ちなみに、特許数を単純に比較した場合、アメリカ→日本→ドイツ→イギリスと言う順になり、特許の生まれ易さを特許法だけで比較できるものではないものの、特許法が労働者に配慮されたものであった方が特許が生まれやすい傾向にあるという言い方は出来そうだ。
国と企業の狙い
この特許法の改正で、ただでさえ懸念されている中韓への技術者流出が更に加速すると言われている。中国や韓国の企業は、特許法以前に、莫大な報酬で日本人技術者を日本企業から引き抜いて技術を習得しようとする傾向が強く、どちらかというと「既に発明された特許の発明者」を報酬で引き抜き、自社のものとして無断で使ってしまうと言うやり口だ。
これを防ぐには、労働者を厚遇するしか手はないものの、それに逆行する法改正が行われようとしている。この法改正による企業と国の狙いは何なのだろうか?
特許訴訟によって企業の体力を無為に削ってしまうリスクを減らすためと言う考え方は確かに存在するが、これだけでは説明不足だ。
国や企業の狙いは、「特許を確実に企業のものとすること」で、特許を利用した企業戦略を積極的に推し進めて行こうという点にある。社員に特許が保有されていた場合、社員が別の会社に移った時点で特許の使用ができなくなる。権利移譲を社員を拒否した場合は、裁判沙汰になることになり、特許を使ったビジネス戦略の見通しが不透明になってしまう。
例えば、特許を開発し、そのライセンスをグループ企業や取引企業に与える事で、共同でビジネスを計画したりライセンス料で利益を上げると言う戦略を立てる場合、誰が実際に特許取得者になるか分からない状況で、それを行うのは非常にリスクが高い。社員は入れ替わり、場合によっては新しい社員を入れる可能性もある。新しく来た社員が同意しなかったり、特許の譲渡前に退職された場合にはかなり面倒なことになる。
要は、「使うのは企業なのに、権利者が社員では特許を扱いづらい」と言うのが本音だろう。
会社と社員、どちらが大切なのか?
多くの特許が最終的には企業の物となっていることから、「だったら最初から企業のものにしてしまえば良い」と言うのは確かに合理的といえる。
しかし、開発しているのは社員であり、しかも特許のような技術は一部の技術者の卓越した能力で開発されていると言う側面がある。とは言え、もちろん一人で開発したわけではなく、会社のバックアップがあってこそ特許を開発できていると言うのは間違いない。
一人の人間を皆でサポートして一つの偉業を成し遂げた時、その偉業は一人のものなのか皆のものなのか・・・と言う状況に近いかもしれない。この法改正を見る限り、日本では皆のものだという意見なのかもしれない。
ただ、言い方は悪いが、サポートする人間に代わりはいても、中心になった一人の人間には代わりがいない。お金を出したり、機材を貸したり、雑用をする人間であれば、他の組織の人間でも出来るのだ。
もし、中心になった人間が自分だけのものだと主張するのであれば、それは傲慢だと言わざるを得ない。しかし、中心になった人物とサポートした組織。
特許開発に本当に必要だったのはどちらだったのだろう?