退屈は痛みより辛い最大の毒。何も出来ないことに、あなたは耐えられますか?

米国バージニア大学の実験で、人は退屈な状況に置かれると、そのまま退屈に耐えることより電気ショックを受ける方がマシだと考える傾向にあることがわかりました。

その傾向は男性の方がより強く、男性被験者の3分の2が何も出来ない退屈な環境に我慢できず、刺激を欲して自発的に電気ショックを受けました。女性でも四分の一が同じ行動に出ています。

退屈は痛みより大きな苦しみになる。
その他の実験でも、人が退屈を嫌い刺激を得ようとする傾向が強く存在し、剰え自らを苦痛の中に置く選択をする人まで現れるほど。あなたは何も出来無い退屈な環境に、どれくらい耐えられますか?

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「人にやられて嫌なことは人にはしない」で本当に良い?今の大人は危険ドラッグや援交を否定できるか?

危険ドラッグ使用者による事故や犯罪が多発し、SNSを通じた援助交際なども近年増加の一方を辿っている。犯罪行為とまでは言えなくとも、公共の場でのモラルやマナーの崩壊も叫ばれている。コンビニの前で座って飲食する若者や車内で化粧する女性。小さな声ならば大丈夫だろうと車内で通話するサラリーマン。

他の人に迷惑が掛かっているとは言い切れないし、犯罪行為でもない。また、最低限の配慮はしていると感じられると何も言えない。しかし、「本当にそれで良いのか?」と疑問に感じる場面は沢山あるはず。

日本に限らず、
「人にやられて嫌なことはするな」
「人にされたら嬉しいと思えることをしろ」
こんな風に一個人の感覚に依存した倫理感が植え付けられると、その個人の感覚を超えた「公共心」などが関わっている時に何も言えない。

あなたは、「誰にも迷惑は掛けていないのだから、別に良いでしょ? 他の人が同じことしてても気にしない」と言われて、きちんと答えられますか?

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道徳教育の充実と少年犯罪の防止、モラルを教える物語の力

文科省は佐世保女子高生殺人事件を受け、文科省は道徳教育の強化が急務だとして、骨子案を作成しました。中には、今までは教科として扱われていなかった道徳教育を「教科」、すなわち国語や社会等と同様に扱うことなどが含まれています。

確かに、未成年による重犯罪の多くに、少年少女のモラルの欠如が見られます。
子供たちは大人に比べて精神的に未成熟であり、善悪の区別がつきません。そのため、犯罪と遊びの境界が曖昧で、さらに犯罪の中でも度を超えたものとそうでないものの区別が付かない傾向があります。

人を傷つけることが何故いけないのか?人を殺すことが何故いけないのか?遺体をバラバラにすることが何故いけないのか?

道徳教育でそれらを教えることが出来るのでしょうか?

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夏だ!昆虫採集だ!昆虫の習性を理解し、手軽に虫を捕まえよう

夏と言えば、昆虫採集。なんていう人はめっきり少なくなった様に思えます。

虫に興味が無い人なんて論外でしょうし、興味があっても、都市圏では虫が取れるような林も少なくなってきたかもしれません。それでも、暑いからと一日中家に篭ってばかりでは、心身の健康に悪そうです。養老孟司さんも、「昆虫採集で”正気”に戻ろう」と言っています。

虫の生息域は少なくなっていますが、その分、小さな林にも、虫はちゃんと生息しています。生き物を大切にするための子供の学習やご自身の運動も兼ねて、昆虫採集はどうでしょう?虫の習性をよく理解すれば、大げさな装備なんて入りません。家にあるものや、ちょっとした道具で昆虫採集は出来てしまうんです。

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『マインクラフト』を教育現場に? アメリカの学校で広がる古くて新しいこころみ

ゲームを教育に活用する試みは、今更珍しいものでも新しいものでもない。

一昔前のニンテンドーDSの頃には問題集や漢字の書き取りのようなゲームが多く見られたし、ファミコンの頃にはすでに『さんすうあそび』という、計算問題を解くソフトがあった。
しかしこれらは問題を反復して解くことが主眼に置かれている。計算ドリルを説き続けることをゲームの中でやっているだけと言ってしまえば、別に大したものではない。

近年、まったく新しい発想でゲームを教育現場で活用しようとする試みがアメリカで広がりつつある。日本でも有名なゲーム『マインクラフト』を学校の授業で活用しようというものだ。
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