ニューロコンピューターの未来。今までのコンピューターとは何が違うのか?IBMのSyNAPSEチップTrueNorthが実用化

DARPA(米国国防省国防高等研究計画局)が日本円にして50億円以上の支援をし、自身も巨額の予算を投入して遂にIBMが商用レベルのニューロコンピューティングチップ「TrueNorth」の開発に成功した。

数年前よりIBMは、「SyNAPSE」と呼ばれる人間の脳の構造を模倣したチップの開発を進めており、世界で最も進んだニューロコンピューターの開発に成功していたが、商用レベルにはとてもではない到達していなかった。それが、百万個の「デジタル・ニューロン」と2億個千万個の「デジタル・シナプス」を用いることによって、遂に商用レベルで大量生産が可能なチップが完成した。「TrueNorth」は、その商品名となります。

しかし、人間の脳に比べて圧倒的に正確で高速な計算力を持つ今のコンピューターに対して、脳を模したニューロコンピューターチップの何が今までと違うのか?さらに、このチップの登場により、私達の生活はどう変わっていくのだろう?

 従来のコンピューター(ノイマン型)との違い

まず、今までのコンピューターとは根本的に全く違う原理で動いている。

一般的に使われるコンピューターはノイマン型と呼ばれ、メモリから0と1で構成された情報(計算要求)が送られてきて、それをCPUで順番に受け取って計算を行う。そして計算結果をメモリに返すことで、コンピューターとしての演算が完結する。基本的にはCPUとメモリで役割が分担され、CPUは計算のみを行う。

ところが、今回開発されたニューロコンピューターでは、チップの中にあるデジタルニューロンそのものが情報を蓄積する能力があり、受け取った情報は各ニューロンに送られ、演算そのものは各ニューロンに送られた情報を各々のニューロン間で並列でやりとりする事で成立します。

(構造を単純化した図)

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構造だけ見るとメモリが無くなっているだけのように見えますが、実際にはニューロチップに送りきれない情報を蓄える記憶装置が別に存在しています。ただ、一つ一つの演算装置であるニューロンが受け取った情報を蓄積・解析し、他のニューロンと情報交換しながら、関連性の高い情報と不要な情報を切り分けつつ演算を行うので、一つの情報当たりの演算の回数は圧倒的に少なくなります。

そう言われてもイメージが掴みにくいと思うので、例えば「10万人の顧客リストから、一人の顧客を見つけ出す計算をする」と考えてみます。

コンピュータには、膨大な数の名前が入った顧客リストと、探して欲しい名前しか与えられず、リストがあいうえお順にインデックスが振られていれば良いのですが、そうでない場合、今までのコンピュータは片っ端から順番に見ていきます。

ところが、ニューロコンピュータはリストの名前を一斉に見ます。そして、それっぽい名前(似たような名前)だけに絞って、明らかに違うような名前は放棄します。そして、似たような名前から少しずつ絞って言って、正しい名前を見つけ出します。

これを人間の行動で簡単に言い換えると、今まではリストの名前を一つ一つを上から順番に見て言ったのに対して、ニューロコンピュータはリストを眺めて名前を見つけ出す。と言う感覚に近いでしょう。

小さな電力消費、学習により速度が向上

原理が大きく違う事が分かりましたが、具体例のように、「リストを眺める方法」で本当に早く見つかるのか・・・と言うと、それはその人の経験により大きく異なる。というのが、正しい応えになります。

人間でもそうですが、名前を一つ一つ探すより、リストを眺めるようにして名前を探した方が疲れません。リストが日本人の名前であれば、似たような名前があれば眺めただけでもピンと来て見つけられるでしょう。最初の方はうまく行かなくても、慣れていけばどんどん早くなるはずです。

しかし、それが日本語ではなく、ロシア人の名前で書かれていたら話は別です。全く見覚えのないロシア語で書かれていたら、名前を一つ一つ見ていかないと見落としてしまいます。しかし、ロシア語の意味や特徴を覚えていけば、眺めるだけでも十分名前を探せるようになりますようね。

学習経験により計算速度が大きく向上する。それがニューロチップの特徴の一つです。
さらに、要らない情報の計算を早期に切り捨てるので、消費電力が圧倒的に低いというのも、大きな特徴になっています。

今回の「SyNAPSE」チップでは、消費電力の低さが従来型チップに比べて圧倒的に有利であり、タスクによっては従来型の0.1%程度の消費電力で同じタスクの実行が可能です。ただし、計算速度は従来型より遥かに遅くなります。

構造そのものが違い、全く別の計算方式を採用しているため、計算回数が少ないからと言って早いとは限らないのです。
計算速度が遅くては意味がないと思うかもしれないが、現在のCPUは小型・高密度化が進んでおり、単純な速度比較は出来ません。つまり、SyNAPSEチップの小型・高密度化が進めば、同じサイズで同等の計算速度を達成する事は十分にあり得るということです。

現在、IBMではSyNAPSEチップを複数使用し、脳の計算能力に匹敵する「ニューロ・シナプティック・スーパーコンピュータ」の開発を進めています。その規模であれば、従来型の高性能コンピューターを遥かに凌ぐ演算速度で、

脳には、数千億個のニューロンがあり、シナプスは更にその数百倍はある。今回の「TrueNorth」はニューロンが100万個程度であることから、「TrueNorth」が数万個あればニューロンの数的には到達します。実際には、脳の中で計算に使われているニューロンの数が限られることから、それより遥かに少ない数で実現できることが期待されています。

私達の世界はどう変わっていくのか?

SyNAPSEチップの最大の特徴は、脳に似た情報並列処理能力と低消費電力です。

脳に似ているということは、今現在コンピューターより脳の方が優れていると言える情報処理をSyNAPSEに代用させると言うような使い方が考えられます。
例えば、音声認識・画像認識など、アナログ情報をデジタル化する情報処理です。

現在、顔認識テクノロジなどには、かなり高性能なチップと大きな電力消費が必要となっており、一般企業ではとても使えるレベルにはなっていません。しかし、将来的にはインターホンなどに簡単に搭載できるようになり、音声や画像から来客者が誰だか分かるようになるかもしれません。

そして、圧倒的な低消費電力ということは、小型端末に搭載して使うことが容易になります。

グーグルグラスに搭載し、顔認識機能を使いながらもバッテリーを殆ど消費しないと言う事も可能ですし、補聴器などに搭載して小型で長時間使用な可能な補聴器を開発する事も出来るようになるでしょう。

一つ注意して欲しいのが、ニューロコンピューターは実際の脳神経の働きをモデルにしているというだけで、実際の脳の働きを完璧に模倣しているわけではありません。ニューロチップによって、人間の様に機械が意志を持ったり自律行動できるようになると言うレベルではありません。

あくまで、「脳の演算能力」を再現するために開発された技術であり、脳を人工的に作るための技術ではないのです。