死ぬための旅行、安楽死が合法の国。その条件と尽きない議論。生きることが辛いと死ねるのか?

安楽死が認められている国の安楽死による死亡者を全て合わせれば1万人を越えるとも言われていることもあり、身体的・精神的病で苦しみ、安らかに死にたいと考えている人は予想以上に多いことが分かります。

毎年3万人が自殺する日本で安楽死が認められれば、一体何人が安楽死を選ぶのでしょうか?想像もつきません。

安楽死に関する議論

安楽死には様々な議論が存在しています。

擁護派では
1.生死に関する個人の決定権は最大限尊重されるべきである。
2.精神的・肉体的苦痛があるのにもかかわらず、法律によってその苦痛を受ける事を強いるのは拷問である。
3.本人の望まない延命治療による医療費の公費負担は利益が無く、回復の見込みがあり本人が望む場合に治療を行うべき。

反対派では
1.安易な自殺は命の価値を貶め、重篤な病気や障害を持っていない患者や健康な人間の自殺を助けるだけになってしまう。
2.医療費削減を目的として、病人や障害者に対して広く安楽死が行われ、本人の自由意志が尊重されなくなる可能性が高い。

擁護派でも反対派でも、基本的には生死を選ぶ権利はあるが、安易な安楽死は認めないと言う傾向が強い。少なくとも、お金を払えば自由に死ねるような安楽死は認めない」とする場合が殆どです。

安楽死を容認している国でも、本人の自由意志以外にも耐え難い苦痛がある場合としてる場合が多く、「生きることが明らかに大きな苦痛が伴う場合、安らかに死ぬ事を選べる」としています。

反対派では、身体的・精神的苦痛から逃れるための死を選ぶ感情に共感しつつも、重篤な病気や障害から回復する可能性もあり、「どんなに苦しくても生きることを諦めてはいけない」という意見も存在します。擁護派は、この意見について死生観の強制だと批判しています。

ただ、国家として安楽死を認めないとしている国の多くは、「医療費削減目的での病人、障害者、高齢者への差別に繋がる」可能性を懸念して、法制化に二の足を踏んでいると言う場合が多いようです。極端な話、「社会貢献出来ない人間や不利益を与える人間は生きる価値が無いと言う価値観を助長する危険性がある」ためと言い換えても良いです。

安楽死はある意味で殺人であり、自殺を助長する可能性が高いです。とかく、人の命に関わる以上、慎重な議論が必要となります。さらに、根本的に自殺や自殺未遂を殺人や殺人未遂に類する犯罪だとしている国もあり、自殺そのものを認めていないケースも多いのです。

まず、安楽死を法的に認めるには、「自殺に関する法的な解釈」や「それに関する医療行為の関与」など、安楽死以外にもよく議論しなければならない問題が多く、合法化されている国は徐々に増えているものの、世界的に受け入れられるという段階にはありません。