日本における安楽死や尊厳死のプロセスと具体例(後編)-事件と判例

「北海道立羽幌病院事件(不起訴)」-高齢患者から人工呼吸器を外す

2004年、食事を喉に詰まらせ心肺停止となった90歳の患者が搬送され、病院で人工呼吸器が取り付けられました。しかし、心肺停止の時間が長かったため医師は脳死状態と判断。医師は家族の同意を得て人工呼吸器を外し、その15分後に患者は死亡しました。

今までの事件は全て薬剤を使った安楽死(積極的安楽死)でしたが、今回は治療を中止しただけであり、完全に尊厳死にあたるものです。患者は高齢であり、同じような例は日本中にいくらでも見つかるでしょう。

今回のケースでは、「家族の同意があり」「治療法が存在せず」「治療が無意味」と十分に尊厳死の要件を満たしているように思われますが、「家族に十分に説明したか」「死期が間近に迫っているか」という点が焦点となりました。

最終的には「人工呼吸器を外したことによって死亡したかどうかの因果関係が証明できない」とされ、不起訴処分となりました。

これは尊厳死における条件(違法性阻却事由)とは無関係の内容であり、単純に「人工呼吸器をはずさなくても死んだかもしれない」と言っているだけです。ある意味では「死期が近かった」という解釈もできますが、そもそも脳死状態の人間が人工呼吸器なし生きていけるわけがありません。

尊厳死だけではなく、日本においては脳死と死亡の因果関係についても定義がはっきりしていません。このことも、事件化されてしまった理由の一つと言えるでしょう。

この事件が報道された時には全国の医療関係者から同情の声や警察に対する批判の声が集まりました。このケースでは医師側のミスというよりも警察側で扱いに困ったと考える方が自然でしょう。

当時は終末期医療のガイドラインなども存在しませんでしたし、「適切なプロセスで治療が行われていたか」という判断が難しい状態でした。そんな状態で「調べてくれ」と言われたら、「殺人の要件は整っているから書類送検しよう」となるのも頷けます。

安楽死にせよ尊厳死にせよ、医師が「殺人」や「傷害」の基本要件を満たしてしまうケースは非常に多いです。しかし、医療行為は「違法性阻却事由」と呼ばれる一種の例外規定にあたるため、身体を切り刻もうが殺してしまおうが、それが適切な医療行為の範疇である限り違法ではないと判断されます。

つまり、今回の場合は「メスで切ったから傷害罪」と言って送検したようなもので、終末期医療の規定が明確でなかったために起きた事件だったといえるかもしれません。

その他の類似事件

あまり詳しく扱いませんが、この他にも北海道と同様のケースで送検された事件がいくつかあります。内容的には殆ど同じものであり、全て不起訴処分となっているので簡単に扱うだけに留めます。

富山射水市民病院事件(不起訴)

2000年から2005年にかけ、医師が50代から90代の患者6人の人工呼吸器を外し死亡させた事件。全てのケースで家族の同意を得ており、家族も被害者意識がなく、人工呼吸器の抜管と死亡の因果関係が十分に証明できないために不起訴処分となりました。

これは家族の同意があったとはいえ治療中止の決断を担当医が他の医師などに相談せずに行なっていたため、問題視した病院側が警察に届け出たことで事件化しました。これもまた、ガイドラインがなく終末期医療のプロセスが明確になっていなかったために起こった事件だといえるでしょう。

和歌山県立医科大学附属病院事件(不起訴)

2006年、80代の患者が脳出血で搬送され緊急手術を行ったものの呼吸が停止し、人工呼吸器が取り付けられました。その後、脳死判定が行われ、家族は「自然に死なせてやって欲しい」と尊厳死を要求します。しかし、上述の事件が報道されていたこともあり、医師は人工呼吸器の抜管を二度に渡って拒否します。それでも尚、家族が人工呼吸器の取り外しを望んだために人工呼吸器を外した所、患者は死亡しました。

警察に届け出た副院長は「治療中止が医師個人の独断だった」としている一方で、患者の家族は「医師に感謝している」と証言しているようです。報道では医師は何度も断ったとされていることから、警察沙汰にするほどのことではないように思われます。最終的に不起訴となっていることからも、問題のある行為とは言えないのでしょう。

現在の尊厳死と安楽死の状況

法整備がなされていないことや上述の事件のこともあり、全国の病院で一律に同じ条件で安楽死や尊厳死が行われているとは言えません。尊厳死や安楽死は「絶対に認められないもの」ではありませんが、「認められるかどうか曖昧なもの」であることもまた真実です。

ガイドラインが作られたものの、これはあくまで「プロセス」に過ぎず「厳密な条件」ではありません。ガイドラインで示されたプロセスの中で、どのような条件を満たせば尊厳死や安楽死ができるかがわからないままなのです。

細かくいくつかの条件が示された「東海大学安楽死事件」でさえも、下級裁判所の判決ということもあり法的効力が弱く、最高裁で覆る可能性もあります。そんな状況で医師が尊厳死や安楽死を行うことは簡単ではありません。

ただ、そのような状況でも「治療の中止に関する判断は家族と相談の上でできる」とガイドラインにも明示されているため、尊厳死を取り巻く環境については変わりつつあると言えます。

また、多くの判決で「患者の意思表示」を重視する表現が出ており、「リビング・ウィル」の表明は非常に有効と言えるでしょう。生前から「リビング・ウィル」を残しておくか、重篤な疾患に罹った場合には患者本人が予め用意しておくと家族や医師に負担を掛けずに済むはずです。

尊厳死についての考え方は一様ではありません。良い意味でも悪い意味でも法整備に慎重な日本では、安楽死や尊厳死についての議論はまだまだ続きそうです。そんな中で、自分の望む死に方をするためには、国や医師に頼るのではなく、普段からはっきりと周囲に意思表示をしておくことが大切なのかもしれません。