「モリー先生との火曜日」ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されながら、『時間があって幸せ』だと語る教師の物語

多くの人に死は突然、予期せぬ形で現れる。死が近いと告げてくれるのは幸運なこと。だから、時間のあるときに、生きている時に、感謝して、人を許すべきなのだろう。ちょうど良いチャンスが来ることを待っていられるほど、時間があるとは限らない。

人にどう生きるのかを問う物語

モリー教授の言葉は、本の中にはもっともっと沢山ある。一つ一つ語っていたのではキリがないだろう。

どう死ぬかとどう生きるかは同じこと。そう言って、死を前にしてようやく初めて気づくことがあるのだろう。しかし、死を前にして時間があるほど幸運な人は少ない。私達は、モリー教授やその他の先人たちの言葉を大切にし、死を想像して自分の生き方を問う他はない。

1年後に死ぬとしたら、自分は何をしたいのだろう?

本当に1年後に死ぬつもりで生活したら貯金が底を突いてしまいそうだが、1年後に死ぬと分かっていたら絶対にしないことだけを、一生懸命やるような真似はしたくない。少なくとも、お金を稼ぐことはしないはずだ。

大切なのは、1年後に死ぬと考えて今やりたいことが本当にやりたいことなのだと気づくこと。本当にやりたいことをするためには、どうすればよいのだろう。一日でも、一時間でも、一分でも、本当にやりたいことを自分はできているのだろうか?突然、死ぬことになっても後悔しない人生なのだろうか?

そう考えて、自分の生き方を見なおしてみることには価値がある。

この本の著者のミッチ・アルボムは、モリー教授と再び会った事で人生が変わった。もはや、以前の様に、モノとカネだけのために生きる生活はきっとしていないはずだ。少なくとも、近年書いている著作や慈善活動からは以前の面影は見当たらない。

ところで、私達はモリー教授に出会う前のミッチ・アルボムになってはしないだろうか?