手持ちのスマートフォンにゲームアプリはいくつ入っているだろうか。
台頭から早数年が経ち、かつてほどの勢いはないにしろ、ソーシャルゲームはすっかり定着した感がある。
しかしソーシャルゲームが爆発的な広まりを見せてきた2010年頃には、さまざまな議論を呼んだものだった。
海外のゲーム開発者も例外ではなく、特にこの年はGame Developers Conferenceで『ファームビル』が賞を取り、開発会社の社長の発言が物議を醸した年だった。
ジョージア工科大学で教鞭を執るゲームデザイナーIan Bogostが『Cow Clicker』の着想に至ったのは、そのような背景がある。
説明するまでもない気がしないでもない『Cow Cliker』の説明
『Cow Clicker』はFacebook上で遊ぶソーシャルゲーム。
ゲーム内容はただ牛をクリックするだけというシンプルさで、牛をクリックするごとにクリック数が加算されていく。
一度クリックしてから六時間経つともう一度クリックできるようになる。
誰かとフレンドになれば牧場にフレンドの牛が配置され、お互いにクリックしあってクリック数を増やすことができる。
説明すべきことはこれだけで、あとはゲーム内通貨を買って牛の柄を増やしたりできる程度という、シンプルにも程がある作り。後述するが、これにはちゃんとした意図がある。
2010年の夏にリリースされた『Cow Clicker』は同年9月には50,000人ものプレイヤーを集めた。
その後も人気は衰えることなく、自分のブログやウェブサイトに『Cow Clicker』を埋め込むためのウィジェットや、果てはパズルゲーム『Cow Clicker Blitz』、また子供に『Cow Clicker』の遊び方を教えるという教育アプリ『My First Cow Clicker』(子供がクリックした分は親のクリック数にも加算される)といったスピンオフゲームまで作られた。
『Cow Cliker』の“意図”とは
このゲームは実のところただのゲームとして作られたものでなく、ソーシャルゲームに対する風刺として機能している。 それは開発者自身が語っていることで、その根源には、ソーシャルゲームの根本原理を抜き出してそれを理解しようという試みがある。
開発者であるIan Bogostはソーシャルゲームのあり方に懐疑的である。 しかしそれはゲーム性の有無や、ブラウザ、スマートフォンというプラットフォームによるものではない。ソーシャルゲームのどのような部分に反発を覚えるのかを分析していった結果、彼は次の結論に至った。
「それよりも、ソーシャルゲームがゲームたるあり方そのものが私には問題だったように思えました。それはつまり、ゲームの危険な側面を際立たせ、それしか見えないようにしてしまうようなあり方です」
彼はニューヨーク大学でのセミナーにおいて、次の4点をソーシャルゲームの問題点として挙げている。
1.思考のフレーム作り
テクノロジーこそ現代の基礎にあるもので、それはあらゆるもの――地下資源や金銭に限らず――を資源として活用するという考えが根底にあるというハイデガーの論を引用し、ソーシャルゲームにおいて「フレンド」は友達でなく、資源――このゲームではクリック数を増やすための存在――としてみるという考え方に向かわせてしまうと語る。
2.プレイの強制
程度の差こそあれどんなゲームにもプレイを続けさせるための心理的なトリックがあるものだが、ソーシャルゲームにはそのトリックしかないと説く。ただゲームを続けさせ、金をむしる装置としてしか機能しない。
3.ゲームプレイの欠如
やはり程度の差はあれど、ゲームにはやりがいがあり、プレイヤーが選択を繰り返して多様な結果が出ることにこそゲームの意義があるというのが彼の持論である。ソーシャルゲームはすべてがただの作業であり、金を払うことでその機械的な作業もスキップできてしまう。
4.時間の浪費
この点について、プレイヤーだけでなく開発、運営をする側もまたプレイヤーをつなぎとめるために終わりのないアップデートを繰り返さなければならないことに触れているのがおもしろい。
こういったソーシャルゲームの欠点であり特徴でもある点を徹底的に煮詰めて無駄をそぎ落とし、「ソーシャルゲームの理論模型」として『Cow Clicker』は開発された。
アポカリプス・ナウ
幾度かのアップデートを経た後、2011年4月にCow ClickARGというイベントが始まった。
これはプレイヤー全員が協力して謎を解く期限付きの謎解きゲームで、同年7月21日までに謎が解けないとCowpocalypseが発生し、大変なことになるというものだ。
制限時間はゲーム内通貨を購入して支払う事により延長させることができ、実際に9月7日まで延長された。
しかし健闘の甲斐なくCowpocalypseが発生。ゲーム上の全ての牛が画面上から消え去ってしまった……が、牛のいた場所をクリックすればゲームは問題なく続行できるという。
これは事実上のゲーム終了宣言であり、これ以降のイベントやアップデートは特に企画されていない。
『Cow Clicker』はゲームであり、風刺であり、また議論でもあった。実際に遊ぶことができ、ソーシャルゲームの欠点を笑い飛ばし、何よりも“ソーシャルゲームはこれでいいのか”と人々に問いかける、壮大な議論だったのだ。
諧謔的な議論を表現したゲームが人気を博したという壮大な皮肉は、もはやソーシャルゲームという文脈を越えた興味深い現象ではないだろうか。