パートナーが怖いから
かなり単純な理由ですが、こういう人もかなり多いはずです。
これは外的要因であり「バレなければ大丈夫」なわけですが、恐怖というのは人の心理に支配的な影響を及ぼします。
普段から口うるさく怒るパートナーであったり、キレたりヒステリーを起こしたりすることの多いパートナーであれば、バレた後に起こる影響が予測できません。多額の慰謝料を請求されるかもしれませんし、別れなくとも以降パートナーの言いなりになって共同生活を送ることになるかもしれません。
バレなければ良いとは言え、何かしらの恐怖を抱いている相手に逆らうというのは、それだけで大きな心理的なハードルになります。
「カミさんが怖くて浮気なんて出来ない」というのはよく聞く話ですが、「家族や恋人が大切」という気持ちが全く無かったとしても、家族間や恋人間の力関係に大きな偏りがある場合には浮気や不倫に対する強い抑止力になるでしょう。
また、相手を威圧し支配するほどの力関係ではなくとも、普段から「明確に不満や怒りを表す」だけで恐怖に近い不安感を生むことはできます。なんとなく、「怒らせたくない」と感じることが抑止力になるのです。
ただ結局の所、「相手の監視が全く働かない」ような、恐怖心をあまり感じない状況ではこの恐怖による抑止力も殆ど働きません。出張が多いだとか、遠距離恋愛だとか、多忙だとか、互いの状況をしっかり監視できないような状況では難しいでしょう。
つまり、「パートナーが怖い」というのは、非常に「環境に依存する理由」であると言えます。
社会的信頼を失うから
歳を取り、社会的地位を得るようになると「社会的信頼を保つため」に浮気や不倫をしないようになります。
この社会的信頼というのは様々なものを含みます。
「ご近所の信頼」「親戚間の信頼」「職場の信頼」「世間の信頼」など、数え上げたらキリがないでしょう。
しがないサラリーマンの一家でもご近所・親戚・職場の信頼は重要ですし、世間的に名前を知られているような人間であれば、事実上全く関り合いのない人との間にもやや一方的な信頼関係というのが生まれます。
他人からの信頼というのは、築くのに時間がかかるものの崩れるのは一瞬です。そのため、浮気や不倫によってこの信頼を失ってしまうというのは大きな損失になります。これを恐れ、浮気や不倫をしないというのは少なくありません。
ただ、やはりこれも「バレなければ良い」という外的要因です。
十分に偽装工作をする人もいれば、警戒心が薄くバレないだろうとタカを括ってしまう人もいます。これも、上述と同じ「環境に依存する理由」と言えるでしょう。
性的欲求をコントロール出来るから
健全な方向で性的欲求をコントロール出来る人は浮気や不倫をしません。これは「しない理由」というよりは、「する理由」を無くすアプローチというイメージが近いでしょう。
肉体関係を含めてパートナーと適切にコミュニケーションが取れており、性的に満足していれば「代わりを探す」必要はなくなります。また、自慰行為などもそうですが、性的欲求はパートナー以外との肉体関係を伴わない方法である程度は満足させることができます。パートナーが不快に思う可能性はありますが、風俗を利用するのも一つの手です。
また、年齢を経るにつれて欲求そのものが減退してきてしまうと、肉体関係を伴う新しい関係を模索しようとしなくなります。
どういうケースであれ、「新しい関係」を望まなければ浮気や不倫など起こらないのです。
これに関しては本人の自己管理能力や年齢の問題とも言えますが、パートナーの協力も必要です。パートナー側に何らかの理由があって相手を満足させられないのであれば、単に欲求不満を溜めてしまうのではなく何らかの方法で解消してやる必要があるでしょう。
それは、場合によってはパートナーの理解が必要になる方法かもしれません。どちらにせよ、正しく欲求が管理されていれば、浮気や不倫をしにくくなります。
ただ、欲求というのは非常にコントロールの難しいものです。予期せず増大することもあれば、変化のない場合もあります。そういう理由もあり、「性的欲求をコントロール出来る」というのは、かなり「不確実な理由」であると言えるかも知れません。
人として間違っているから
「浮気」や「不倫」という言葉を聞いて、まずはじめに思うことは「不道徳」というイメージではないでしょうか?
つまり、浮気や不倫は倫理的に間違っているからしないというケースです。法的に許されないからという解釈でも良いでしょう。
家族関係が崩壊していても、片方が別れたがっていても、誰にもバレなかったとしても、「倫理的に問題がある」というのは人によっては大きな抑止力になります。
きちんとした教育を受けて育っていれば、何らかの形で教わるはずです。
「人の物は盗んではいけない」「約束を破ってはいけない」「嘘を吐いてはいけない」などなど。
そうして、大人になる頃にはきちんとした倫理観が養われていきます。
浮気や不倫をする人には様々な理由がありますが、余程の事情がない限り「浮気や不倫をしてもしょうがないよね」という論調にはなりません。ニュースや週刊誌で報道され人々が事情をよく知らないまま批難するのは、単純にそれが「人として間違っている」ということが言えるからです。
法的に複数人のパートナーを持てる国であっても、「他人のパートナーに手をだす行為」や「パートナーとして認められない相手に手を出す」行為は倫理的に問題とされており、非常に漠然としていて境界線が曖昧ではあるものの「それはダメだろ」という共通の規範というものは世界規模で見てもある程度は存在します。
それを「倫理」というと非常に堅苦しく重たい響きになりますが、多かれ少なかれ浮気や不倫について、「人としてどうなの?」という疑問を抱く余地はあるはずです。
ただ、この倫理的な価値観は完全に個人の育ち方や考え方に依存していて不明瞭です。
実際の所、パートナーと完全に冷めてしまった頃にどちらかが出張になり監視もなく、欲求不満を感じている時にパートナーよりも魅力的な人に出会ったとして、それが「人として間違っているから」という理由で浮気や不倫をしないでいられる人間はどれくらいいるでしょうか?
いや、決して少なくはないでしょう。むしろ、大多数の人が「しない」選択が出来るのかもしれません。そして、そういう人は「他の4つの理由」が当てはまらなかったとしても浮気や不倫をしないでしょう。
ですが、そういう状況になれば、残念ながら「する」人もまた少なくないのです。
そのため、「人として間違っている」という理由は、ありきたりですが「個人差が激しい理由」と言わざるを得ません。
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