ロンドン橋やタワーブリッジのあるテムズ川。誰もが知るロンドンの名所ですが、実は川でありながら河口に近い場所では海と同様水の満ち引きがあります。引き潮の時に現れるテムズの川床には、文字通りロンドンの歴史が詰まっているのです。
海から約90kmの地点まではテムズ川にも水の満ち引きが起こります。これは北海の潮汐の影響を受けて起こる現象です。
干潮時のテムズ川は川床があらわになり、岸から底に降りることができます。そしてただ降りるだけでないのがロンドンっ子。川底の泥にたまった様々な遺物を広い集めるマッドラーキング(Mudlarking)が、テムズ川では100年以上前から行われていたのです。
元々は18世紀以降の貧民層が生計を立てるため、川床をあさっていたのが始まりとされています。20世紀に入ってからは一度途絶えましたが、1980年以降、趣味としてのマッドラーキングを行うルール作りが進んでいきます。
今ではアマチュア考古学者などが集い、テムズの泥の中に埋もれた歴史的遺物を発掘する文化的な活動として知られています。
なぜ遺物が見つかる?
テムズ川の泥の中には、数百年前の日用品がたくさん、それもよい状態で眠っています。
日用品を拾えるのは、昔は誰もが川にゴミを捨てていたからです。
現在はきれいなテムズ川も、それは19世紀から20世紀半ばにかけていくつも行われた環境保全活動が実を結んだため。それ以前には誰もが川をゴミ箱のように思って好きにゴミを捨てていました。
悲しい歴史ですが、そうして捨てられた物品が拾い集められるようになった結果、数百年前のロンドンの生活について詳細なことがわかるようになったのです。
また、川底の泥に酸素がないこともプラスに働きました。空気中の酸素は素焼きの製品や鉄製品、また革製品を劣化させてしまいます。酸素のないテムズの泥の中では、それらが何百年間もよい状態で保存されます。
これらの要因が合わさった結果、テムズ川には数百年、果ては千年以上前の遺物が眠っています。まさにロンドン市内の遺跡発掘現場といえるでしょう。
19世紀当時のマッドラーキング
記録上マッドラーキングは18世紀から行われていました。当時はロンドンの貧民層が川床のものを売って生活の足しにするための行為でした。
19世紀中頃、当時としては画期的なフィールドワークを駆使して『ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌』を著したジャーナリストのヘンリー・メイヒューは、自身のルポ『ロンドンの労働とロンドンの貧民』の中でマッドラーキングを取り扱いました。
メイヒューは年齢約13歳の少年にインタビューを行い、マッドラーキングの実態をつぶさに記録。『Narrative of a Mudlark』と題されたそのインタビュー記事には、当時の暮らしがうかがえる以下のような記述が残っています。
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この他、警察に追われていた旨の記述もあります。メイヒュー自身マッドラーキングを「労働ではないもの」としてルポに載せていたので、基本的には泥棒とみなされていたと考えてよいでしょう。
時代は下って1904年になるとロンドン・タイムズに逮捕者の報道も出るなど取り締まりは続いていたようです。そうして20世紀中盤になると、マッドラーキングが行われることはなくなりました。