「人にやられて嫌なことは人にはしない」で本当に良い?今の大人は危険ドラッグや援交を否定できるか?

つまり、薬漬けになって身体を壊し安易な快楽を得るという行為は、知恵を絞り、努力しながら生き、幸せを求める人々の生活を冒涜しているといえるのではないだろうか。例えば、公共の場で「お前の人生なんてクズみたいなもの。薬漬けの家畜にも劣る」などと言ってのければ、分かりやすく名誉毀損だ。

簡潔に言えば、

「人は家族や周囲の人間の努力で生かされていて、身勝手な理由で故意に身体を壊す行為は彼らの努力を無駄にした上でさらなる努力を強いる」

「人体を破壊する薬物によって快楽を得て一生を無為にするのは、人命を重んじ、幸福のために努力する大部分の人々に対する名誉毀損になる」

と言うことだ。「おふくろさんが悲しむぞ」とか、「人の一生を馬鹿にするな」と言うのと同じ意味になる。

「俺の身体は俺のもんだ!」と言いたくなる気持ちも分かるが、あなたはあなたである前に人間であり、社会で生きる人の一人であり、家族の一人である。彼らを蔑ろにするのは、間違いなく「他人に迷惑をかけている」はずだ。社会というのは、意外に不自由な世界だと理解するべきだろう。

援助交際のについての課題

援助交際は女性が金銭目的で性行為などを男性に対して行う行為だが、刑罰の対象になるのは18歳未満の場合だけで、所謂児童買春として扱われるため、誘った児童は基本的には被害者となり処分されない。

この場合、金銭授受があり、売る女性も買う男性もお互いに利益を得て、互いにWin-Winの一種の経済活動という解釈も出来る。さらに、互いに18歳以上であれば処罰されることはなく、処罰されるのは斡旋した側だけだ。しかも、国によっては16歳から合法となる。

性行為の危険性などをきちんと理解しているかも不確かであり、高い確率で病気や妊娠などの身体や命に関わる結果になるが、ドラッグとは違って必ずしもその行為がそう言う作用に結びつくとは言い切れないのが難点だ。

さらに、国によって「児童」に当たる年齢が異なるというのも、「何が悪いのか分からない」と言われる理由になり得るだろう。

中高校生の援助交際は何故悪なのか?

これもまた、先の「公共財の損壊」「人間の価値の毀損」に当てはまる。だが、今回は「児童の責任能力」というのも関わってくる。

児童は成人と比べて、さらに「自身の身体が自分のものではない」のだ。

まず、そもそも児童は自分の行為をきちんと理解しているとは言い切れず、多くの活動が基本的には親や教師の監督下で行われる。さらに、自身で生計を立てていないことが殆どで、ほぼ間違いなく「親や社会に生かされている」存在だ。じゃあ、親が好きに出来るのかというとそんなわけはなく、大半が児童本人のものであり、親と共有している状態だ。

ただし、問題は「どうして害になるのか」ということ。

何故なら、適切に管理できて責任能力のある大人であればある程度許容されてしまう行為(違法だが刑罰は無し)だからだ。

アルコールであれば、幼い身体ではアルコールを処理できないと言う明白な理由がある。しかし、性行為に関しては、小学生でもない限り中高生の成長度合いには差があり、身体の構造的に危険とは言い切れない(知識・精神面では別。相手が小学生の場合、合意があっても強姦扱い)。金銭目的で身体を売る風俗行為そのものが悪であると言う弁論もあるだろうが、議論の多い話題であり、必ずしも悪だという共通理解が得られるとは思えない。

 そのため、「適切に避妊が出来ない」「性病の危険性がある」「事件に巻き込まれる」と言う、あくまで「可能性」を取り扱うような言い方は避けようと思う。十分、それがダメと言える理由にはなるが、それが倫理的に問題があるとは言い切れないからだ。

このケースの鍵になるのは、「児童の身体に関わる金銭取引が悪である」と言う社会の認識だ。