翻訳:「海上の戦争」、群狼作戦立案者のデーニッツ元帥の小論(序章~1章)-海軍再編

海軍情報部も主に大陸上の強国に対しての活動を命じられ、イギリスからの情報の照合は軽視されていた。

海軍内部の改革と艦艇の建造は平行して進められた。15,000人の海軍兵士は、訓練を積んだ下士官や水兵たちの中心的存在として重んじられた。将来の新造艦にクルーが対応できるよう、既存の艦はほぼ訓練のためだけに用いられた。大きな問題は発生しなかった。1935年から1939年にかけてドイツの国益保護のため結構な戦力をスペインに派遣していた間、近海での訓練に支障をきたしたことがあったが、近海では得られなかった洋上経験を多くのクルーが得るよい機会となり、まんざら無駄ではなかった。

技術開発は資金不足のため滞っていたが、1933年以降は精力的に推し進められた。海軍の技術者達は短い期間で魚雷と機雷の研究を飛躍的に進め、一級の性能を発揮するすぐれた兵器を開発したと豪語していたが、実際に効果を上げたものはごく一部にとどまる。単純な磁気信管で動作する沈底機雷は開戦初期に多大な効果を上げたが、イギリス軍が磁気機雷への有効な対応策を取り入れると、次に打つ手はなかった。さらなる新技術開発は進められていたが完成には至っておらず、実戦投入は遅々として進まなかった。1944年にようやく実戦投入されたものもある(オイスター機雷や音響機雷)。魚雷の磁気信管には多大な期待が寄せられたが、実戦で誤作動を起こし、その欠陥が露呈した。短波を利用した位置探知技術の研究開発も進められていたが、後に判明するように、この領域で連合国が到達していた技術レベルにも達することなく終わる。海上戦闘を行う上で決定的不利な状況にあったというのに、戦前のわれわれはそれに気づかなかった。ともあれ他の海軍軍事技術の分野においては成果を上げ、大規模な武装解除の末無力化されていた軍の機能をある程度回復できたのもまた事実で、特にUボートは潜水艦としては世界一との自負があった。

開戦当時、ドイツ艦隊はまだ再編の初期段階にあった。艦艇の数はロンドン海軍軍縮条約で許可された数にも遠く及ばなかった。ビスマルクとティルピッツはまだ建造途中で、本物の戦艦といえるものはまだ1隻もなかった。

1933年以降に就役した艦は次の通り:
 戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウの2隻
 ポケット戦艦アドミラル・シェーアとアドミラル・グラーフ・シュペー
 重巡洋艦アドミラル・ヒッパー
 1934型駆逐艦と1936型駆逐艦合わせて22隻
 1935型水雷艇数隻
 Ⅱ型、Ⅶ型、Ⅸ型Uボート合わせて約48隻

大戦勃発時点で建造途中だった艦は次の通り:
 戦艦ビスマルクとティルピッツ
 空母グラーフ・ツェッペリンと「B」(注3)   
 重巡洋艦ブリュッヒャー、プリンツ・オイゲン、リュッツオウ、ザイドリッツ
 駆逐艦8隻
 水雷艇数隻
 Uボート数隻

ヴェルサイユ条約で空軍を完全に廃止されたため、空軍の編成は一からのスタートとなった。このことがあって、自前の航空戦力が欲しい海軍からの精力的な働きかけにも関わらず、ヒトラーは海軍の航空戦力もドイツ空軍内で編成することに決定した。こうなると開発する航空機の種類を精選せねばならず、またその他の航空学上の問題も持ち上がった。開戦当初には海軍機部隊が多数存在していた。戦術上の目的から、これらの航空部隊は開戦初期に海軍の指揮下に置かれていたが、所属はあくまでドイツ空軍だった。少数の戦闘機隊を除いて、そういった部隊は水上機と飛行艇しか有していなかったが、戦局が進むにつれ失策だったと判明する。水上機では要求されるだけの成果を上げることはできず、一方で地上基地から発着する航空機を設計する際に海軍の逼迫した事情は十分考慮されなかった。

続く

 

脚注

注1)  ニュルンベルク国際軍事裁判で糾弾された無制限潜水艦作戦とそれにまつわる国際法違反のことと思われる。アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツがアメリカも同様の行為を行ったという証言を行い、結局この件では無罪とされた)

注2)原文ではヴェルサイユ条約下での水雷艇の保有数が24隻であるかのように書いてあるが、実際は排水量800トン以下の駆逐艦12隻、200トン以下の水雷艇12隻という取り決めで、駆逐艦と水雷艇をまとめた数を書いているものと思われる。建造されたという12隻の水雷艇は時期と建造数から見てZ計画で建造された1923型と1924型水雷艇だと思われるが、排水量の関係からヴェルサイユ条約下では駆逐艦として扱われていた。ヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄した後、排水量2000トン級の1934型駆逐艦が建造されると、1923型と1924型水雷艇は駆逐艦から水雷艇に分類されるようになった)

注3)グラーフ・ツェッペリンの同型艦。ドイツ海軍では進水前の艦艇には名称が与えられず、「B」と呼ばれていたこの艦は結局建造途中で廃棄された。
◯参考資料: 
The Conduct of the War at Sea : Introduction – SECTION I
(http://www.uboatarchive.net/Misc/DoenitzEssay.htm)