軍令部もUボート艦長も、Uボートの多大な戦果を期待していた。港湾に至る水路が狭いこと、また敵の反撃が予想されたことから交戦の機会は多くなると見られていたが、その期待は大きく裏切られる。原因は魚雷の不具合で、開戦時には魚雷の不足が明らかになったが、ノルウェー侵攻時には魚雷の欠陥が痛ましい形で明らかになった。長時間に及ぶ会敵でUボートが長い間潜水していると、魚雷のデプスチャンバー※2内の圧力が高まり、走行深度が設定より深くなってしまうのだ。プリーン大尉がハーシュタ付近でイギリスの大規模な船団に向け至近距離から雷撃を行ったが、魚雷が深すぎて命中しなかったという事例がある。かなり後になってドイツ海軍は系統的な調査を行い、魚雷の技術的不良についての記録が集積され、雷撃失敗の増加の原因がようやく明らかになった。雷撃の機会は数多くあったが成功はごくわずかで、魚雷への信頼は失墜し、Uボート艦長は乗員のモラル回復に努めねばならなかった。同時に魚雷の不具合に対して可能なあらゆる対応策が取られた。
※2(注)内部を1気圧(=深度0の水圧)に保った密閉機構のこと。この内部の気圧と魚雷にかかる水圧の差で魚雷の走行深度を測定していた。
4月12日から13日にかけて、スカゲラク海峡において多数の輸送船がイギリスの潜水艦と航空機の攻撃を受けて損傷ないし沈没。ノルウェー侵攻作戦の脅威となったが、適切な防御策のおかげで事態は終息をみる。以後スカゲラク海峡で確認されたイギリス潜水艦は漸減、やがて極小数となり、航空機による被害も1944年末まではごく軽微なものにとどまった。
ナムソスからのイギリス軍の攻撃を退けたことで、ハーシュタから上陸した敵の攻勢はあらかた制圧されたが、唯一ナルヴィクでは予断を許さない状況が続いた。ナルヴィクにおけるイギリス海軍の攻撃で、ドイツは新鋭駆逐艦を10隻喪失。深刻な燃料不足で満足な戦闘力が発揮できずに喫した敗北だったが、生き残った乗員は地上部隊と合流して戦闘を続けた。彼らなくしてナルヴィクは持ちこたえなかっただろうとは、ディートル上級大将の言である。
イギリス軍は着々と進攻を続け、ナルヴィク陥落も必至と思われたが、敵は突如ノルウェーから撤退を始めた。当時連合軍はオランダ、ベルギー、フランス、そしてダンケルクからの撤退を行っていたため、その影響があったのだろう。
この時北方の海域に展開していたドイツ艦艇は撤退するイギリス海軍の追撃に向かった。司令官が重巡洋艦アドミラル・ヒッパーと護衛の駆逐艦隊を燃料補給のためトロンハイムに向かわせた後、戦艦シャルンホルストとグナイゼナウは英空母グローリアスと2隻の駆逐艦を攻撃。3隻とも撃沈したが、シャルンホルストが雷撃を受ける。
ノルウェー沿岸の海上輸送路はイギリス海軍と空軍の深刻な脅威にさらされていたが、輸送路の維持はノルウェーの確保には不可欠であり、さらにイギリスが奪回に動いた場合にも備えるべく、強固な沿岸防御の構築がすぐさま開始された。長大な沿岸を隙間なくカバーするのは不可能だったため、できるだけ短い間隔で防備付きの基地を配置し、危険が迫った場合に商船が逃げ込めるようにした。また主要な基地は要塞化され、Uボートや艦艇の拠点としての設備が設けられた。当初は不安もあったがこれは成功を収める。ノルウェー沿岸の輸送は大規模かつ非常に重要なもので、戦争全体を通して驚くべき成功を収めたが、末期の数ヶ月には被害が広がっていった。またノルウェー南部とバルト海への進入路の防衛のため、スカゲラク海峡西部に機雷原が敷設され、戦局の推移にともない拡張されていった。
海軍の戦力は基本的にノルウェーに留まっていたため、西方の作戦では活躍の機会は少なかった。戦線の急速な拡大のため、ダンケルクから撤退するイギリス軍を叩くために満足な戦力を動かせず、少数のEボート※3が出撃しただけで成果も微々たるものだった。
※3(注)Eボートとは、シュネルボート(Sボート)の英国側の呼称。魚雷を搭載した排水量100トン以下の小型艇で、快速と長大な航続距離を誇る。通商破壊などに従事。