ディープラーニングという手法を用いることで、ニューラルネットワークで構成された人工知能がかなり人間に近い思考方法で物事を考えられるようになってきた事が分かりました。
では、これからの人工知能は人間を超えることができるのでしょうか? その問に答えるには、人間とはなにか、人工知能とはなにか、そして真の人工知能とはなにかについて考えなければなりません。
ちなみに「ディープラーニングとか、ニューラルネットワークなんて知らない」という方でも、本記事では特に技術的な話はしないので、気軽に読んで頂ければと思います。
本当の意味で人工的に作られた「知能」とは?
一体、知能とはなんのことを言うのでしょう?
機械が人間を超えるか超えないかの話をする時、人によっては「もう超えてるじゃん? 俺より計算早いんだし・・・」なんて答える人もいるかもしれません。
計算力だけを知能とするなら、確かに機械は人を超えています。しかし、大多数の人が計算力だけが知能ではないこと答えると思います。ところが、何をもって知能というかは議論が絶えず、人工知能の研究者たちの間でも未だに議論されている事柄であったりします。
そこで、「とりあえず知能が何かはわからないけど、人に近いかどうかを判別する方法はある」ということで、機械が知能を持っているかどうかを区別するために「人間」を基準にして考えるようになりました。
つまり、人間の様に振る舞えるか、人間のように考えるか、人間のような意識があるか・・・などなど、数々の要件が知能を持っていると判別するために挙げられます。仮に、「真の人工知能」などというものが存在するのであれば、それはそれらの要件を全て満たし、どこから調べても人間の知能のようにしか見えない機械になるはずです。
チューリングテストと中国人の部屋
とはいえ、現実問題・・・人間がどういうふうに思考しているのかについて、完璧に解明されていません。意識についても曖昧なままです。そんな状態で、全ての要件について、機械が知能を持っているかの判定なんて行えるわけが無いのです。
そこで、チューリングテストというテスト方式が考えられました。
言ってみれば、チャットして相手が機械か人間か区別が付くか。という話です。
大部分の人工知能研究者がこれをパスするための知能を開発しようと躍起になっていますのですが、批判も多いです。
まず、チューリングテストをパスするための機械は、極端な話「計算ミスや間違い」をわざと犯しますし、「答えが分からない」ふりをしたりするのです。「機械としてそれはどうなんだ?」という話もあれば、そういう「単なる人間のフリ」をするのが知能の判別方式だというのはおかしいという話もあるようです。
なにより、「人間側の人間らしさ」に応じて判断が変わってしまいますし、「人間らしくない応対しかできない人間は人間じゃないのか」という話にもなるかもしれません。そのへんの「非人間らしさ」も含めて、ある種の人の個性ですので、極端な話、「機械にも適度に非人間的であったほうが良い」という話も出てきます。
「人間ってなんだ?」という話になると哲学的すぎるのでそこまでにしておきますが、さらに根本的な問題として「単なる人間のフリ」のテストで、「知能があるかどうか」「理解しているかどうか」は分からないという点にあります。
チューリングテストに対する批判に「中国人の部屋」という思考実験が存在します。別に中国人を揶揄しているわけではないのですが、ある中国人に、「中国人がこの部屋にいる」と言って、中国語で中の人と手紙のやりとりをさせます。すると、部屋の中からは中国語できちんとした返事が書いてあったので、中国人は中にも「中国人がいる」と判断します。
しかし、実のところ中にはいたのは中国語のことなんて何も分からない人間で、手紙の返事は中国語の形を見比べながらマニュアルどおりに返しだけのものでした。つまり、中国人と中国語でやりとりが出来たからと言って、その人が「中国語ができる人(≒中国人)」ということにはならないという話です。
これを転じて、人間らしい会話が出来たからと言って、機械が人間の知能持っている、もしくは理解しているとはいえないという批判です。
最もな話ですが、そもそも「人間の脳」だって実は似たような事が起きているという反論もあれば、中国語を返すだけではなくて、人間なみの複雑な模倣ができるのであれば、人間のような意識が生まれるという反論もあります。また、中国語を返すのがマニュアルどおりに出来る時点で、「中国語を理解している」と言えるという反論もあるのです。要は、中国語ができるかどうかは、大量のマニュアルが頭のなかに入っているか、それとも紙に書いてあるかという違いしか無いという意味です。
議論の絶えないチューリングテストですが、人工知能の能力を測る指標としては非常に効果的に使われています。
なにせ、人と会話することは言語を理解するだけではなく、文脈や言外の意図を理解した上で、人間が普段の生活で得ている大量の話題に関する理解がなくては行えないからです。
これは「情報処理装置」としての人工知能を考えた時、非常に有用な指標となります。なぜなら、チューリングテストをパスするということは、人間の指示や考え、会話、文章や書物を、人間の助け(プログラム)無しに理解できるということになるからです。そのレベルに人工知能が達した場合、人工知能は人間を今まで以上に効果的にサポートする事ができるようになります。
ディープラーニングは人を超えられる?
実は、既に時間制限付きのチューリングテストをパスできるレベルの人工知能は存在しています。
時間制限付きとありますが、人が人を騙そうとしてもいつかはボロがでるように、機械が人を騙そうとしてもいつかはボロが出るものです。時間制限なしで人を騙し続けられる機械は、もう少し時間がかかると見られています。仮に、時間制限無しでチューリングテストをパス出来る機械があれば、それはある意味既に人だといえるでしょう。
少なくとも、ネット上のチャットサーバーに常駐して、訪れる人を飽きさせず、沢山の親友や恋人を作れる機械であることは間違いありません。
そして、その程度の人工知能であれば既に秒読み開始しています。
さらに、いつか人工知能が人間を超えるのは間違いないと言われていて、その瞬間は2045年に訪れると専門家は見ています。つまり、2045年に世界中で大量の失業者が出るということです。
とはいえ、ある意味では既に人工知能は人を超えています。
ディープラーニングを使った人工知能は人がやるよりすばやく大量に画像識別が出来ますし、その識別能力や思考能力は日々進化を遂げています。
では、ディープラーニングの手法で人を超える人工知能は作れるのでしょうか?
幸か不幸か、ディープラーニングの専門家は「ディープラーニング」を使った人工知能で人を超えるにはまだまだ時間がかかるとしています。
それもある意味当然で、ティープラーニングは限定的に人間の思考を真似できるようになっただけであり、まだまだ人間のような複雑な思考は行えません。計算能力が早いのが機械の強みですので、もし機械が人間の思考を完璧に模倣できたらその時点で機械は人間を超えたといえるでしょう。
そう考えてみると、「知能」が何であるかはさておいて、人間の模倣ができる様になって人を騙せるようになった機械は、その時点でかなり部分「人を超えてしまっている」のかもしれませんね。
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