深海救難艇と減圧症、沈んだ潜水艦から乗員を救出する困難と克服する方法-潜水艦救難艦とは(前編)

血液内に泡ができる減圧症

実は、深海での人命救助を考えた場合、減圧症というのはどうしても理解しておかなければいけない症状です。

突然ですが、炭酸飲料を思い浮かべてください。炭酸飲料というのは、水に二酸化炭素を溶かして作られています。気体の二酸化炭素が水に溶けるというと不思議ですが、気体も少量ですが水分に溶けるのです。人が酸素を吸って血液に取り込み、細胞の端々に酸素を届けられるのは気体が水分に溶けるからです。

炭酸飲料に二酸化炭素が溶けていることは分かりました。ところが、人の呼気には二酸化炭素が含まれていますが、いくら一生懸命水にストローでブクブク息を吹き込んだところで炭酸飲料は作れません。実は、炭酸飲料というのは、二酸化炭素に高い圧力を掛けて水に沢山溶かし込むことで作られています。つまり、高い圧力をかければ気体は水により多く溶けるということです。

炭酸飲料の蓋を開けると一気に泡が出て二酸化炭素が抜けるように、折角圧力を掛けたとしても元の圧力に戻すと気体は抜けて行きます。よく振るとよく抜けますね。これは、人間の血液でも同じです。

少しぞっとしますね。炭酸飲料の如く、血液に溶け込んだ空気が泡になると考えて見てください。それが細い血管の中を通っていくのです。特に細い血管が通っている脳などは、この泡一つで致命的なトラブルが起こります。これが減圧症です

高い圧力が掛かっている環境で息を吸えば、普通の圧力下で息を吸うより沢山の気体が血液に溶けていきます。そして、そうやって沢山溶け込んだ気体は低い圧力の元でまた気体に戻って行きます。これは普段の生活でも多少起きている事で、「少しくらい」なら大丈夫ですが、一気に発生すると体が耐えられません。

高い圧力に人が長時間晒された場合、ゆっくりゆっくり圧力を下げ、血液に溶けた気体が自然に放出されていくのを待ちます。この作業をできる環境があるかないかで、深海における人命救助の命運が分かれます。

加圧設備と減圧設備の重要性

宇宙空間で救助活動をしようと思ったら、宇宙船から空気が抜けて「気圧が低い」ことが問題になりますが、深海で救助活動をしようと思ったら、水圧の影響で「気圧が高い」ことが問題になると考えると良いでしょう。

空気が沢山あると考えると良いことのように思えます。実際、人がずっと高い気圧のなかで生活していくのであれば問題はありません。しかし、残念ながら深海の水圧と同じような圧力が掛かっている空間なんて殆ど存在しませんし、仮に上手く作れたとしても少し油断してドアを開けた瞬間気圧は元通りです。

つまり、高い圧力の世界に晒された人は必ず気圧の低い元の世界に戻ってこなくてはいけません。しかし、それが急に行われてしまえば、炭酸飲料の蓋を急に開けたような状態になります。炭酸飲料が吹き出さないようにするには、ゆっくりと圧力を下げることが大切なのです。

このための設備が深海救難艇や潜水艦救難艦に備わっており、沈んでいる艦の圧力を加圧装置を使って潜水艇内部で再現し、そのまま徐々に減圧装置で下げていきます。より高い圧力に晒されていた(深海にいた)人ほど、減圧作業に時間がかかります。それを狭い潜水艇の中で行うわけにも行きませんので、潜水救難艦でも減圧作業が行える様になっています。

この際、一度でも外に出ると減圧症が発生しますので、全て圧力が均一の部屋を通り「一度も外にでること無く」潜水艇から救難艦へと移れるようにしなければいけません。このため、潜水艇を運用できる艦船と言うのは、何でも良いというわけには行かず、最低でもそう言った加圧・減圧設備が搭載されていて、なおかつ潜水艇から外に出ること無くそれが行える非常に特殊な艦船が必要になるのです。

潜水艦救難艦とは?

潜水艦救難艦と言うのは、深海救難艇やレスキューチェンバーを運用する能力を持ち、なおかつ艦内に加圧・減圧が可能な設備を持つ船ということになります。

そんな回りくどい事をせずとも潜水艦そのものを引き揚げてしまえば良いということで、潜水艦そのものを引き揚げる能力を持つ艦のことを指すこともあるのですが、浅い海ならまだしも深海に沈んだ潜水艦を引き上げるのは困難で、一般的には前者の深海救難艇などを運用できる艦の事を指します。

後編でご説明しますが、海上自衛隊には潜水艦救難艦「ちはや」潜水艦救難母艦「ちよだ」が存在します。救難母艦と言うのは、潜水艦母艦として「潜水艦に物資の補給ができる」能力があるため母艦と言う呼び方をしています。

また、米軍もかつては巨大な潜水艦救難艦を保有していましたが、攻撃型原子力潜水艦に深海救難艇の運用能力を付与する形になったため完全に廃止されています。

潜水艦の乗組員を救助するためだけにハイテク機能を満載した船をわざわざ作るなんて贅沢な・・・なんて思うかもしれませんが、「深海に人を送り込める能力」と言うのは貴重であり、特に海上自衛隊の潜水艦救難部隊は世界屈指の「飽和潜水」能力を持った部隊です。

飽和潜水と言うのは、潜水艇などを使わずに行う特殊な潜水で、海上自衛隊は実に水深450mというとんでもない潜水に成功しています。世界2位の記録であり、これだけの潜水能力を持つ軍隊は世界を見ても海自ぐらいです。

次回は、潜水艦救難任務で活躍する飽和潜水についてご説明していきます。

 

中編-飽和潜水と潜水艦の脱出装具、人が水深300mを越える世界で活動するために