翻訳小説:魔王の弔い(E・P・ミッチェル)

『宇宙戦争』などで有名になったH・G・ウェルズなどに先駆け、『タイムマシン』や『透明人間』などの題材を扱っていたE・P・ミッチェル。前回翻訳した『悪魔の鼠』に続き、再び悪魔や魔王が出てくるお話です。

— 主人公は時を越え、世界の終わる瞬間へとやって来ました。そこで見たのは、魔王を崇拝する人間達。そして、魔王の死を弔わんとする人々に混じり、主人公は世界の終わりを目にすることになる。

「SF界の 忘れられた巨人」と呼ばれたE・P・ミッチェルの短編小説。ダークな雰囲気の中で、EPミッチェルが悪魔や世界をどう見ていたのかが、透けて見えてくるような作品『The Devil’s Funeral』の訳文となります。

訳に拙いところもございますが、お楽しみいただければ幸いです。

 

魔王の弔い

  見えない手に寝台から持ち上げられる心地がして、すぐさま、果てなく狭まってゆく時の広小路へと押し流されていった。一瞬ごとに一世紀が過ぎ、新たな帝国、後代の人々、奇妙な発想、そして未知の信仰と出会った。そしてついに広小路の終わり、すなわち時の終わりにたどり着いた。空は深い黒よりさらに不気味な血の赤に染まっていた。

 男も女も忙しくあちこちへ走り回り、その青白い顔には天の呪わしい色が宿っていた。なにもかも、荒涼たる静寂に包まれていた。その時、低く泣き叫ぶ声が遠くから聞こえた。尋常ならず悲愴なその声は、時に大きく時に小さくなり、これから荒れ狂わんとする嵐の音色と混じり合っていった。その声に応じるようにうめき声が起こり、やがて雷鳴のように響いた。人々は両手を引き絞って髪をむしり、耳をつんざくように尾を引く金切り声が、狂乱の頭上に巻き起こった。
「われらが主たる魔王はもういない! あるじはもういない!」
 それからわたしもまた、魔王の死に嘆き悲しむ哀悼者達に加わった。
 すると、老人がわたしの手を取った。
「あんたも魔王を愛し、魔王に仕えた者か?」
 老人は尋ねた。自分が何を嘆いているのかわからなかったので、わたしは答えなかった。
 老人はじっとわたしの目を見据えた。
「言葉に尽くせない悲しみなどないものだ」
 老人は意味深長に言った。
「あなたはどうなんです?」
 わたしは応じた。
「あなたの両目に涙はないし、瞳の奥に悲嘆がない」
 老人はわたしの口に指を添えて囁いた。
「それ以上は言うな」

 老人は、天井の高い巨大な公会堂へとわたしを導いた。そこは隅々まですすり泣く人で満ちていた。おびただしい人だった。魔王を崇め、魔王に仕えた人たちが老いも若きも世界中から集まって、その最期に立ち会おうとしていた。わたしと同じ時代の人もいれば、歴史書や絵画にその顔と名を残すような過去の人物もいた。かと思えば、ここに至るまでの旅路で見た、わたしより後の時代の人もいた。質問しようとしたわたしを、老人が止めた。
「静かに」かれは言った。「聞くんだ」
 すると群衆が一斉に声を上げた。
「検死の結果を拝聴せよ!」
 別の建物から古今東西で随一の外科医や内科医、哲学者、またその他の学者達が出てきた。かれらは魔王の遺体を調べ、その存在の不可思議を解き明かす任を負っていた。
「なぜなら」 群衆は言った。「かれら科学者が魔王の魔王たる所以をわれわれに伝え、われわれと魔王を分かつところの不死の本質をその死せる体から取り出しても、われわれはなお自らのため、また亡き主の不滅の栄誉のために、その不死の本質を崇め続けるだろう」
 悲痛な面持ちと重い足取りで、賢人らの中から三人の代表が歩み出た。わたしの隣の老人が手を上げ、みなに静まるよう伝えた。嘆きの声は瞬く間に止んだ。出てきた一人はガレノス、もう一人はパラケルスス、最後の一人はコルネリウス・アグリッパだった。
「誠心から魔王に仕えた者たちよ」アグリッパが大声で言った。「われらのメスが解き明かした神秘を語ることはできない。彼方へと旅立った魔王の心臓と魂と、その両方を我々は暴き出した。その心臓は常の人と変わりなく、たぎる熱情で拍動を刻み、憎悪によって縮み上がり、また憤怒によって膨れ上がる。しかしその魂の神秘は語る者の口を引き裂いてしまうだろう」

 老人は急いでわたしを引っ張り、群衆から少し距離をとった。群衆は憤激にどよめき、医者たちに押し寄せ始めた。魔王の検死を行った尊ぶべき学者たちがその神秘を明らかにしないので、彼らを捕まえて八つ裂きにしてしまおうというのだ。
「死体いじりの偽医者が、馬鹿を言うな」だれかが言った。「神秘を暴いたなんて嘘なんだろう」「殺してしまえ」みな口々に叫んだ。
「こいつらは秘密を明かさない気だ。崇高な教えを説かれ、独創に富む知性とこの上ない高潔さを備えた魔王をみなが崇めた。この偽医者どもは結託してその座を奪い、われわれを支配しようとしているのだ。魔王の魂を奪い取った成り上がりの学者どもに死を!」
「我々がもとめたのは真実だけだ」科学者たちが落ち着き払って言った。「しかし、我々が目にした通りの真実を語ることはできない。そこまでは我々の職分ではない」
 それから科学者たちは去って行った。

「見せろ!」怒れる群衆の先頭の者が声を上げた。
 それから、魔王の遺体が安置されている建物めがけてみなが詰めかけた。魔王の本質、その真実を我が目で見ようと何千もの人が押しかけ、建物にも入れないほどの押し合いへし合いになった。建物に入った者たちはあくまで敬虔に、しかし熱に浮かされたように、巨大な黄金の棺台へと歩を進めた。棺台には宝石が埋め込まれ、エメラルド、ペリドット、そして碧玉の輝きが混じり合う壮麗なものであった。目のくらむ光景を前に、みな狂乱の表情に困惑の色を刷いて尻込みした。骸を覆い隠す布に敢えて手をかける者は、誰一人としていなかった。
 わたしと共にこの狂騒を黙って眺めていた老人は高いところに上って大声で言った。
「死して尚魔王の威厳は人心をとらえて放さず。崇拝者らよ、魔王の神秘を知るに時はまだ満ちず。しかし、様々のしるしが私に告げた。科学の徒らの口を閉ざしめたその神秘は、信仰によって白日のものとなると。直ちに亡き主のため、我らの嘆きの手向けを捧げん。亡き主の追悼のため、我らの信仰と等価の供物をささげん。わが秘術は火を熾す。その火は重厚なる金塊を紙片のごとくに焼き尽くし、あとには灰も悲哀も残さない。すべて男は金をもて。金貨も、金箔も、装身具もみな、魔王に仕えて得た金をすべて。女も同じく金をもち、すべてこの火に投げ入れよ。そうして燃えるとむらいの火こそ、我らの哀悼の証となるであろう」
「その通りだ」魔王の崇拝達が言った。「われわれの信仰が高潔さを保ったという証のために。さあ火を熾してくれ。われわれは金を持ってくる」

 わたしの目は老人の顔を見据えていたが、その脳裏にある考えまでは見通せなかった。見れば、公会堂は空っぽになっていて、わたしと老人しか残っていなかった。
 建物の中央部に、われわれはゆっくりと入念に火葬のための薪を組んだ。薪は手に入るうちで一番高価なものを使い、敬虔な哀悼者の手によって最上級の香料がふりかけられた。薪は高く大きく積み上げられ、豪奢な品々で飾られた。魔法の火を熾す際、老人は笑みを見せた。魔王の崇拝者たちがこれから金を持ち寄って、この炎に投げ込むのだ。供物を投げ込めるよう、組んだ薪の中には十分な空間があった。
 わたしたちは協力して魔王の亡骸を運び込み、積み上げた薪の頂上に注意深く置いた。頭上で雷鳴が鳴り響き、天井が崩れ落ちるのではないかと思うほど激しく建物が揺れた。雷鳴は絶え間なく続き、次第に組み薪へと近づいてきた。老人の、魔王の亡骸の、そしてわたしの周囲で雷光が踊った。人々が戻ってくるのを待ったが、誰一人戻ってはこなかった。
「この葬送を見よ!」組み薪の中に火のついた松明を挿しながら、老人がついに口を開いた。
「参列者はわたしと君だけ、供物の金はひとかけらもない。行って魔王の崇拝者達に告げよ。遺言に従えと。さすれば皆戻ってこよう」

 わたしは急いで老人の言う通りにした。すると集会場はまたたく間に人であふれた。今や誰もがその手に金を持ち、みな葬儀に遅れた言い訳をしていた。部屋は弁明の声で満ちた。
「私が遅れたのは」だれかが言った。「確認に時間がかかったからです。もしやひとかけらでも取りこぼしがないかどうか」
「見て下さい」別のだれかが言った。「五十年の刻苦の末に集めた金です。しかし主の追悼のためなら喜んで捧げましょう」
まただれかが言った。「別れた妻との結婚指輪まで、何もかもを持って来ました」
 魔王の崇拝者達の間で、誰が最初に供物を捧げるかで諍いがあった。魔法の炎は金を飲み、頂上の亡骸めがけ高く昇った。熱心に見上げる全ての顔に、強い黄色の光が落ちた。それからも数えきれぬ供物が捧げられた。老人は炎の横でじっと立ち、不気味な笑みを浮かべていた。
 やがて魔王の崇拝者達はかすれた声で叫んだ。
「遺言を! 遺言を! 魔王の遺言を聞かせたもう!」
 老人は石綿布の巻物を広げ、それを読み上げた。人々のざわめきは静まってゆき、猛り狂う炎の怒声も鈍い囁き声へと沈んでいった。老人は、次のように読み上げた。
「余の恩寵を受けた臣民へ、全世界へ、忠実な崇拝者達へ、誠実な従僕らへ、余の祝福あらんことを、とこしえの呪いあらんことを」
「あまねく生物を襲う「変化」の接近は常々余の耳にも入ることである。それゆえ余は沈着さと志操をもって、ここに余の遺言を、望みを、そして余の王国の今後にかかわる令を記す」
「余の遺言により、賢人には愚挙を与え、愚者には苦痛を与えん。富める者には惨めさを、貧しい者には求めて得られぬ苦悶を。正しい者には忘恩を、不正な者には自責の念を。神学者には余の遺灰を与えん」
「地獄と呼ばれるこの場所を永遠に閉ざすことを余は定めん」
「苦痛は余の忠実な臣民みなに分配され、おのおのに見合うだけ受け取るだろう、歓喜と宝物は余の忠実な臣民に公平に分配される」
 魔王の崇拝者達はここで一斉に金切り声を上げた。
「神はなく、魔王も今やおかくれになった! われわれの相続物は何か!」
 老人は答えた。
「見下げ果てた奴らだ! 魔王は死に、世界も共に滅ぶ。世界の終わりだ」
 みな仰天して炎を見た。その時、全ての金を飲み尽くした炎は天井まで昇る火柱となり、直後に消え失せた。魔王の心臓の熾火から蛇が一匹這い出でた。いまわしくシュルシュルと声を上げるその蛇を老人は捕まえて握りつぶそうとしたが、蛇はその手から逃げ出し、群衆の中に紛れていった。
 イスカリオテのユダがその蛇を捕まえ、懐の中に入れた。直後に、足下の地面が、死に至る発作を起こしたかのように震え始めた。葬儀場の高くそそり立つ柱が、目を回した巨人に掴まれたようにねじれた。魔王の崇拝者達はうつぶせに倒れ、わたしと老人だけが立っていた。絶え間ない衝撃が至るところで起こっていたが、稲妻によるものではなかった。
 それは文明が崩れ落ちる絶望の音、そしてあの世から鳴り響く審判の日のラッパの音色だった。星は天から落ち始め、凍り付いた炎が氷雨となって荒れ狂うようであった。子供たちは恐怖で息絶え、母たちは冷たい胸に死んだ子らをかき抱いて逃げたが、逃げ場などなかった。光は消え、宇宙の法則は徹底的に破壊されて火は熱を失った。
 やがて、宇宙の胎から押し寄せる混沌の奔流が、魔王の崇拝者と死に絶えた世界を飲み込んだ。
 虚空に立つわたしは老人に言った。
「これでもう善悪はなく、世界も神もありませんね」
 老人はただ微笑んでかぶりを振った。そうしてわたしは、長い時を逆行するあてのない旅に戻った。老人が姿を消す瞬間、崩れ落ちた世界の上空に、果てない光を放つ一本の虹が弧を描くのを見た。