかもしれません。