カイコの進化
以前の種より機能が落ちていることを理由に、カイコのこうした特徴は野生種より退化した結果であると言われる場合があります。
とはいえ厳密に生物学的に言えば、退化という言葉は進化の対義語ではないのです。以前に持っていた器官や機能がなくなってしまっても、それにより適応の度合いが下がらない、あるいはよりよく環境に適応できた場合、大きな目で見ればそれは進化であるとも考えられます。
さらに、生物の進化は必ずしも個体の能力を増進させるものではありません。
進化は環境へよりよく適応するためのメカニズムですが、環境に適応するということは突き詰めれば「繁殖の可能性を高める」ということです。ある環境で繁殖の可能性が高い生物は概して個体の能力が優れているように見えますが、それは結果的にそうなったというだけ。
極端な話をすれば、寿命が半分になってしまっても、一生の間に生む子供の数が倍になれば、それはより多く繁殖ができる、つまり環境によりよく適応しているといえるのです。
ダーウィンは進化論を提唱するにあたり、「強者生存」ではなく「適者生存」という概念を提唱しました。
適者とはつまり、より繁殖の可能性が高いもののこと。生物の進化を促す要因を淘汰圧と呼びますが、カイコの場合はより多く絹糸を生産する個体を後世に残すという人間の選択が淘汰圧となり、いま私たちが見るようなカイコの姿になったのです。
求められる場では高いパフォーマンスを発揮するが、それ以外では全然ダメダメ――カイコが見せてくれるこの極端な姿は、生物種にはたらく淘汰圧の作用と、その結果起こる適応の様子を印象的なかたちで見せてくれます。
生きることをこれほど人間に依存していると、もはやカイコは人間に寄生して生きていると言っても過言ではないのかもしれません。