人身売買が悪であるのと同じで、最大の問題は金銭取引にあると言って良い。もし、この男女間に金銭による利益関係が無く、純粋な恋愛関係による性行為があった場合、これから説明する理屈では悪だと言えず、別のアプローチを考える必要がある。また、金銭取引がない場合、適応される法律も異なる。児童買春は刑法で規定、単なる性交渉は児童福祉法で規定。
児童というのは、「精神・肉体共に未熟な人間である」と言う大前提があり、環境や経験による影響が成熟した大人に比べて非常に大きい。そのため、精神的・身体的なトラブルや困難を抱える可能性が高く、多くの法律によって保護される必要がある。
さらに、未熟ではあるものの今後の社会において重要な資産(価値あるもの)であり、育成に掛かる努力・費用・負担は馬鹿にならない。児童の存在そのものに、社会的に高い価値があるのは自明であるはずで、それまでに掛かった周囲の労力やこれから児童が生み出す価値を鑑みれば、その本来の価値を金銭ではかるのは不可能である。
簡潔に言えば、
「児童の価値をお金ではかる行為は、児童の価値を毀損する行為である」
ということ。言ってみれば、「子供の価値は札束にはかえられない」という話だ。
それは、児童自身にも言える事で、「自分自身の身体に値札をつける」と言う行為は、「自分自身だけではなく、その他の児童の価値も貶めている」と知るべきだろう。仮にその子の身体がまかり間違って売れるものだったとしても、同じような身体を持っている別の児童の身体は売れるものではない。労働に値段をつけるのであればまだしも、身体そのものに値段をつける事はできない。
少し大げさな話で子供が理解してくれるかは分からないが、これもまた「他人に迷惑をかけている」。その子に大切な友人がいれば、その子に自分と同じ値段をつけるのかと問いたい。本人が良くても、その友人や大部分の女生徒にとって値札を付けられる行為は不快であり、冒涜なのだ。
「私は私、他人は他人」で別の価値だと主張したいだろうが、価値の殆どは他人が付けるもので、周囲はその子が5万円で他の子が∞円だとは見てくれないはずだ。
ただ、18歳を超えた瞬間児童扱いをされなくなり、違法とは言え刑罰の対象とならないのも納得が行かないだろう。国によっては年齢次第で完全に合法であり、歳を重ねる毎に価値が下がっていくようで売春そのものが持つ文化的問題も見え隠れしている。苦しい解釈としては、「身体そのものを売っているのではなく、労働として値段を付けられるだけの十分なスキル・知識を得た」と言う言い方になるかもしれない。
どちらにしても、売春というのは、社会の営みとして大きな課題を孕んだ適切に対処すべき問題と言える。
自分自身の感覚だけで、他人の迷惑は測れない
これらの事柄から言えることは、「本人の感覚だけでは、他人に迷惑が掛かっているかどうかは分からない」と言うこと。
「自分がされても良いから、他人にしても問題ない」なんて理屈は、小学生で卒業するべき倫理観で、それが間違いであることは大人が教えて上げなくてはいけない。そもそも、人にどんな価値があるのかと言う一番大切な事は、本人の感覚だけでは分からないものなのだ。
「自分を大切にしろ」「他人を敬え」と教えても、その本当の意味を理解できる子供は少ない。さらに、育ってきた文化や受けてきた教育で価値観は異なる。
自分自身の感覚が、価値判断の全てにはなり得ない。そのためには、他人の考えや価値観を理解し、自分自身の感覚を疑うことが必要だ。この記事では、一貫して「人には価値がある」と言う価値観を持って述べているが、これは世界中の国々や文化、社会の憲法や法律で明文化されており、一般的に受け入れられている価値観だ。
もし、誰かが「人には大した価値がない」と考えているとすれば、その人の感覚は高確率で「大部分の人とずれている」可能性があると考えた方が良い。
最低限理解しなければいけない一般的な価値観であり、それを理解できた上で様々なケースについて善悪の区別が付く。残念ながら、大人の中には善悪の区別が付いた上で悪に走る人間もいるので、価値観の理解が全ての問題の解決にはなり得ない。
しかし、少なくとも私達大人が、子供にそう言った問題について教えられるようになっていなくてはいけないはずだ。