「今年は電子書籍元年!」と元年が繰り返されて幾年が経ちましたが、最近になってようやく電子書籍市場も佳境に入ってきたと言えるかも知れません。楽天の調査ではありますが、「過去1年に電子書籍を読んだ人は4人に1人(CNET)」という報道もあるようで、電子書籍に触れたことのある人が増えてきていることが伺えます。
背景にはコンテンツの充実とスマートフォンやタブレットなどの利用可能端末の普及が挙げられます。すると、「将来的に電子書籍が紙の本に置き換わるか?」なんて話題が様々なメディアや評論家の間で議論されてきました。しかし、よくよく考えてみると電子書籍は「紙の本の上位互換」だとか、「紙の本より優れている媒体」だなんて言えないことが分かります。実は、電子書籍と紙の本はそもそも起源を別にしながら類似する目的・形態へと収斂進化を遂げた全く別の存在だったのです。
電子書籍の起源はどこにある?
電子書籍はデジタルデータを書籍や雑誌のように読めるようにしたコンテンツのことを指します。
代表的な電子書籍リーダーと言えばAmazonのKindleや楽天のKoboなどが挙げられますが、基本的にはどんな電子書籍も専用端末かPCやスマホのアプリを通して書籍のようにレイアウトされたデジタルデータを読む形式になっています。
また、青空文庫のように有志が著作権切れのコンテンツをテキスト化したものもあれば、紙の本をページごとにスキャンして写真形式でページを並べて書籍のように読む電子書籍も存在しており、電子書籍と一口に言ってもかなり多彩な形式があることがわかるでしょう。
特に、テキストデータを書籍のように読む形式や画像化したデータを読む形での電子書籍はかなり古くから存在していて、元のレイアウトを保持したまま文書が読めるPDFというファイル形式が広まった1990年代後半には、今の電子書籍にきわめて近いコンテンツが存在してはずです。
利用端末や形式が整備され、著作権の課題をクリアして広がったのは最近になってからですが、電子書籍というのは何も21世紀に突如始まった全く新しいコンテンツというわけでは無いということがわかります。
更に電子書籍の起源を遡ると、もはや本とはいえない電報や文書のようなただの文字や記号の集まりになってしまいます。しかし、何らかの情報を伝達するために作られた文書の集合体が書籍であるとするならば、単なる記号情報が電子書籍の起源と呼んでも差し支えは無いはずです。
問題はこの記号情報がどのように記録され、人間に伝達されるかということにあります。
電子書籍は通訳がセットになった紙の本
(IBMが使っていたパンチカード)
デジタルデータは今でこそ磁気データに0と1を並べる事によって管理されていますが、昔は「紙」に保存されていました。上がパンチカードに保存されたデジタルデータですが、コンピューターは穴が開いている部分を確認することで、記述されている情報を読み取っていました。
ちなみに上の写真では、縦一列で一つの文字を表し、上端に印字されている文字記号を意味する穴がその下に開いています。つまり、左から「01234・・・・(,.」という内容が保存されているわけですね。
コンピューターはHDDやSSDの代わりにこのパンチカードを大量に読み込んで情報処理を行っていました。
紙の本も紙の束で構成されていて、パンチカードという紙の束が進化してデジタルデータになったのであれば、三段論法でデジタルデータで構成された電子書籍も「紙の本の一種で上位互換」と考える事もできるかもしれません。
しかし、三段論法にはどこかしら論理の飛躍があるもの。果たしてパンチカードのように穴が開いているかいないか、0と1が並ぶだけの紙の束を見て本ということが出来るでしょうか?
パンチカードならまだしも今のHDDに記述された0と1の磁気データを見てそこに書かれている情報を理解できる人はまずいません。人がデジタルデータを理解できるのは、コンピューターという「通訳」を介した時だけなのです。
暗号で書かれた本にせよ、読めない外国語で書かれた本にせよ、「通訳がいて初めて理解できる本」は普通の本ではありません。もちろん、母国語に翻訳されていれば本と呼べますし、その言語を読める外国人にとってはその本は普通の本です。
一方、電子書籍というのは同じデジタルデータでも電子書籍の提供元や形式が違えば扱えず、常に「正しい通訳とセットで提供されなければならない」という特徴があります。
仮に、データが本のように紙束で構成されたパンチカードに記述されていたとしても、電子書籍として成立するためには通訳となる端末は必ず必要です。つまり、紙の束に書籍情報を含むデジタルデータが記述されていたとしても通訳が必須になるというのが、電子書籍と紙の本の最大の違いだといえるでしょう。
(次ページ: 情報媒体の収斂進化、本の上位互換)