これはヴァルター機関搭載型潜水艦の設計過程で案出された、従来型Uボートの改良案だった。艦の設計にはヴァルター氏自身が深く関わっていて、艦体を大型化して下部に過酸化水素用の燃料スペースを設ける他、流線型の艦体や小型の展望塔など水中での航行を主眼においた設計が盛り込まれていた。
その設計をディーゼルエンジンとバッテリーを使う従来型のUボートに流用し、燃料スペースをバッテリーの増設に使ってはどうか、というアイデアから電気Uボートは生まれた。
いわば副産物といえるものだが、水中の航行に適した船体設計と大容量バッテリーの組み合わせは確実な性能向上につながり、かつ技術的なハードルが低かったことから比較的短期間での実用化が可能だった。最終的にこちらの設計開発が優先され、ヴァルター機関搭載型潜水艦の建造は当初の予定よりも縮小されていく。
戦争末期に完成した電気Uボートは期待通りの高性能を発揮。戦後のアメリカとソ連が潜水艦開発のお手本としたほどの傑作となった。 その誕生の経緯を考えれば、歴史の皮肉と言えるだろう。
ちなみに、AIP機関としてスターリングエンジンを搭載した自衛隊のそうりゅう型潜水艦も、場所を取るスターリングエンジンの代わりにバッテリーを積んだ方が効率が良いとされ、後期型ではAIP機関が外されると言う。奇しくも、歴史は繰り返される。
かくてドイツでは不振に終わったヴァルター機関だが、戦後になると戦勝国に注目され、再び日の目を見る。どこの国もバッテリーの欠点を補うべく非大気依存推進(AIP)を希求していたのだ。
イギリスはUボートXVIIB型のU-1407をサルベージ・修復し、1946年に「メテオライト」と名を改め再就役させる。
その後、ヴァルター機関の実験用としてエクスプローラー級潜水艦2隻を建造。しかし2隻とも爆発や発火などの事故が絶えず、「エクスプローダー(爆発物)」などと揶揄された。結局、 原子力潜水艦の登場にともないヴァルター機関の研究は中断され、これらの艦は役目を終える。
ソ連でもドイツに残っていた資料をもとにS-99潜水艦を建造するが、こちらも潜水中に爆発事故が発生。沈没こそ免れたものの帰港後廃棄処分されている。
結局、潜水艦用機関としてのヴァルター機関の研究は1960年台には途絶えてしまう。革新的な潜水艦を望んだヴァルター氏の野望は、文字通り燃えるような夢となって潰えた。
しかし、一旦は世界中で断念された非大気依存推進(AIP)型潜水艦の研究は、その後も原子力潜水艦を持てない国家で続けられることになる。過酸化水素を用いて酸素を得る方式は液体酸素をそのまま用いる方式に改められ、動力はディーゼルではなくスターリングエンジンになり、潜水艦によっては水素を使った燃料電池方式に変わっていく。
ヴァルター氏が切望した「非大気依存型潜水艦」は、形を変えて受け継がれていくのだ。