「モリー先生との火曜日」ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されながら、『時間があって幸せ』だと語る教師の物語

しかし、このテレビ放送を偶然見かけたミッチは、慌ててモリー教授に連絡を取る事になる。

モリー教授は、昔からミッチに対して、お金やモノよりも大切な物があると教え、ミッチもそれに共感していたはずだった。しかし、ミッチは大人になり、働くようになるとそれを忘れて、お金とモノを追いかける毎日を送っていた。そんなミッチは、モリー教授に会う直前まで車の中で仕事の電話をかけ続け、教授の家の前に車を止めても尚、隠れるように仕事の電話を続ける程『仕事に囚われた』人間だった。

久しぶりに会った日も、ミッチは仕事や時間を気にしていた。そこで、教授は彼にこう告げる。

「私がもうじき死ぬこと、分かってるね?」

実際に、この数ヶ月後にモリー教授は死ぬこととなる。モリー教授と話が出来るのはあと少し。仕事や時間は大切だが、目の前にいる人に意識を向け、共にいる時間を大切にすると言うのは、もっと大切なことなのだと教授は考えていた。ましてや、もうすぐ死ぬ人物であればなおさらだ。その日、ミッチは昔自分がモリー教授から受けた授業の事を思い出し、自分の人生を恥じた。そして、モリー教授の最後の授業を受ける事を決意する。

この時はまだ身体がある程度自由になっていた教授だったが、そこからはどんどん症状が悪化していった。

自由に歩けなくなり、トイレも一人でできなくなり、尻も一人で拭けなくなる。まともに食事も喉を通らなくなる。肺機能が低下し、喉の異物が吐き出せなくなる。咳が止まらなくなり、呼吸もままならず、酸素を通す管をつけて寝たきりの生活が始まる。

そんな中、教授が死に際して感じた事、人生の中で学んだ事などをまとめ、論文としてこの本にする作業が始まることとなる。

教授の教え

モリー教授の最大にして、全ての根幹となる価値観は愛情だ。教授は人生についてこう語る。

「人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと」

愛情、奉仕、創造が人生に意味を与えるとと言うことだ。その一方で今の世界は、モノやカネ、地位や名誉に意味を見出そうとする社会であり、教授はそのことを嘆いている。教授は現代の文化、人々の世界についてこう述べている。

「我々の文化が人々に満ち足りた気持ちを与えない。文化がろくな役に立たないなら、そんなものはいらないと言えるだけの強さを持たないといけない」

自分自身で確固たる信念や筋のような物を持ち、見せかけの価値観や流行などに振り回されてはいけないということ。教授は自身の考えに強い確信を持ち、実践している人物だった。

次第に最後の日が近づき、教授は死の恐怖を間近に感じるようになると、感情をコントロールする術についてこう語った。

「恐怖、苦痛、悲しみと言う感情に自分を投げ込む--そうして、その感情を十分に、くまなく経験すると、その感情がどんなものかが分かる。その時初めてこう言えるようになる。『よし、自分はこの感情を経験した。その感情の何かがわかった。今度はしばらくそこから離れることが必要だ』」

つまり、恐れや不安、悲しみから逃げるのではなく、思う存分経験して感情を理解することで、その感情からは離れることが出来ると言うものだ。恐怖や不安と言う物に実態は無い。だからこそ、人はそこから離れようとする。しかし、それだけ離れようとしてもそれは近くにあるように感じる。これは動物が火を怖がるのと似ている。火というのは熱く、眩しく、破壊的だ。熱や光は離れていても届く。しかし、火に近づき、観察し、どのように発生しているのかが分かれば、火との安全な距離が分かる。火を理解して初めて、火を制する事ができる。それは、人の感情も同じだったのだ。

死を前にして後悔していることはないかとミッチに問われ、モリー教授は後悔していることの一つを語った。それは、親しい友人がモリーの妻が大病を患った時に全く連絡を寄越さなかった時のことだ。怒ったモリーはそれ以来、その友人に冷たく当たってしまったらしい。小さなことだが、自分の愛する人を友人が気にかけていない事に腹が立ったのだろう。そして、その友人はしばらくして癌で無くなった。仲違いしていたため、意地を張って教授は死の際に会いに行かなかった。それを酷く後悔していたと言うことだった。しかし、教授はそれについてこう言った。

「自分を許せ。人を許せ。待ってはいられないよ。誰もが私みたいに時間があるわけじゃない。私にみたいに幸せなわけじゃない」

そう。謝る時間も、仲直りする時間も、必ずあるとは限らない。著者のミッチは幸運だった。モリー教授も幸運だった。テレビに出て、多くの人に今の現状を知ってもらうことが出来た。そして、短い間だったが時間があった。その間に、いろんな人に感謝の言葉を言って、謝った相手もいたことだろう。そんなことが出来る人は少ないのだ。