人工知能の技術が飛躍的に進歩し、スマホに搭載されるアシスタントから乗り物の自動運転に至るまで様々な分野で人工知能が使われています。しかし、あまりにもあらゆる場所で人工知能が使われるようになるにつれて、「人工知能ってそもそもなんだ?」という疑問が湧いてきます。
人間の問いかけに答えてくれるSiriやCortanaはかなり人工知能っぽいですが、自動運転や家電に搭載されているような人工知能はいまいち人工知能というイメージが湧きません。また、チェスや囲碁の人工知能などは人工知能の技術力を表す指標として考えられることもありますが、果たしてこれらの人工知能は同じ「人工知能」なのでしょうか? 本記事では、そんな素朴な疑問について考えて行きましょう。
人工知能の定義とは?
辞書やWikipediaを見ると、
「学習・推論・判断といった人間の知能のもつ機能を備えたコンピューター-システム。(三省堂大辞林)」
「人工知能とは、人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。(Wikipedia)」
とあります。
キーワードはやはり「人間」です。
人間の知能を持っているコンピューターを人工知能呼ぶのは間違い無さそうです。しかし、問題をややこしくしているのは人間と完全に同等の知能を持っていなくても人工知能と呼ぶことです。
厳密な意味で人間と同等の知能を持つコンピューターは今のところ存在しません。ただし、部分的に人間の知能を再現しているコンピューターは沢山あります。
例えば、Siriで言えば「人の言葉を聞いてそれに応じた答えを返す」という部分で人間の持つ知能を再現していますし、自動運転で言えば「車を運転する知能」、チェスや囲碁で言えば「ゲームをする知能」を再現していますね。
こう考えると、人工知能が何者なのかが少しだけ見えてきます。つまり、人間が知能を使って行って作業が出来るのであればそれは人工知能と呼べそうだということです。
では、足し算引き算のような単純計算を行う知能はどうでしょう?
単純計算が出来るから部分的に人間の知能があると考えるのには違和感があります。しかし、コンピューターは突き詰めていくとこの単純計算しかしていません。単純計算を大量に集めると部分的にでも人工知能と呼べるようになるのは変な話です。
弱いAIと強いAI
実はここで、単純計算を集めて人間と同じことが出来るだけの人工知能の知能は知能と呼べないという批判が出てきます。つまり、人工知能は人間と同じように考えているわけではなく、ただ結果的に人間と同じことが出来ているだけという見方があるのです。これを弱いAIと言います。
一方、人工知能というのはまさしく人間と同等にモノを考え理解する事が出来るようになった機械を言うのであり、結果的に人間と同じことが出来ているだけでは知能とは呼べないという考え方です。SFに出てくるようなロボットがそれですが、こちらの方が人工知能らしい人工知能と呼ぶことが出来るでしょう。
ただ、強いAIが実現しても突き詰めれば単純計算の塊になる可能性があり、そうなると一体どの程度の単純計算を集めれば知能になるのかという議論も始まりそうです。人間の知能も突き詰めれば神経細胞の単純な信号のやり取りの結果に過ぎないという考え方もあるので、考え始めたらキリのないかなり厄介な議論となるでしょう。
現時点では、強いAIと呼べるような人工知能は存在せず、ほぼ全ての人工知能が弱いAIであり、機械的に作業した上で、「結果的に人間が出来ることを出来ているだけ」という状態です。
そのため、世の中で言われる人工知能は「あくまで人間がやっている作業が出来るだけの弱い人工知能」と考えて良いでしょう。
従って、少々無理があるもののボタンを押して計算してくれるだけの電卓も広い意味では人工知能を搭載していると言えるのです。ただ、単純過ぎる作業が出来るからといって人工知能だとはなんだか言いたくありませんよね。そこで電卓に音声認識装置をつけましょう。すると、なことになんだかちょっと人工知能っぽくなります。
一体、どの時点で機械は人工知能になるのでしょうか?
ただの機械が人工知能になる瞬間
残念ながら、「何ができたら人工知能か」、「どんな機能が搭載された人工知能か」という疑問に対して明確が定義は存在しません。そもそも、人工知能の厳密な定義自体が明確になされていないのです。
人工知能の定義自体がかなりアバウトであるため、製品をハイテクに見せたい企業はちょっと賢そうな機能を搭載していれば「人工知能搭載」と銘打って販売を始めます。これでは、何が人工知能なのかよく分かりません。
ただ、それでも「人工知能は人間の知能を目指したもの」であるという点は変わりません。
機械が人工知能になる瞬間の鍵はやっぱり人間にあります。
考えてみましょう。Siriのように受け答えをする人間はいます。自動運転車が運転するように運転する人間もいます。チェスや囲碁ソフトのように戦う棋士もいるでしょう。ところが、電卓のようにボタンを押してもらって計算する人はまずいません。
その一方で、この計算をしてくれと口頭で言われて計算する人はいますし、手書きのメモを渡して計算してくれる人もいるでしょう。
これがヒントになります。
チューリングマシンの記事でも軽く触れていますが、機械が人工知能かどうかを判定する基準とされるチューリングマシンの考え方では、人間が相手を人間だと勘違いしたら人工知能だとあります。
実はここに盲点があります。
人間側の考え方や常識に変化があれば、人工知能だったものが機械になり、機械だったものが人工知能になるということです。
Siriのような人工知能を全く知らない世代からすれば、Siriと簡単な会話をしてSiriの向こう側に人間がいると勘違いする人もいるでしょう。しかし、Siriを超える高性能な人工知能が登場した世界でSiriは人工知能とは呼ばれません。「ネットで検索しますね」なんて言われた瞬間、機械扱いされるでしょう。
電卓だって計算能力自体が特別だった数百年前の人に見せれば人工知能になるでしょう。現代人でも、機械が人の言葉を理解できるという常識が存在しない以上、音声認識電卓に口頭で指示を出して答えが帰ってくれば、「もしかしたら人がこっそりボタンを押していたずらしているのかも」と考えてもおかしくないです。
つまり、機械が人工知能になる瞬間は、人間が機械の作業を「人間がやっているのかも」と思った瞬間です。
ルンバが埃だらけの部屋を掃除して、部屋が綺麗になっているのを人が見たら、「人間がやってくれたに違いない」と思うかもしれません。車が障害物を避けながら道路を走っていれば、「人間が運転しているんだな」と思うはずです。チェスや囲碁で戦って人間が負ければ、「相手は人間かもしれない」と思うでしょう。
さらに、チェスや囲碁の他にも、ゲームの世界ではかなり古くからAIという単語が使われます。これはゲームというルールが限られた世界の中では、そもそも人間と機械の区別がつけにくいからです。ルールの曖昧な人間世界で人間のふりをするのは難しいですが、ルールの決まった世界であれば人間のふりをするのも簡単ですね。
使われすぎて曖昧になっていた人工知能という「単語の使い方」もこう考えてみると少し分かりやすくなりました。
しかし、これはあくまで「人間っぽく見える」だけの弱い人工知能です。
近い将来、人間と同じように考える強いAIが実現した時、人工知能の捉え方は大きく変わってしまうでしょう。
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